四十寺山 2003年11月
四国霊場八十八ケ所の中には奥の院がいくつかあって、その奥の院ばかりを訪ねる巡礼も最近のブームという。奥の院は神仏降臨の地や開山祖師の修行場などで、山上や岩窟など霊験あらたかな聖地として自然豊かなところが多い。高知県では池山や鉢伏山などが山中に奥の院をもつことで有名である。
そして、今回登る四十寺山には第24番札所「最御崎寺(ほつみさきじ)」の奥の院がある。
その奥の院に向けて、かつての参道を歩いてみたいとはるばる出かけてきたのだが、古道は今はもう歩けないと聞かされて、今日はひとまず「現在」の参道を歩いてみることにした。
登山口から作業道を歩き始める。
参道入り口は、稲石から山田に折り返す、細い車道の脇にある。
わずかな待避所に車を止めると、銃猟禁止区域の看板だけが立つ入り口から、収穫の終わった水田を眺めつつゆっくりと歩き始める。田んぼの畦ではススキが微風に穂を飛ばしている。
軽自動車一台分の狭い作業道をなだらかに行くと、まもなく舗装は終わる。
途中の脇道は無視し、道なりに辿るとやがて尾根を越して右に曲がるヘアピンカーブで向かいの尾根筋が見えてくる。道の脇の立木には「遍路道」と赤書きされた標が下げられてある。遍路道でお馴染みのあの小さなプレートである。つまり、奥の院巡りの遍路道が今はこのコースであることの証でもある。
照葉樹林を貫く作業道を更に進むと、まもなく前方にポンカンがたわわに実った果樹園が見えてくる。その入り口あたりで、左手に山道が現れ「四十寺登り口」の立て看板が現れるので、それに従い山道に入る。
果樹園の手前で山道に入る。
左手にヒノキの植林を見ながら擁壁の上の山道を歩き、照葉樹と植林を繰り返して痩せた尾根を辿ると竹林に入る。
所々現れる脇道は無視してただひたすら見るべき物もない作業道を歩き続けると、道は次第に荒れてくる。運搬車(クローラ)でも難儀しそうな荒れた作業道は山肌を縫って上をめざしている。
荒れた山道を辿る。小谷には垂木橋が渡されていたりする。
面白くもない作業道歩きも、やがて道に覆いかぶさる照葉樹が途切れると、待ちかねていたかのように展望が開ける。麓に室戸市市街地を見下ろしながら足を止めてみる。大海原に突き出した岬の向こうには太平洋が広がり、コバルトブルーの空には薄い雲が棚引いている。ふと見ると、路傍にはツワブキや野菊の花が咲き、頭上ではクサギ(臭木)がその名を雪(すす)ぐように美しい実をかかげている。確かな秋の深まりにいつしか心も和む。
俄然元気が出てくると一気に山頂を極めようとつい足早になる。ところが、それが災いしてか、その先の分岐で行く手を誤ってしまった。そこにはよく見ると、例の「遍路道」の標が下げられていたのだが、私たちはそれをうっかり見逃して真っ直ぐ尾根に向かってしまったのである。
おかげで竹藪では左右から倒れかかった竹に悪戦苦闘を強いられたのだが、それも数分で乗り切ると、作業道の状態はいたって良くなる。
後方に行当岬を眺め、池山などのやまなみも目線で辿りながら、更に登れば、やがて紀伊水道も覗きはじめる。そうして尾根に出た辺りで作業道を離れ、西に引き返すように林に入ると、小さなお堂や方丈が見えてきて四十寺山の山頂に着く。
四十寺のお堂(左)と、山頂にある室戸岬権現の祠(右)。
四十寺のお堂には十一面観音と脇侍の地蔵菩薩、薬師如来の三尊が奉られている。南路史や土佐州郡志(*1)によると、ここにはかつて最御崎寺があり、山上には山名の由来ともなった四十の寺があったという。しかし中世以降、最御崎寺が室戸岬に移った後は、忘れられた信仰の地だった。それゆえ、今でこそ再び脚光を浴びる奥の院の境内に、せいぜい古のものといえば藩政時代の燈明台や苔生した自然石の手水鉢ほどで、真新しい弘法大師の石像が異彩を放っている。
そのお堂の裏には小さな祠があって「室戸岬権現、宝暦二」と刻まれた古い石仏(石神)が祀られている。この宝暦二年(1752年)の自然石は四十寺山から近年になって出土したものだといわれており、この祠のある小高いピークが四十寺山の山頂とおぼしい辺りで、傍らの立木には山名板も下げられている。
