去山  2003年4月29日

峠の地蔵に逢いに行こう。しかしその往還は藪に包まれ道も廃れているに違いない。
そう覚悟していたのだが、予想に反して快適な道中だった。
毎回こういう期待はずれなら大歓迎である。

伊野町の最北、中追には、断崖絶壁に囲まれ渓谷にへばりつくようにして、滝屋、小塩、去山などいくつかの集落がある。
その集落と北に険しい山を隔てて吾北村とを結ぶ峰越しの道が幾つかあり、そのうち、吾北村思地(おもいじ)と伊野町去山(さるやま)を結ぶ往還に、めざす樫ケ峠(かしがとう)がある。
今回登る去山(さるやま)と大久保山(おおくぼやま)は樫ケ峠を挟んで東西に対峙している山なのである。


国道194号線で仁淀川を遡り、伊野町川口から県道292号線(思地川口線)を勝賀瀬川沿いに進み、小塩から去山に向かう。
狭い車道を何度もハンドルを切り返しながらジグザグに高度を稼いでゆく。
やがて、去山の最奥にある民家にさしかかると、庭先で農作業に精を出す老夫婦がおられたので、声を掛けると、手を止めて親切に応対してくれた。
そこで案内された通りに登山口に向かい民家の上方を通り、狭い車道を更に登って行くと間もなく車道は分岐になる。
ここで左手の車道へと折り返すようにして、更に分岐から400mほど走ると、植林の切れ目で右手に道が現れる。ここが登山口である。
なお、車道は真っ直ぐに行くと100mほどで終点になる。


登山口。正面の林に向かって歩き始める。

「この辺りならたとえ道の真ん中であろうと、どこに駐車しても差し支えないから」とさきの老夫妻には言われていたが、そうはいっても万一のことはある。なるたけ邪魔にならないよう注意し、狭い車道の脇に駐車してから身支度を整える。
峠までは最近道を整備したからと聞いてはいたが、一応、藪も覚悟してスパッツを取り付けた。

登山口から広い道を歩き始める。
植林の中にシイタケのホダ木を積んである脇を通り抜け、少しなだらかに行くと、道はすぐに植林を抜け出る。
両手を広げて悠々歩ける広い雑木林の中の道はやがて登り坂になり、折り返して伐採地を登る。
タラの芽やタケノコなど春の景色を眺めながらほぼ同じ勾配で登って行くと、山肌にツツジが映えて美しい。
振り返ると東には伊野町と鏡村との境界尾根が波打ち、焼野森林公園の裏山にあたるとおぼしき峰々が覗く。


伐採地を登って行く。左奥に大久保山がのぞく。

伐採地を登り切ると雑木林に入る。道の脇にはミツバツツジが満開で足を止めてその愛らしい花びらを眺める。
アカマツやカヤの木、カシやヤマザクラ、リョウブなど春の芽吹きは優しく、花のようなアセビの新芽も美しい。
ところどころに立つ実生のスギも枝振りが良い。
そんな林を登ると、登山口から20分足らずで植林の脇に出る。ここで左手に脇道が現れるが、この作業道は無視して、真っ直ぐになだらかなトラバース道を進む。


雑木林の新緑の中を快適に進む。

ヒノキ植林と雑木林との境をやや下り気味に行くと、右前方に町境の尾根が見えて、北にはめざす樫ケ峠が覗いている。
3分ほどトラバースすると正面に大きな弘法大師像が見えてくる。
大きな岩のもと、石を積んだ台座に立派な弘法大師像が立っており、正面に一本のツバキは赤い花をいっぱいに咲かせ、傍らにはフタリシズカが花を着け始めている。

 
水場に立つ弘法大師像(左)と、岩清水を受ける手水鉢(右)。

この弘法大師像は地元の有志によって最近建設されたもので、ここにもともとあったお大師さん(大師像)は樫ケ峠に移された。
ここには大岩の亀裂から冷たい水が滾々と湧き出ており、まさしく「大師の岩清水」である。
弘法大師と湧き水といえば、例えば大師が地面を杖で突くと清水が湧き出たという「閼伽井の泉(あかいのいずみ)」など、清水伝説(弘法清水という)は数え切れないほどあるが、ここの大使像もそんな伝説に由来するものであろう。
この水場には岩清水を受けるように手水鉢も置かれてあり、そこには明治の年号が刻まれ、「上八川の出、隅田某」と寄進者の名前も一部見て取れる。
この岩清水は古くから峠越えの旅人の喉を潤してきたのである。

ひとまずここで小休止にしてザックを下ろし、岩清水を両手で受けてから口に運んでみた。すると、柔らかで甘い味がした。

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