水場を発つと道は昔ながらの細道になる。
少し登って植林帯に入るとなだらかになり、ひんやりとした横道が続く。
やがて左手に尾根が近づくとすぐに分岐が現れる。ここからも尾根を北に越して上八川大久保に通じる山道が認められる。
ちなみにここで町境の尾根を西に行くと大久保山に至るが、そちらは帰途に立ち寄ることにして、ひとまず樫ケ峠に向かう。
尾根の分岐からは雑木林を経て再び植林になるが、間伐された植林は明るく、暗い感じは受けない。
山道はすぐにまた雑木林に入るとオンツツジが山を染め、足元にはシュンランが緑鮮やかに見える。
そうして尾根の分岐から5分ほどで樫ケ峠に辿り着くと、そこには恋い焦がれていた峠の地蔵がちゃんと私を待っていてくれた。
植林に囲まれた樫ケ峠、中央に地蔵が鎮座している(左)。2体の地蔵と弘法大師像(右)。
写真で見た通りにまん丸で「こけし」のようなお地蔵さんと、肩から上が欠けてしまって首無し地蔵になった石仏とがお互いをいたわり合いながら寄り添っていて、その傍らには水場から移されたお大師さんが座っている。
峠のお地蔵さんは、もとは近くのスギの木のそばにあったものがスギの倒壊により散逸していたものを、高知県登山界の重鎮である山崎清憲さんが苦労して探し出してここに祀ったものだといわれる。
私たちも頭の無いお地蔵さんの上部をしばらく探してみたが残念ながら見つからなかった。
さて、峠の地蔵を後に、まずは東に去山の三角点をめざすことにする。
峠から去山に向かっては、吾北村と伊野町の境界尾根に薄いながらも明らかに踏み跡がある。
それを辿ると、左手の吾北村側は鋭く切れ落ち、地殻変動の断層を思わせるような崖が続く。
しかし、右手の伊野町側はなだらかで、両側ともに気持ちの良い雑木林が広がっている。
町境の尾根を行く。左手は鋭く切れ落ちているが樹木のせいで恐怖感は薄い。
頬をなでるような藪もなく、スパッツも必要ない。辺りの新緑は目に鮮やかで、緑にも様々な色具合があるのが分かる。
ところどころにはアカマツやアセビなども混じり、山中にはミツバツツジが満開で、グイミの実も赤く熟れ始めようとしている。
そんな林の足もとにはホウチャクソウが一輪の花を垂らし、シャガが扇を広げ、カンアオイが複雑な模様を描いている。
ふと見るとイチヤクソウは去年越しの実を抱いたままで今年も蕾を差しだし始めている。なんとも急ぎ足がもったいないような林が続き、いつもなら山頂へと急ぐ私たちも、ここなら立ち止まったりしゃがみ込んだりと、そんな時間の無駄遣いも許せてしまう。
目の前のミツバツツジに足を止める(左)。蕾を伸ばし始めたイチヤクソウ(右)。
樫ケ峠から10分あまり来て小さなコブを越えてから登り返すと、やがてモミやヒノキが見えてきてぽっかりと去山三角点に飛び出す。
三角点のまわりは狭いながらも刈り払われていて鬱蒼とした感じはない。
山頂には4等三角点の標石が肩まで土に埋もれてある。最近設置された真新しい三角点ということもあり山名板は見あたらない。
ここからは僅かにではあるが東から北に展望も開け、五在所山や筒上山、瓶ケ森などがうっすらと遠望できて、晴れていれば石鎚も見えただろうけれど、生憎今日の天気は下り坂で高い山には重い雲が立ちこめていた。
去山山頂にて。背後に見えるピークは大久保山。画面中央あたりに三角点がある。右は山頂からの展望、中央下に吾北の集落、左手前の山は宮之西山、後方のやまなみは石鎚山系。
さて、去山で一息つくと、尾根を更に東に辿りもう一つのお地蔵さんを見に行くことにする。
滝屋と上八川寺野を結ぶ往還の峠にも地蔵があり、当初から私たちはそこまで足を延ばすことにしていたのである。
去山を後にやや北向けに植林帯に入るとすぐに方向を東に転換し踏み跡を辿る。
尾根の右手をトラバースし、コルで尾根に接近すると、北斜面は足もとまで掘れ込んでおり注意しながら足を運ぶ。
このコルから北には吾北村戸谷ケ森から西のなだらかな尾根が覗いており、眼下には上八川の山間集落を俯瞰することができる。
コルから再び尾根の右手を巻いた道を進めば辺り一面薄暗い植林に覆われ、なだらかなバカ尾根になる。
スギの葉が降り積もってはいるが踏み跡ははっきりしており、正面に見えてきたこんもりとした丘の右手を巻けば、道の脇に大きな杉の木が見えてきて、峠に着く。