四十寺山の山頂は周りをスギやサクラ、カゴノキなどの樹木に遮られて眺望は望めない。しかし、正面の石段を下ると展望所があり、そこからは室戸岬や室戸市街など南向けの眺望がよく、紺碧の太平洋が水平線まで眺められる。ここには「四十寺山」と書かれた木製の標柱が立っており、小さなベンチもある。私たちも、足もとで潮風に揺れるツリガネニンジンと一緒にしばらく景色を楽しんだ。
(*1)土佐州郡志には「旧有寺四十在山嶺故名今皆廃地」とある。平安時代中期まで最御崎寺(または「奥の院」)が四十寺山山上にあったといわれる。
展望所からの眺め。室戸市市街地の向こうに太平洋の海原が広がる。
ところで、四十寺山の三角点はというと、境内から引き返して先ほど歩いた尾根沿いの作業道を更に東に向かった山中にある。しかし、この日の私たちはここで引き返すことにした。なにしろ今日の予定は盛りだくさんである。これから東洋町の宍喰峠や元越えも訪ねる予定なのだから。後ろ髪をひかれながらも、またまた宿題を増やして山を下りることにした。
帰路は展望所から道なりに下り、往路に見逃した「正しい」参道を下ってゆく。この道にはススキが生え、シダや野草もぼうぼうだが藪こぎというほどのことはない。正面に行当岬などを眺めながら、往路に誤った三叉路まで下ると、あとは来た道を引き返す。
坂を下りながら、かつての参道があったらしい尾根筋を振り返ってみた。あの辺りには弘法大師が足跡を印した「にしり岩」(仏足石のようなもの)があるという。それもまた、積み残した宿題のひとつだった。
帰路には往路で見落とした「参道」を下る。
*私たちのコースタイムは以下の通り。
【往路】
登山口<18分>「四十寺登り口」の道標<26分>最終分岐<15分>四十寺山頂
=59分
【帰路】
四十寺山頂<8分>最終分岐<19分>「四十寺登り口」の道標<16分>登山口
=43分
登山ガイド
【登山口】
室戸市を東西に走る県道202号線(椎名室戸線)のほぼ中央辺りにある「室戸市消防署」の前から国道を離れて「北」に向かいます。室戸高校の横を通り、1.2kmほど行くと、下里から河内に通じる車道に出る手前に、小さな橋「いないしはし(稲石橋=稲石は「いなし」と読みますが橋の名前は「いないしはし」です)」があります。その橋の30mくらい手前に右手へ折り返すような狭い作業道が上がっています。ここが登山口で、入り口には「銃猟禁止区域」の看板が立っています。作業道は4WDの軽自動車ならもう少し奥まで行けますが、農作業の邪魔になるおそれがあるのでここから歩く方がよいでしょう。車は登山口の待避所か、河内に通じる車道脇に駐車します。
【コース案内】
登山口から作業道を5分ほど歩くと、左カーブで右手に二本の脇道が現れますが、無視して道なりに左へカーブして上方に向かいます。まもなく支尾根を越へ、右ヘアピンカーブを曲がると、やがて前方に果樹園が見えてきて、「四十寺登り口」の立て看板が現れます。果樹園の道は私道なので道標通りに左に逸れて山道に入ります。その後、竹林に入り、右手に下る道や左手に折り返す道などを無視して先に進むと、やがて林が途切れがちになり左手に室戸市街が見えてきます。この辺りを過ぎるとまもなく分岐(最終分岐)になります。右手の道には遍路道の「標」が下げられていますので、それに従いなだらかに上方をめざすと、展望所を経て四十寺に着きます。山頂はお堂の裏手です。なお、三角点は山頂の祠から東に林を抜けると作業道に出ますからそれを更に東に向かいます。また、旧参道は展望所あたりから尾根を下っているようですが確認はしていません。
備考
登山道に水場はありません。
四十寺山の三角点名は「しじゅうてら」ですが、正しい山名は「しじゅうじさん」です。
3等三角点名「四十寺」の標高は約383mですが、ここでは四十寺山の頂にある独標点「313m」を採用しました。また、扉ページの緯度経度には独標点の「おおよそ(大凡)」の値を掲載しました。事実誤認があればご指摘下さい。
登山口の近くには延喜式内社室津神社があります。
三角点や「にしり岩」を確認された方はお手数でもお教えいただければ幸いです。