さて、昼食後、下山を開始するが、帰途はやはりどこかで高研山の東にある往還に合流した方が良いだろうと判断し、結果、先に述べた急斜面の取りつきで稜線と別れる判断をした。
これには、コースバリエーション以外に、下りが苦手な女性メンバーを気遣っての判断も働いている。
従って、帰路は先に述べた急斜面の下まで往路を引き返し、ここから尾根を右手(東)に逸れて引き返すように下り、高研山の東を南北に走る道を見いだした。
私たちはこの時、村有地梼原村の標柱が立つ箇所でこの道に下り立った。
読図がぴたりと決まり、地図上の道が今も活きていた時ほど嬉しいことはない。
あとはこの道を辿ればおまん姫の墓がある県境の峠まで帰ることができるはずなのだが、すんなりとこの道に出たことで更に冒険をする羽目になるのは、相変わらず欲張りな私たちのツケである。


高研山の東をトラバースする道に下り立った。

さて、高研山の東をトラバースする道は多分によく使われていた往還道であったろう、よく踏まれており現在も時々利用されているものと思われる。
変化の無い植林の中でも踏み跡はしっかりしており、県境稜線で辿った急斜面のような危険な箇所もない。
歩きながらポケットの地図を取り出し、間もなく訪れる予定の分岐点に神経を傾ける。
実は、最初に車を置いた地点に向かって下る道が間もなく右手に現れる頃だった。

しかし、明確にそれと判断できる分岐はいっこうに現れない。
そこで、往還の道に出てからおよそ10分後、ゆるい鞍部で右手にそれらしき踏み跡を認めてアカマツの林を下ることにした。
起伏の少ないバカ尾根ではたびたび踏み跡を見失いがちだが、それらしき方向に下れば再び明確な踏み跡と出会ったりしながら、分岐から15分あまり下って横道と出会う。
出会った横道を左(北)に向かい、ほんの少しスズタケを漕ぐとなだらかで快適な歩行が続く。


山腹をなだらかにトラバースする。

横道に出会ってから約5分後、右手に折り返すように下る脇道と出会う。
実は、ここが一番の思案の場所だった。
最初に1台目の車を置いた場所まで下るなら、ここは右手に折り返す脇道を選ぶべきなのだろうが、しかし、地図に無い踏み跡を辿って万一方向を誤ればとんでもないことになりかねない。
ただでさえ方向を見失いがちな緩斜面のバカ尾根の下方には、等高線の詰んだ急斜面も控えている。いざ下り始めて踏み跡が途切れた時、登り返して元の場所まで引き返すのは容易ではない。
ここは好奇心を抑えてこのまま横道をトラバースしおまん姫の墓がある峠に向かうことにした。

涸れ谷を越えほどなく尾根を巻き込むと行きに出会った伐採跡に出る。
伐採跡に出ると10分あまりで往路に尾根に向かった分岐と出会う。
後は往路を引き返し分岐から5分ほどでおまん姫の墓がある土佐伊予大街道の峠に着く。


伐採跡に出て峠(中央右に見える植林と伐採地との境あたり)に向かう。山向こうには坂本龍馬や吉村虎太郎など、志士脱藩の道で有名な九十九曲峠(くじゅうくまがりとうげ)がある。

さて、峠からは右(東)に高知県側の山肌を下ることにする。
明瞭な踏み跡を辿り、スギの植林の際を下ると作業道の終点に出て、作業道を歩いて下れば峠から10分足らずで造林作業小屋への分岐を過ぎて、やがて高研隧道の手前あたりで車道に下り立つ。
なお、下りに歩いた作業道は「二歩地線」で、入り口にその旨の看板があるので高知県側から登る時はこの作業道から峠に向かうのも良いだろう。


伐採地の作業道を下る。左中央には造林作業小屋が見えている。

さて、降り立った車道からは、800m足らずを歩いて登山口に帰るのだが、この日は1台目の車を置いたカーブの方が近かったので、仲間が車を回収し登山口まで帰り着いたのだった。


高知県側登山口(下山地点)。日陰で仲間の迎えを待つ。この奥に高研隧道がある。

最後に、あまり触れたくはないのだがちょっと気味の悪いことも書いておかなければならない。
それは高研隧道がミステリーゾーンとして有名であるということ。
隧道の雰囲気や内部の舗装下を水で洗われてでこぼこの路面などに、山中でのおまん姫の悲劇などがあいまって、知る人ぞ知る怪奇スポットに挙げられているようだ。
しかし、真意のほどは別にして、不幸にしてこの世を去ったおまん姫だが、あれからおよそ800年、今では愛する資盛とあの世で幸せになっているはずだと私は思うのだが。



*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
愛媛県側登山口<13分>おまん姫の墓<42分>祠<23分>高研山山頂
=計78分

【復路】
高研山山頂<20分>南北に走る往還の道<55分>おまん姫の墓<12分>高知県側下山口(作業道二歩地線入口)
=計87分


備考

登山道中に水場はありません。

高知県側下山口から愛媛県側登山口までを徒歩で帰る場合は約20分ほどみておけばよいでしょう。

高研隧道の東口(高知県側)には昭和10年9月に梼原村(現梼原町)の建てた石碑があり、石碑には「志士脱藩道蹟九十九曲此ヨリ北方四粁ニアリ」と刻まれ、寺石正路氏の句も添えられています。


高研隧道東口にある石碑。

*2005年8月に寄せられた情報に拠れば、おまん姫の墓から上はカヤやイバラで塞がれ、ブッシュになっていたそうです。念のため、ご注意下さい。


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