清水ケ森 2003年12月
突然、清水ケ森に行こうと誘われて、簡単な昼食を済ませてから彼との待ち合わせ場所に向かった。
彼は最近、低山の三角点ハンターになっている。「点の記」をファイリングしては手近なところから次々に塗りつぶしているようである。
しかし、そういう山は大概展望にも恵まれず、登山道すら無い場合が多い。だから今回の清水ケ森もたいして期待はしていなかったのだが、楽しい発見というのは思わぬ所に落ちているものである。それは山中の所々で出会った小さな愉しい「プレート」だった。
清水ケ森の登山口は香北町岩改の市原集落にある。
一台の車に乗り合わせて来て、登山口のそばの緩い右カーブで車道の脇に車を止めた。
軽いザックを背負い、新道改修の記念碑のそばから歩き始める。すぐ上を走る車道に出ると数軒の民家の間を縫って、集落の奥に向かう。
車道はすぐに終り、終点に立つ車庫の手前から右上に登る農作業道に入ると、両側に棚田を見ながら、尾根に向かった。
記念碑の立つ登山口から歩き始める。
とっくに穫り入れの終わった棚田を抜けて、竿竹をたてかけてあるツバキの脇を通り、尾根伝いに雑木林へと入ってゆく。
地籍調査の標柱を追いかけながら登ると、足もとにはヤブコウジの赤い実が、頭上ではクヌギの黄葉が賑やかである。山中には耕作放棄された水田跡や見事な石垣なども見えている。
山道はヤブも無くしっかりしているが、傾斜はきつい。いきなり蛇行を許さない直登に、早くもふくらはぎが伸びてきた。次第に会話も途切れがちになり、喘ぐ吐息と踏みしめる枯れ葉の音だけが響いている。
やがて空が開けてくると、捨て置かれてカヤに覆われた一面の水田跡に出る。空に届かんばかりに築かれたかつての棚田が斜面を埋め尽くしている。その棚田の縁を登り、植林された水田跡まで這い上がる。ふと見ると、山道とは少し離れたところに小さな作業小屋があり、その軒先にはラグビーボールのように大きなスズメバチの巣がぶら下がっている。今が冬で幸いと胸をなで下ろす。
棚田を抜けると急坂が続く。
さて、作業小屋の立つ所から一段上の植林された水田跡に出ると、左にとり田んぼの畦を歩いて端に向かう。
ここから振り返ると、香長平野や高知市街の奥に太平洋までが遠望できる。雪ケ峰や秋葉山などの山々や、あるいは夜須のやまなみなども見えている。
田んぼの隅からは右上に折り返して登る山道に入る。
倒木を越えて植林に入ると、ここにも石垣が見える。僅かな水を追いかけて尾根のすぐそばまで耕作されていたらしい。
樹木に遮られその全容は掴みきれないが、麓から築かれた棚田は相当の規模だったに違いない。初夏なら水を張った棚田が五月晴れの空を映してそれは見事な眺めだったろう。ちなみに土佐では山をソラといい、浜をオキと呼ぶ。そういう意味ではソラを覆い尽くさんばかりの棚田が、山に囲まれた高知県の原風景だったのである。
それも、効率化や高齢化のもとで改良されたり放棄されたりして最近ではめっきり減ってしまったが、僅かな名残がここにはあった。先人の努力に頭を垂れながら、今は捨てられた名残を辿って尾根に向かった。
ススキに覆われた棚田の上部で西方向の眺望を楽しむ。
さて、尾根に近づいた頃、右上にトラバースするかすかな踏み跡を見つけたが、私たちは無視して尾根に出た。しかし、帰途に辿った別ルートは、その踏み跡の道だったのである。毎度のことながら下りてきて初めて分かる「かつての山道」であった
尾根に出てからひと息つくと、右に折れて、明確な山道を進む。道はコブの手前で尾根を逸れて、左手の山腹をトラバースしている。
まもなく山道は少し荒れ気味になり、倒木も散乱してくるが、意に介さず進んでゆくと、ふと、道のそばの立木に下げられた丸いプレートに気がついた。よく見ると森林組合の標識だったが、裏返してみると、そこにはあの有名な芭蕉の句と並んで「柿採ってもらひ身軽の木となりぬ」という句が書かれていた。
それから更に道なりに進み、左手に大岩を過ぎた辺りからヒノキの若木林に入ると、ここにもまた同じプレートが下げられていた。
もしやこれにもと、裏返してみると、はたしてここにも一句記されてあった。傍らに添えられた「山ありてたのし」の文字に大いに頷きながら、それにしてもこれはいったいどんな人の仕業であろうか。まるで人の通らない地味な山中に誰に見せるともなく書き記されたプレートに、いっとき謎解きのような思いを巡らせてみた。そして、愉快な遊び心に私たち二人は大いに和んだのだった。
山中にはこんな楽しいプレートがある。
何とも楽しい山歩きになった。ひょっとすると句を書き記したプレートはこの山中にまだまだあるのかも知れない。
まるで宝探しのようにわくわくして、その足取りは軽くなったが、意に反して山道は不明瞭になってきた。
山中に炭窯跡を認める辺りから明確な踏み跡は無くなり、地籍調査の杭を頼りにひとまず尾根の張り出しに向かった。
