鈴ケ森 2004年10月
歌舞伎で「鈴ケ森」といえば権八小紫物の決定版である「浮世柄比翼稲妻(*1)」が思いおこされる。白井権八と幡随院長兵衛が鈴ケ森で出会う場面は、「お若けエの待たっせやし」「雉も鳴かずば撃たれめエ」などの名セリフと一種ユーモラスな立ちまわりで、今も時々上演されている。ところで二人の出会う鈴ケ森は実は江戸の処刑場であった。東海道品川宿の近くにあった鈴ケ森刑場は東京都の史跡として現在も残されているが、そこは到底、私には訪れる気のしない場所である。
一方、これから登る「鈴ケ森」はまるで人の匂いがしない自然あふれる場所である。大野見村や窪川町の最高標高点として、四万十川を巻き込むようにして裾野を広げる鈴ケ森山系は、古から人々に豊かな自然の恩恵を与えてきた。かつて大野見村島ノ川に入山してきたという木地師もその豊富な森が目当てであった。江戸時代の材木商による筏流しや、その後の営林事業によるトロ道(トロッコ道)での搬出により、伐採され尽くした山にかつての面影はないが、それでも歩く尾根筋にはアカガシをはじめとして豊かな樹林が発達している。
そんな鈴ケ森に向かったのは島ノ川の渓谷が色づき始める神無月のことだった。
(*1)「浮世柄比翼稲妻(うきよづかひよくのいなずま)」は四世「鶴屋南北」作の9幕19場からなる歌舞伎狂言。殺人を犯して江戸に逃げた鳥取藩士平井権八は自首して延宝七年(1679年)に処刑され、その愛人であった吉原の遊女小紫はその墓前で自害する。目黒の「比翼塚」の由来であるこの物語に、江戸の侠客幡随院長兵衛を絡めて脚色したもので、「鈴ケ森」や「鞘当」の場が著名。
鈴ケ森峠から尾根に向かって歩き始める。
しかし、先の台風で紅葉は普段の半分もなく、途中で林道を塞いだ松の大木にはずいぶん難儀させられた。それでも樽ケ谷の滝見物などをしながら長い長いアプローチを終えてようやく鈴ケ森峠にある登山口に立った。
切り通された林道の鈴ケ森峠から折り返すように尾根に向かう山道に入ると、いきなり後方に四国カルストが見えている。すると、もうここは東津野村の南端なのだと納得させられる。
すぐに尾根に取り付くとなだらかに雑木林を登ってゆく。辺りにはところどころにふた抱え近くあろうかというアカガシやツガの大木が目に入る。
足もとにコウヤボウキの花などを見ながら、ほぼ同じ勾配で坂を登るとまもなくなだらかになり、右前方にはめざす山頂がちらほら見えてくる。アセビやヒメシャラ、リョウブなど雰囲気の良い林にはいろんな形のアカガシがある。途中、右に向かう巻き道をやり過ごすと尾根を辿って小さなコブを通過する。山中からは猿の鳴き声が聞こえ、足もとには彼らの食料ともなるツガの実が散乱している。
樹種豊富な林を通る尾根道。
コブからなだらかに来て、樹間から県境界隈の山々が見え始めると、やがてツルシキミの群落あたりから登り坂が始まる。辺りには広葉樹も増え、徐々に紅葉する木々が目を楽しませる。
下方に五藤寺山を見下ろし、後方に聳える不入山や天狗森などに見守られながら坂を登ると、すぐになだらかなバカ尾根になる。見失いがちな踏み跡を注意深く確かめながら進むが、要所にはコースサインもあって苦労は少ない。
ヒメシャラやツガ、ヒサカキなど自然豊かな林を行くと心地よい風が梢を渡ってゆく。なだらかで雰囲気の良い林に包まれると少し休憩して森の生気を胸一杯に取り込む。
清々しい林でひと息つく。
まもなく登山道の脇にシャクナゲが現れ始めると、再び小さなコブを通過し、天然ヒノキの目立つ林を少し下る。下るとそよ吹く南風に頬を撫でられながらヤセ尾根に沿って明確な道をなだらかに辿る。私たちの不意の訪問に驚いたのか冬ごもり前のヤマカガシが道を譲って林に滑り込んだ。そのすぐ向こうでは何も知らないアカガエルが落ち葉の上を陽気に跳ねていた。
しばらくすると徐々に傾斜はきつくなるが、道沿いには大きなブナの木も点在し始める。暖温帯のアカガシと冷温帯のブナが混生する推移地帯の林は工石山に代表される様に、それぞれがバランスよく配置されて美しい林を作り上げている。黄色く色づき始めたブナなどの落葉広葉樹の葉を見上げたり、無骨な天然ヒノキに見とれたりしつつ歩を進めると、坂道の苦労も忘られる。
木々の間から北には不入山(右端)や天狗森(左奥)が見える。
