急登を登りきると一旦下り、小休止した後は再び登り坂になる。
左右に形の良いブナを見ながらササの中の踏み跡を辿ると、やがてスズタケが深くなり、人ひとり通るにも窮屈な狭い道になる。
頭の上にまでおおいかぶさるスズタケをしゃがみながらくぐり抜けて黙々と上をめざす。
かつて三傍示山に三県から街道が通じていたというのは信じがたいような道である。
スズタケの中、倒木などを避けながら進んで行く。
スズタケに些かうんざりして息も上がってくる頃、ようやく三県の境界に出て前方の展望が開ける。
ここまで笹ケ峰峠から約1時間。
高知、徳島、愛媛の三県境界は徳島県側が刈り払われていて東方向の展望が楽しめる。
三傍示山山頂はもうすぐだが、しばし展望を楽しむためザックを降ろした。
三県境界付近。ここからは愛媛徳島の県境を三傍示山へと向かう。
三県境界からは、南西にお隣の野鹿池山が覗き、東には天狗塚から三嶺、剣山、手前には祖谷の国見山や寒峰も見えている。
幾重にも重なるやまなみは見飽きることがない。
ちなみに、この三県境界からは南へ高知徳島の県境に沿って道が下っており、こちらは野鹿池山とのほぼ中間を走る林道「浦谷平線」へと下っている。
こちらから三傍示山に登ってくる場合は、県境をほぼ忠実に林道から1時間程度でこの三県境界に来ることができる。
中央遙かに三嶺や剣山、左手には国見山などの展望が広がる。
さて、展望を楽しんだ後は再びザックを背負い三傍示山に向かう。
ここからは高知県境を離れ、落ち着いた林の中、地籍調査の杭を辿りながら徳島愛媛の県境を北へと進み、やがて坂道になると段々に区画を切って刈り払われた一帯を登りつめて三傍示山の山頂に到着する。
三県境界から山頂までは10分足らずの道程である。
辿り着いた山頂は徳島県側が刈り払われていて案外広々としている。
山頂には3等三角点の標石や地積調査の標柱などがあるが山名板は見あたらない。
枯れ残ったススキなどがある三傍示山山頂。
三角点のある山頂からは西に展望が開けており、目の前の笹ケ峰から橡尾山、カガマシ山、ガラタケノ森、奥工石山と稜線を目で追うことができる。
また、カガマシ山の北には三ツ足山が、彼方には赤石山系も見えている。
三角点の標石から向こうは愛媛県。後方には笹ケ峰やカガマシ山などが見えている。
一方、山頂から北東に広がる気持ちの良い林を2〜3分で抜けると東方向の眺望が楽しめる。
三県境界で眺めた三嶺、剣山が少し見える方向を変えて再び私たちの目に飛び込んでくる。
地図を広げながらあれこれと徳島県の山を山座同定するのも楽しいに違いない。
なお、尾根は更に北へと踏み跡が延びており、愛媛徳島の県境尾根を辿れば剣ノ山から登ってくることも出来るようである。
三傍示山山頂の北東に広がる新緑の林で昼食をとり下山する。この画面奥に行くと東方向の雄大な展望が楽しめる。
ところで、「土佐州郡志」によれば三傍示山は「(南土州)、北予州、東阿州、三国之所域之処故名焉。阿州人曰三傍示、予州人則曰三峰。」とある。
この山は古くから境界の山としてその名を知られていたが、しかし現実には三県それぞれの奥地辺境に位置し不遇な山であったとも言える。
それだけではない、山にすればその身体を3つに分断され、保護するにせよ開発するにせよ三県まちまちの対応であったろう、今ここに立って県境を目で追うだけでもその違いは明らかである。
だが、不遇なだけの辺境の山かと言えばそうとばかりも言えない。四国の地図を開けばしっかりその中央に屹立し、見方を変えれば三県を従えているともとれる。また、三傍示山の稜線によって三県に隔てられた清流は、それぞれの県の流域を潤しながら、ついには吉野川という大河でひとつになる。
思えば三角点が何処にあろうと、県境が何処に引かれていようと、山に対する思い入れこそが大切であり、冒頭の言い訳じみた様な記述は笑われそうである。
しかし、しかしである。そうはいっても私が時の権力なら、やっぱり三角点の傍に高知県の旗印を掲げたことだろう。
三傍示山にはそれだけの由緒と山容が兼ねそなわっていると私は思うからである。
*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
登山口<34分>笹ケ峰峠<1分>笹ケ峰山頂<7分>杖立地蔵<5分>笹ケ峰峠<58分>三県境界<9分>三傍示山山頂
【復路】
三傍示山山頂<5分>三県境界<45分>笹ケ峰峠<20分>登山口
備考
登山道に水場はありません。
下山後には立川番所書院(国重文)などに立ち寄られると良いでしょう(笹ケ峰の項参照)。