植林を抜けて雑木林になると、幸いなことに支尾根に沿って刈り払われている。最近地籍調査が行われたのであろう、その杭を辿り、尾根を直登することにした。
傾斜はきついが、すっかり葉をふるった木々の間からは北のやまなみが覗きはじめた。
向かいには谷相ののどかな集落やひときわ存在感のある御在所山があって、その奥には白く冠雪した梶ケ森も見えている。山が緑をまとう季節には見られなくなるだろう景色にひととき足を止めた。
尾根の急坂が終わるとなだらかに植林の縁を行く。
支尾根の刈り払い道はやがて正面にヒノキの植林が見えてきて、なだらかになった。
するとまもなく、あの楽しみにしていたプレートが見えてきた。あったあった、と声をあげて足早に近づき、さっそく裏返すと期待を裏切らなかった。ところで、このプレートの近くで山道は分岐になり、右手へ下る踏み跡が認められる。記された句には「道しるべ倒れしままや山眠る」とあり、ひょっとするとかつてここには何らかの道標が立っていたのかも知れない。帰路はこの踏み跡を下ることに決めてから、分岐を後に直進して山頂に向かった。
やがて岩が点在した平坦なコブの一角に出てから、更に小高い所をめざすと植林の切れ目に国地院の標柱が見えてきて、縁石に囲まれた三等三角点の標石が現れた。
辿り着いた清水ケ森の頂は北に植林、南に雑木林があり、西方向だけ防火帯状に伐採されている。わずかにその方角だけ展望が得られ、眼前に聳える秋葉山の肩をかすめて香長平野が見えている。午後の陽射しに眩しく輝くハウスの群れを越えて、遙かに太平洋も広がっていた。
清水ケ森の山頂。切り株や縁石に囲まれて三角点の標石がある。
帰途は、例のプレートから分岐を左にとって、尾根沿いに下ることにする。
少し下ると待望のプレートが現れたが、残念なことにここには何も書かれていなかった。なんだか外れクジを引いたような淋しい思いになったが、それも思えば心憎い演出である。何も書かれていないものがあるということは、プレートを探す楽しみにそれをめくる楽しさも加わるということである。
そうして、期待や失望を繰り返しながら楽しませていただいたプレートも、芭蕉の名句を最後に、それ以後出会うことはなかった。
ところで、植林と雑木林の境を通る地籍調査の筆界に沿って下ってきた山道は、やがて筆界と離れ、コブの手前で尾根を左に外れて倒木の散乱する荒れた踏み跡を辿ると、ほどなく道の左手に見晴らしの良さそうな岩場が見えてくる。
瀧のような岩の上に立つと、南の眺望に恵まれた。
ここからは、下方に菅沢(すげざわ)の集落を俯瞰し、対岸に横たわる秋葉山の尾根には、柳沢(ぞうざ)から文代(ぶんしろ)に到る車道も見える。
そして、空に溶け込みながら折り重なるやまなみには大峰山や城山などが臥していた。
展望の岩場から、対岸に秋葉山の尾根筋を見る。
一時して山道に戻るとすぐに往路と合流し、後はあれこれ日常の話題に花を咲かせながら一気に山を下った。
やがて民家の見えるあたりまで下ってきてから、あらためて今日の山を振り返ってみる。
なるほど、清水ケ森という山は、頂に立った時よりも、小さなプレートに出会った時の方がいくらも喜びの多い、そういう山だった。
*私たちのコースタイムは以下の通り。
【往路】
登山口<3分>車道終点<23分>尾根の手前の分岐<9分>炭窯跡<13分>プレートのある分岐<3分>山頂
=51分
【帰路】
登山口<2分>プレートのある分岐<16分>岩場の展望所<3分>尾根の手前の分岐<19分>車道終点<2分>登山口
=42分
登山ガイド
【登山口】
高知市方面からだと、国道195号線で香北町に入るとまもなく右折して県道233号線(香北龍河洞線)に入ります。やがて岩改で左折してほどなく緩い右カーブで左手に市原の集落が現れます。ここにはゴミの収集場があり、新道開通の記念碑が立っています。車は付近のスペースを利用して駐車します。
【コース案内】
文中で紹介した通りに辿っていただければ、おそらく迷うこともなく三角点に至ることでしょう。ただし、途中の作業小屋にあったスズメバチの巣には充分な注意が必要です。
なお、帰路のコースで一部地積調査の筆界を辿りますが、筆界は植林と雑木林の境を通っていますので、時折、歩きやすい植林の方に逸れながら下ってゆくとよいでしょう。また、途中で地籍調査の筆界から離れる辺りは少し戸惑うかも知れませんので、地図とコンパスは携行してください。
備考
登山道に水場はありません。
文中で紹介したプレートを私たちは6枚発見しました。しかし、まだ山中には私たちの知らない所にプレートがあるかも知れません。他にも見つけた方はお知らせください。
なお、プレートに記された句をすべて紹介することは、登山者の興味を損なう畏れがありますので、ここでは一部の紹介にとどめました。
車の回送が可能なら山頂から平家ケ森に下るのもよいでしょう。