やがて道の脇にひときわ大きなアカガシが現れた。幹は二股に分かれ、虚(うろ)になった株元は小動物の住処にでもなっていそうである。この界隈で一番大きなアカガシかと感心していると、すぐまた立て続けに勝るとも劣らない2本のアカガシが現れた。どれも樹形の奇妙なアカガシである。あれやこれやと大きさを競い合っていると、またしても大きなアカガシが出現した。こちらは何を思ったか幹がねじれている。即座に「ねじれアカガシ」と命名して先に向かった。
そして私たちはその先でとうとう一番大きなアカガシと対面する。それは三本だちの根上りで中は空洞になっているが樹勢はいたって旺盛である。まるで歌舞伎「鈴ケ森」に登場する幡随院長兵衛のように堂々とした貫禄に満ちあふれている。雨宿りできそうな根上りに、近くにいたI君が柏手を打って「宿屋アカガシ」と唸った。根上といえば不動山の一ノ又風景林にあるヒノキも見事だった。あちらは「根上大将」と名付けられたそうだが、こちらはさしずめ「根上将軍」といったところだろうか。展望に恵まれない道中だけに、ここのアカガシの大木群には心和ませられる。
「ねじれアカガシ」と「根上アカガシ(宿屋アカガシ)」。
自然の造形美にしばらく見とれていたが、ひとまず風格のある森の主と別れて、山頂に向かい再び歩き始める。
林に集う野鳥のコーラスを聞きながら、尾根に沿ってなだらかに行くと、まもなく最後の登り坂が始まる。やがて登山道に背丈ほどのスズタケが現れると、樹間からのぞくカルスト方面の眺めに後押しされるように藪をこいでまもなく頂に出る。
辿り着いた山頂には保護石に囲まれて二等三角点の標石が埋まっている。その周りは若干スズタケが刈り払われているものの眺望には恵まれず、狭い山頂には長居をする気分は起きない。窪川町側の尾根筋にスズタケで覆われて廃道と化した二筋の踏み跡だけを確認すると、昼食は帰り道でとることにして、頂を後にした。
鈴ケ森の山頂は狭く、眺望にも恵まれない。
それにしても鈴ケ森には、眺望に恵まれずとも人々をやさしく包み込むようなアカガシやブナの混生林があった。山といえば石鎚山系や剣山系などばかりを歩いてきた彼女をして「良い山だった」と言わしめるだけのアカガシの林がここにはあった。しかし、歌舞伎「鈴ケ森」に登場する美形の剣士「白井権八」に出会えなかったのは唯一の不満だったらしい。
*私たちのコースタイムは以下の通り。
【往路】
登山口<59分>根上アカガシ(宿屋アカガシ)<10分>山頂
=69分
【帰路】
山頂<8分>根上アカガシ<41分>登山口
=49分
登山ガイド
【登山口】
登山口へのアプローチはふた通りあります。東津野村大古味から上野々川を遡るケースと、大野見村奈路から島ノ川川を遡るケースです。今回は大野見からアプローチし東津野に下りました。大野見村中心部の奈路から島ノ川に向かって林道を走ると、役場から12kmほどでゲートを通過します(通常ゲートは無施錠だと思いますが念のため森林管理署にお確かめ下さい)。その後は道なりに東津野との村境をめざします。役場から15kmあまりで右手に作業小屋が見えてくると二股の分岐になります。ここは作業小屋のすぐ先で右に折り返すように車道を登り、峠に向かいます。分岐から1kmほどで尾根を切り通した峠(鈴ケ森峠)に出て、村境に至ります。ここには「携帯電話通話可能」の看板や窪川営林署の旗や、落石注意の看板などがあり、古いガードレールや発砲禁止の標識などがあります。ここで左(南)へ折り返し尾根に向かう小道が登山道です。
なお、帰路は鈴ケ森林道を東津野村大古味に向けて下れば国道197号線まで約12kmの道程ですが、こちら側も崩壊などで通行できない場合があるので注意が必要です。
【コース案内】
登山口から尾根に取り付くと後は尾根沿いに山頂へ向かいます。最初のコブの手前で出会う脇道は無視して尾根を辿ります。コブを越えるとやがてバカ尾根になり、登山道がやや不明瞭になりますが踏み跡やコースサインなどを見落とさないよう方向を見極めて進めば、やがて再び明確な山道になります。登山口から一時間ほどでアカガシの大木群が現れます。ここには、よく見ると根上アカガシの近くで北(東津野村)に下る道が確認できます。アカガシの林からは尾根を10分ほど辿れば山頂です。帰路は往路を引き返します。
備考
登山道に水場はありません。