ここを登り切れば念願だった大登岐山の上に立つことができる。
はやる気持ちを抑えて、目の前に凛として立つ大登岐山のそそり立つような斜面に微かに見える踏み跡にとりつく。
樹木が生えていなければ目もくらむような崖を這い上がるが、低い灌木のブッシュが急斜面の恐怖を和らげてくれる。
両手で灌木を引き寄せ、一歩一歩低い唸り声を発しながら、中ほどで一度息を整えて、最後は一挙に稜線に出る。
大登岐山山頂直下の急坂で西方向を撮影。中央下は黒岩山。
這い上がった稜線上には「山180」と刻まれた山界標石が立っており、ここを東(右)に数歩で「大登岐山1477m」と記された白いプレートに出会う。
また、山180番の標柱から西に尾根を伝うと展望の良い一角があり、まるでテーブルのような一枚岩が中央に配置されている。
大登岐山の山頂に三角点は無く、南北に深く切れ落ちて東西に痩せた細長い岩場一帯が大登岐山の山頂なのだが、この「テーブル岩」の場所を山頂としても良いのではないかと思う。多分、私と同じ思いの先達がおいでたのであろう、傍らの立木(ヒノキ)には1985年と登頂日の刻まれた木製の山名板が掛けられている。
テーブル岩のそばにあるヒノキの白骨には年代物の山名板が見える。右奥に覗く秀麗な姿は白髪山。
それにしても、なんと美しい景色なのだろう。
白いプレートの下げられた東端の岩場では、主に東方向の展望が素晴らしく、信仰の名山奥工石山を盟主に、佐々連尾山から大森山へとササ原の稜線が続き、南東方向には秀麗な白髪山がその尾根をきびす山に伸ばしている。
奥工石山と白髪山との間には野鹿池山などを越えて剣山系が遠望でき、南に目を移してゆくと、梶ケ森や杖立山、国見山などが見えている。
東端の岩場から東の眺望。
一方、テーブル岩からの眺望も雄大で美しい。
南には最前まで居た登岐山の三角点を見下ろし、その先には大己屋山や鎌滝山が座し、大河吉野川を隔てて奥には、前笹ケ峰や三辻山、前工石山、岩躑躅山など嶺北を取り囲む山々が横たわっている。
今居る大登岐山の足元から西へは黒岩山に向かって美しいササの稜線を俯瞰し、続いて野地峰、東光森山と波打ちながら県境の山稜は大座礼山へと延びている。
更に山稜を追えば、平家平、冠山、笹ケ峰そして石鎚山や、そのすぐ左手には筒上山や手箱山の特徴ある山容もうっすらと確認できる。
また、そうした県境の名山とは一線を画するように稲叢山や東門山、早天山などが威風堂々と座している姿も望まれる。
右手前がテーブル岩のある大登岐山山頂、白く雪が積もっている。
ところで、視線を北に移してゆくと愛媛県の名山が次々と現れる。
ちち山から右手には沓掛山と黒森山を隔てて赤石山系が連なり、西赤石山や東赤石山、権現山からエビラ山を経て二ツ岳が見えている。
ただ、これより北の展望となるとテーブル岩からでは樹木に遮られるため、大登岐山の西端に位置する「林班界標点」付近に行くと良い。
中央手前が「林班界標点」のある岩場。
「林班界標点」へは、テーブル岩から岩場を西に向かい、傾いたスラブ(一枚岩)を滑落しないように注意して過ぎれば、岩に「山」と刻まれて赤いペンキでマーキングされた箇所に出る。ここが国有林の林班界を示す点であり、この辺りからは、北に濃紺の湖を湛える富郷ダム、その背後にハネズル山、そしてなだらかで女性的な線を描く赤星山の尾根は豊受山、鋸山へと伸びている。
銅山川の手前にはちょっと尖った天堤山があって、尾根は標高を上げながら兵庫山に向かっている。
更に兵庫山から土予県境の稜線を辿ると玉取山を経て大森山、佐々連尾山へとヤセ尾根は続き、ここには、テーブル岩から望めなかった風景を補ってあまりある展望が広がっている。
なお、スラブの北面をはじめ、大登岐山の北斜面にはシャクナゲが大群落を形成しており、これも特筆すべき点である。
「林班界標点」辺りから北方向に銅山川流域の山々を眺める。中央左に富郷ダムが見える。
こうして筆舌に尽くし難く素晴らしい眺望を受け、往路の苦労は忽ちにして吹き飛んだ。
そして、いくら眺めても飽きることのない大展望にすっかり忘れていた昼食だったが、帰路のエネルギー補充のため、ザックを置いたテーブル岩に引き返してカップラーメンのお湯を沸かした。
ささやかな昼食を限りなく贅沢な時間に変えてくれるおだやかな小春日和と美しい眺望に、なぜだろう、胸が熱くなった。
それぞれに思いを秘めてこの山をめざした旅人も、初めて頂に立った瞬間に抱いた思いは私と同じだったろうか。
四国の臍ともいうべき遠い頂に立ち、四国の名だたる山々をまた違う角度から眺めれば、人と触れあうスタンスにも似て、嬉しくも淋しくもある。
こんな素晴らしい「山」という宝物を見つけた嬉しさと、またひとつ自分の中の秘境が消えてゆく淋しさとが。
しかし、今までもそうだったように、同じ頂に立ち同じ景色を見るそういう瞬間を共有できるかけがえのない人たちと共に、また日を改めて出直してこようと固く誓い、去りがたい風景をできうる限り瞼に焼きつけてから山頂を後にした。
いかにも岩峰らしく尖塔のような岩が聳える。ここからは野地峰の反射板以外、人の手からなるものは見あたらない。
帰路は往路を引き返し、時々カメラを取り出す以外にはほとんど休みらしい休みも取らず登山口をめざした。
行きに出会った「音」はなりをひそめ、ヤブこぎの度に落ちてきてはうんざりした雪も今はさらさら舞う風花のように、山は私を優しく見送ってくれた。
それでも秋の日暮れは早く、まだ15時前というのに陽は随分西に傾き、尾根と別れて東斜面を下る頃には、辺りはずいぶん薄暗くなっていた。
*全行程の私の所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
登山口<27分>尾根(分岐)<54分>登岐山三角点<15分>大登岐山山頂
=計96分
【復路】
大登岐山山頂<9分>登岐山三角点<37分>尾根(分岐)<17分>登山口
=計63分
*尾根に出てから山頂まではブッシュが深いので、休憩時間やその回数は通常よりかなり多めに見積もってコースタイムに加算してください。
備考
登山道に水場はありません。
大登岐山の山名については当HP上でも様々な論議がありましたが、ここでは高知県の登山家「谷山省一郎」さんの名づけた「大登岐山」を採用いたしました。
ちなみに、この山の"本来"の名前は地元では「天狗岳」と呼ばれていたそうです。
大登岐山は岩峰なので歩行には充分注意してください。
特に西端の「林班界標点」に行く場合、一枚岩のスラブでは慎重な歩行が求められます。少しでも躊躇したなら引き返してください。無理をされなくても、山頂のテーブル岩に立てば北の展望も覗き見ることはできます。
桑の川林道から桑の川を挟んで対岸に見える滝は岩肌を赤いコケが彩るところから「赤滝」と呼ばれています。
豪雨の後にはこの滝の右手にも更に大きな滝が出現し、さながら2匹の龍が戯れるように見えるそうです。
この赤滝の水は、その昔、兵庫介が敵七騎を切り捨てたという「斬込渕」を清めながら汗見川に注ぐ、土佐の名水です。
赤く苔生した岩肌が赤滝の由来。