さて、コーヒーを飲み終えてしばらくしても、一向に減る気配が無いばかりかますます増えてきた花見客の喧騒を後に、私たちは下山を開始した。
篠山神社の石段を下りきると「篠郷」への道標に従って津島町祓川に続く山道に入る。
山腹にはヒノキの巨木が林立し、アセビやヒメシャラも群生している。
自然の芸術を見るようなヒノキの古木。
横平と呼ばれるなだらかな林を道なりに歩いて行くと左手に形の良いヒメシャラを経て、山中に丁石を見ると、シシの踊り場と呼ばれるその先からはシカ除けネットに沿って一直線に下って行く。ちなみに、シシの踊り場のシシとはカノシシ、つまりシカのことであり、繁殖期に雄ジカが集まって戦う姿からこう名付けられたと言われる。
まるでブナのような枝振りのヒメシャラに見とれる。足もとには一丁と刻まれた丁石がある。
アセビの大木などが茂る林を快適に下ると、登山道はネットの外に出て、ヒメシャラの群落やヤブツバキ、アカガシの古木などの林を更に下り、四つ辻で大きな道標石と出会う。
安政七年(1860年)に立てられた石柱には、「右本社」「左寺道」と刻まれている。
「右本社」とは篠山山頂に立つ篠山神社のことで、「左寺道」の「寺」は観世音寺のことを指している。
この道が伊予の津島町犬除(いぬよけ)から千石尾根を経て山頂に至る通称「裏参道」と呼ばれていた時代の名残である。なお、祓川(はらいがわ)渓谷を伝い焼滝(やけだき)から山頂に至る「新参道」もここで合流している。
道標として安政年間に立てられた石柱。
ここで私たちは「左寺道」にとって、観世音寺跡へと向かう巻き道に踏み入れた。
新緑の林の中、ネットの外側に沿って篠山の北斜面をトラバースする道を辿ると、歩行に注意しなければならないガレ場や急斜面も一部にはあるが、高低差は少なく概して苦労は少ない。
かつて国境論争の中で宇和島藩が言うところの「蓮華座」と呼ばれる一帯を取り巻くようにして横道は山腹を縫ってゆく。
ドウダンツツジが見所というこのルートには、山中に白骨化したヒノキやコウヤマキが散在し、照葉樹はその名のごとく太陽の光を受け返して眩しく輝き、春を感じて動き出した落葉広葉樹は萌黄色の新葉をまとって、もちろんアケボノツツジも相変わらず山肌に色を添えている。
観世音寺に向かってトラバースする(左)。登山道の脇で豪華な花を咲かせ始めたシャクナゲ(右)。
心細い水の流れを渉るとしばらくガレ場が続き、やがて登山道の脇に咲き始めのシャクナゲを見つけた。その淡い朱色もまたアケボノツツジとは違って独特の味がある。
賑やかな表参道とうってかわって静かな横道では行き交う人もいない。この静寂が永らく信仰の霊山であった篠山の本来の姿なのかも知れない。
そんな横道も、石柱から20分ほどトラバースして山界標石を通過し、アカガシの大木やウラジロガシの林を抜けると、眼前に大きな杉の大木が現れる。
これが樹齢1000年ともいわれ、愛媛県下一を誇るという「観世音寺の大杉」である。
目通り周囲6mはあろうかという巨木は空に突き刺さるようにその幹を伸ばし、苔生した木肌や風雪に耐えた枝葉は偉容を湛えている。
大杉の巨木の前で。
さて、ここまで来ると行きに通った観世音寺跡は目の前である。
「大杉」からまたたくまに観世音寺跡に出ると、後は往路を引き返し、20分もあれば登山口まで帰り着くことができる。
ところで、アケボノツツジの頃には観光客目当てにアイスクリーム屋さんが店を出していると事前に友人から聞いていたが、なるほど下山してみると駐車場の前にいつの間にかお店が出ていた。
大喜びでさっそく買い求めてから、たちまち口に運べば、初めての篠山歩きはこれでひとまず完結するのだった。
南予のやまなみを背景に、あらん限りの花をまとったアケボノツツジの古木。
*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
第1駐車場登山口<19分>水場<8分>観世音寺跡<10分>不入の森<6分>山頂
=計43分
【復路】
山頂<17分>しるべ石<18分>大杉<1分>観世音寺跡<5分>水場<15分>第1駐車場登山口
=計56分
登山ガイド
【登山口】
高知市方面からだと、国道56号線の芳奈口交差点から橋上平田線で県道4号線(宿毛津島線)に連絡して松田川沿いに北上します。
やがて坂本ダムを通過してしばらく走ると、三叉路で「篠山登山口(第一駐車場へ10K)」の看板に従い県道と別れて「南郷(なんごう)林道」に入ります。林道を約9km走ると右手に登山口が見えてきて、左手に第1駐車場が現れます。駐車場にはトイレもあります。
なお、広い第1駐車場ですが、アケボノツツジの花時であるゴールデンウィークには満車になることもあります。その場合は、林道を更に500mほど先に行けば第2駐車場があります。シーズンには駐車整理員がおられますので指示に従ってください。
第2駐車場に駐車した場合は、第2駐車場登山口から約40分で観世音寺跡にいたります。
また、愛媛県北宇和郡津島町の犬除から祓川林道を利用して焼滝経由で登る「新参道」もよく利用されています。その場合は登山口から山頂まで所要約2時間です。
なお、愛媛県松山方面他、高知県以外の各県からは2004年4月17日に開通した松山自動車道西予宇和ICを利用すると良いでしょう。
その他、祓川林道の祓川温泉付近から山道に入り、千石尾根を辿る「裏参道」などのコースもあります。
【コース案内】
登山口から山頂まで道標もよく整備されていますので迷うことはないと思います。
下山は往路を引き返せば30分ほどで登山口に帰ることができますが、時間が有れば文中に紹介したように山頂の北斜面をトラバースすると良いでしょう。シーズン中でも静かな山歩きが楽しめます。
なお、下山に往路を引き返す場合でも、観世音寺跡の近くにある大杉に立ち寄ることをお奨めします。観世音寺跡から大杉までは往復3分ほどです。
また、観世音寺跡から木橋を渡り第2駐車場に下山するコースを辿った場合は、第2駐車場から第1駐車場まで林道を上り返すことになります。
備考
アケボノツツジは隔年開花(隔年結果)しますので花目当ての登山には注意が必要です。なお、例年の見頃はゴールデンウィークの4月下旬〜5月上旬頃で、シーズンには宿毛市と一本松町の職員が交互に開花具合を確認に出かけますので、問い合わせると良いでしょう。
篠山の見所はアケボノツツジの他、ホンシャクナゲ(花時は5月上旬頃)やコウヤマキや樹齢300年を超えるハリモミの群落、ヒノキの古木や観世音寺跡の近くにある大杉などが有名です。ただし、愛媛県の三大天然林といわれるハリモミの群落は不入の森の西斜面の入山制限区域なので遠望するのみです。
なお、アケボノツツジやシャクナゲなど様々な木々が着生することから「十色のコウヤマキ」と呼ばれる推定樹齢500年の古木は山頂の東斜面にあるそうです。
山頂に立つ土予国境の標石は文中でも述べたように明治6年に立てられたものです。しかし、いくつかのガイドブックには明治16年とあります。これはおそらく南予の山々を紹介した15年ほど前の某名著の誤りをそのまま引用したためではないかと思われます。