三光ノ辻山 2002年10月25日
三光ノ辻山は、池川郷(高知県池川町)、東川郷(愛媛県美川村)、大味川郷(愛媛県面河村)の三郷の境界に位置していたことから、古くは「三郷ノ辻山」と呼ばれていたものが転じて「三光ノ辻山」と呼ばれるようになった予土県境の山である。
手元にある書物によれば「山頂からは石鎚山をはじめ四周の山々の眺望にすぐれ晴天時には太平洋まで望まれる」とあり、また、最近愛媛県から出版されたガイドブックでは「自然林楽しめる頂上付近」ともあったので、大いなる期待に胸を膨らませながら、少々気乗りしないY子さんを説き伏せて国道33号線を北上したのだったが・・・。
三光ノ辻山の登山口がある愛媛県美川村西谷の集落へは、高知市方面からだと国道33号線を愛媛県美川村に入り役場のある御三戸(みみど)から国道494号線を東に向かうルートと、池川町中心部から国道494号線を西に向かうルートとがあるが、圧倒的に前者をお薦めする。
後者の土居川沿いの道は蛇行が多いうえに車幅も狭く落石などの危険があるが、前者のルートは距離の割には神経を使わないで済む。
登山口に向かう広域基幹林道「東古味西谷線」は、予土県境の「境野トンネル」の西にある。池川町から来たならトンネルを抜けて最初に出会う右手への分岐がそれである。
林道入り口には作業小屋があり、林道名を書いた標が立てられていて、林道に入るとすぐには立派な墓地があり驚かされる。
林道で最初に出会う左手の脇道はやり過ごして道なりに進み、舗装が切れるとすぐの右カーブ、山手のコンクリートの護岸擁壁が終わった所が今回の登山口である。林道入り口から登山口までは距離にして約1kmである。
林道脇の登山口から歩き始める。
入り口には何の指標もないが、賑やかな赤やピンクのテープに、いくつかの木の杖などがあり、それとなく判る。
ちなみに、マイカーの駐車は登山口を過ぎてすぐの路肩側(左手)にある乗用車2台ほどのスペースを利用させてもらうことにした。
早速、登山口から歩き始めるとすぐに低いササの中を歩いて薄暗い植林の中へと吸い込まれてゆく。
かつて生活道として頻繁に利用されていたのであろう、しっかりとした道が続いている。
静かな杉林に自分の息づかいだけを聞きながらゆっくりと尾根の左手を登って行く。
植林のもと、ササの中に明瞭な道が延びている。
やがて水源かん養保安林の看板を過ぎて、足元にツルリンドウの赤い実を見ながら、登山口から15分も登ってくると尾根に出て、ここからは間伐された杉林の中をなだらかに北に向かう。
殺風景な植林の中をなだらかに行く。
ほどなく登山道は方向を東に転じて、伊予美川の西谷集落と土佐池川の瓜生野集落とを結んでいた往還を進むことになる。
石積みや炭窯跡など古き良き時代の残り香を嗅ぎながら山肌をトラバースして行くと、やがて両側にスズタケが目立ち始めて県境の尾根に出る。ここまで登山口から30分足らずの道程である。
峠には石積みに守られて素朴な彫り様の石仏と和やかな顔立ちの舟形地蔵が待っていた。
地蔵の前には2つの手水鉢があり、共に「文久元年酉四月」(1861年)の年号が刻まれてある。
手前の苔生した手水石には「奉、瓜生村、友平」の文字が、左の舟形地蔵には「施主、久保田亀次」の名が認められる。瓜生村は瓜生野のことであろう。なお、これらは両県によってそれぞれに祀られたものとも考えられるが、当時の生活圏と地蔵の向きなどから、あるいはすべて土佐人によって奉られたとも考えられる。
峠の地蔵に挨拶をして最初の小休止をとる。
さて、峠の地蔵に別れを告げると、往還を外れて県境を北に向かう。
相変わらずの植林を10分ほど登ってくると、傍らに樋の施された小さな水場を見つけるが、辺りがぬかるんでいる程度で肝心の水は残念ながら涸れてしまっていた。
更に5分ほど道なりに登って行くと折り返すように尾根に出て北には雑木林が広がる。
そのまま尾根を真っ直ぐに行くとすぐにマツの木と出会う。株元には赤いプラスチックの標柱が立っている。
ここで、そのまま尾根に沿って登っても山頂に向かうことはできるが、私達は少々回り道ながら明確な道を辿ることにして、ここからは尾根を左に外れリョウブやカエデなどの雑木林をトラバースすることにした。
マツの木から左へなだらかに行く。右に向かうと尾根ルート。