小休止を終えると再び尾根を北上し登岐山をめざす。
スズタケの中に確かな踏み跡を辿り、所々に雪の残る尾根を行くと、ヒメシャラ、ゴヨウツツジ、ブナやモミ、ヒノキなどの林を経て、やがてスズタケのブッシュになる。
途中、尾根を外しがちな箇所を注意して更に藪をこいでゆく。
覆い被さるササが視界を遮り、逆目のササが侵入者を押し戻そうとする。
右手のササの中からはおそらく先ほどまでのものとは違う「音」も聞こえている。
あたかも自然が一丸となって人の進入を拒んでいるかのようだった。
低い姿勢でのササ漕ぎについに堪えきれなくなって一息つく。
背丈を超えるスズタケにびっしりとおおわれた尾根筋。
喘ぎの収まるのを待ってから、再び藪を漕いでゆく。
途中のヤセ尾根からは左手に県境の稜線が見えてくるが、まだまだ先は長い。
やがてちょっとした岩場に出て北東に展望が開け、奥工石山や佐々連尾山に続いて大森山もその頂を覗かせ始める。
登山道はこの岩場を越えて更に尾根を辿り、息の上がる急坂を這い上がる。
両手でスズタケを手繰り寄せ、ほうほう(這這)で急坂を登り切ると、左に黒岩山と大登岐山との中間にあるピークが覗き、左奥には黒岩山の南に位置する早天山も見えてきた。
ここから正面に聳えるピークに向かって再び急坂を登って行く。
相変わらずスズタケは深く、ササの上に積もっていた雪がばさばさと音を立てて落下しては、私を直撃する。
その度に首筋に滑り込んだ雪の冷たさで声にならない呻きを発しては苛立ちが増してくるのだが、できるだけ冷静にと自分に言い聞かせながら中腰でササ漕ぎを続ける。
県境の稜線が見えてくる。稜線の中央あたりが下川峠。写真には写っていないが、左奥には早天山も見える。
そうして、雪の残る尾根沿いにはちょっとしたシャクナゲの群落が現れる。その蕾は冬を迎えて堅く閉じているが、花時なら苦しい直登の喘ぎも和らげてくれることだろう。
まもなくササは腰までの高さになり、振り返ると後方に展望が広がる。
悪戦苦闘しながら辿ってきた尾根を真下に見下ろし、南に大己屋山、その左手には白髪山がなだらかに裾野を広げている。大己屋山の右手には鎌滝山が、そして土佐町のいくつかの集落も見えて、その奥には笹ケ峰や三辻山などの山々が延々と尾根を引いて見えている。
尾根の途中から歩いてきた尾根を振り返る。右奥に大己屋山、左端に聳えるのは白髪山。
やがて再びササが深くなると、尾根に立ちはだかる巨岩に出会う。
ここは左手を巻いて、その大きな岩の上に出ると、岩肌にしがみついたシャクナゲが出迎えてくれる。
尾根に立ちはだかる大岩。手前はシャクナゲ。
大岩を後に、ピークから一旦下るとすぐにササの中を登り返して、ようやく登岐山の三角点に辿り着く。
雪の中に3等三角点の標石があり、立木にはひとつだけ真新しい山名板が下げられている。
尾根の通過点でしかないような登岐山の山頂は狭くて展望はまるで望めない。
ところで、登岐山の三角点名は「下川峠」といい、下川とは大己屋山の西下方に位置する小さな集落で、登岐山や大登岐山に源を発する下川川の流域にあたる。
かつて、その下川の集落と愛媛県伊予三島市の落合集落とを結ぶ往還が大登岐山の西で県境を越えていて、その峠が下川峠と呼ばれていたのである。
私は確かめていないがその往還は今ではまったくの廃道と化しているそうだが、こうして三角点の点名としてその名残は生き続けているようだ。
登岐山山頂。三角点の標石の周りには雪が残っている。
さて、くつろぐ気にもなれない山頂の三角点を後にして、いよいよ大登岐山をめざすことにする。
向かう樹間からは大登岐山の断崖が妙に白く見えて、近寄りがたい荘厳さを醸し出している。
そこに向かって三角点から尾根を北に美しいブナ林を抜けると最後の直登が私を待っていた。
登岐山三角点と大登岐山とのコルにあるブナの林。