山頂に足跡を記したら次の目的地黒滝山に向かって山頂を後にする。
鳥形山を目の前にしながら尾根を下ると、北東に遙か石鎚山を望み、その右手には筒上山や手箱山の特徴ある山容が覗く。
正面に見える鳥形山は東から眺めると鳥形のシルエットを持つところからこう呼ばれたが、現在、石灰の採掘が進む鳥形山にその面影はない。
鳥形山に代表されるように、四国カルストの石灰岩は約2億5千万年前〜3億7千万年前に形成されたもので、世界的にも高純度の石灰岩が産出されている。このことはカルストを形成する石灰岩が古生代末に太平洋の遙か赤道付近にあった珊瑚礁であり、それがプレートテクトニクス(*2)によって移動したものと考えられている。
すると、たった今私はここで古生代に海の底だった場所を歩いているわけである。なんと素晴らしく驚くべきことなのだろう。海底に降り積もったフズリナ(*3)やサンゴなどの死骸が、気の遠くなるほど長い歳月を経て四国に打ち寄せ、大いなる山岳を形成したことに改めて地球規模的な歴史をまざまざと感じるのである。
(*2)マントル対流により海洋底がプレートに乗って移動するという理論をプレートテクトニクス理論といい、有名なウェーゲナーの「大陸移動説」から発展してきた理論。最近では南海地震の発生メカニズムなどで注目されている。
(*3)古生代に栄えた有孔虫類で主なものはラグビーボール形(紡錘形)をしているので紡錘虫(ぼうすいちゅう)とも呼ばれる。四国カルストの石灰岩はフズリナやサンゴ虫、ウミユリ、コケ虫などが堆積し形成されている。
なお、このことからフズリナが活躍した古生代石炭紀〜二畳紀(約3億7千万年〜2億5千万年前)に秩父累帯(いわゆる秩父古生層)ができたと考えられたが、現在では放散虫革命により秩父累帯は中生代三畳紀〜ジュラ紀に形成された地層であることがわかってきた。つまり、カルストの石灰岩は地質年代の異なる地層の中に滑り落ちた大規模なオリストリスであると考えられている。(参考文献:「四国はどのようにしてできたか−地質学的・地球物理学的考察−」鈴木堯士著)
刻々と姿を変えてゆく鳥形山を正面にカヤトを下る。
雄大な歴史と景観のもと、道ばたにリンドウやヤマラッキョウの花を愛でながら、やがて登山道は紅葉の美しい樹林帯へと吸い込まれてゆく。
ブナ林でふと見上げるとウリハダカエデが色を着けているが、あのヘリコプターのような果実は見あたらない。プロペラをくるくると風に乗って遠くに出かけてしまったらしい。
秋の深まりを感じながら登山道を行くとこの季節特有の感傷に浸ってしまいそうだが、私の後ろでは落ち葉が風にかさかさと音を立てるので、単独行だけれどまるで誰か一緒に歩いてくれているような楽しい気分にさせてくれる。
やがて、なだらかな鞍部になりモミが林立する場所にさしかかると、ここが「ひめゆり平」である。
ここにはベンチがあり、「縦走コース」の道標も見える。ここから尾根の南を走るトラバース道に下る道も交差している。
ひめゆり(姫百合)とは名ばかりで、近頃は可憐な赤い花などどこにも見あたらないけれど、辺りの落ち着いた雰囲気は捨てがたい。
黒滝山にキレンゲショウマを訪ねたあの夏以来のひめゆり平でひと息ついた。
落ち着いた雰囲気のひめゆり平。
ひめゆり平からは空を覆うミズナラやブナの美しい尾根歩きが続く。そはやき要素(*4)など植物の宝庫といわれるこの界隈は春や夏が見頃だけれど、この時期に秋の彩りがモミの緑と織りなすコントラストもまた美しい。
仁淀村生芋(せいそう)への分岐を通過し、左手にでんと見える鳥形山を追いかけるように尾根を行く。
やがて少しきつい登り坂で苔生した石灰岩の岩場を越えて坂を登りきると、登山道の右手に展望が開ける。この南の展望所からは不入山が正面に聳えて見える。
更にヤセ尾根を辿り、左手に筒上山や手箱山など石鎚山系を垣間見ながら行けば、今度は北に展望が開ける。シャクナゲの生える断崖の上からは正面にアンテナを冠した中津明神山が聳え、眼下には山間を切り拓いた仁淀村都の集落が見える。遠く遙かには、石鎚山系が横たわり、これから辿る尾根の先には黒滝山や鳥形山が覗いている。
これからしばらく展望は開けないのでたっぷり眺めてから再び歩き始める。
(*4)そはやき要素について詳しくは黒滝山の項を参照。
北の展望所から。左に中津明神山、その奥に石鎚山系のやまなみ、右手には都の集落を俯瞰する。
北の展望所を後にすると黒滝山の山頂までは15分ほどである。
尾根を一旦下り、コルからは南に遙か樹間ごしの太平洋を眺めながら、背後の天狗森に励まされて坂を登り返せば、黒滝山の頂に着く。
しかし、尾根の通過点でしかないような黒滝山の山頂には、これと言った特徴も展望も無く、山名板も無い。
石灰岩や落ち葉に紛れて4等三角点の標石が埋まっているだけで、うっかりすると見過ごしてしまいそうである。
そう思ってか保健保安林の看板には誰が記したか黒滝山1367.1mの記入が見える。
なお、黒滝山は北面の断崖(タキ)からこの名が付けられたものである。
さて、前回はここで引き返したのだが、今日は更に東へと大引割に向かう。
苔生したカレンフェルトの尾根に黒滝山三角点がある。
樹間から東に見える鳥形山を目印に落ち葉の降り積もった石灰岩の道を下る。
キツツキの打音をかき消すように正面からは鳥形山の採掘音が響き、時おり不気味な発破音も聞こえてくる。
陽は高くなり、北からときおり吹いて来る風も、もう肌を刺すほど冷たくはない。
尾根を離れ右に折り返すと、ホウノキの紅葉が空を覆う山肌を下る。この辺り、いかにも幽山の趣である。
まもなく分岐で左に折り返し、正面に鳥形山を見ながら、ブナの美しい林を道なりに下れば、帰途に辿る遊歩道と合流する。
遊歩道と合流すると大引割まではピストンで往復することになる。
木製の階段が終わると、モミ、ツガの林に入り、ヒメシャラの群落や林立するミズナラの大木を見上げながらの歩行になる。
鳥形山の眺めは左手前方にかわり、涙のように白い筋が圧倒されるほど間近に迫ってくる。
晩秋に彩られた遊歩道を大引割に向かう。