椿山 2002年4月29日
「雨の椿山、霧に煙(けぶ)るアケボノツツジ」、まるで売れない三流歌謡曲のような、そんな流行らない山行きだった。
特に雨の日を選んだ訳でも、日頃の行いが悪すぎるという訳でもないのだが、生憎、行くと決めたその日が雨だったのである。
山には、登る前からきっと何度も足を運ぶことになりそうだと不思議な予感のする山がある。
椿山もそんな山だと予感したから、だから今日が雨でも中止はしなかったし、かえって雨の日にだけ見せる椿山の素顔に出会えるかもしれないと期待に胸がふくらんだ。
久しぶりの雨の山行きはそうして始まった。
気心の知れた杉村さんと二人で椿山登山口をめざして、吾川郡池川町を横切る松山街道(国道494号線)から町道椿山線に乗り入れ大野椿山川を北上すると椿山の集落を抜ける。
町道椿山線は椿山神社付近で最近まで災害復旧工事のため通行止になっていて、前回椿山をめざした時はこの工事でやむなく目的地を雑誌山に変更したことだった。
その道も現在は立派に改修されているが、椿山神社付近の真新しい擁壁には凄まじい災害の爪痕を見ることができる。
椿山登山口へは椿山集落を抜けてから更に車道をしばらく走り、左手に滝(二升ケ淵(*1))を見てからやがてトンネルを抜けて間もなく目的の登山口はあるはずだった。
ところが、椿山を紹介した「とあるガイドブック」に書かれてあったトンネルが何処にも見あたらない。
しばらく走りながら地図を開いてみても一向にトンネルらしきものが現れない。
結局、かのトンネルは撤去されていたようで「こんな事もあるものなんだな」と二人で苦笑しながら、それらしき登山口を見いだして車を路肩に止めた。
(*1)二升ケ淵滝は椿山林道の「にしょうぶち橋」のすぐ左手に見える。滝の落差は13mほど。淵には大蛇が棲んでいたといわれる。
私たちが歩き出す登山口は椿山から西に派生した尾根筋で、入り口には嶺北森林管理署の「歩道入口」という看板が立てられていて、その看板には「登山道、"坂出子馬の会"」と書かれたプレートが重ねられていた(嶺北森林管理署の「歩道入口」の看板は他所にもあるので注意が必要)。
なおこの登山口から林道を少し上手には小谷があり、右手には残土で盛り土された広場があって、山側には廃棄されたトラックが2台あり、下山時に私たちはここに下りて来ることになる。したがってここからも登ることはできるのだが、道は相当荒れているのでお薦めはできない。
林道脇の登山口。嶺北森林管理署の「歩道入口」の看板が目印。
小雨交じりのガスの中でレインウェアを着てカバーを取り付けたザックを背負い登山道を歩き始める。
傍らに一本のミツバツツジの花を愛でながら木製の手すりが施された石の階段を登りヒノキの植林に入る。
登山道は間もなく木の柵のある断崖の上に出て尾根沿いに折り返す。残念ながら林道の上の断崖からは濃いガスのために何も見渡すことができなかった。
若い植林の中を登って行くと殺風景ながら美しいアセビの新芽がよく目立つ。
足元には去年越しのシバ栗のイガがいくつも転がっている。予想に反して登山道はしっかりしておりヤブも無く、赤いテープも頻繁に現れる。
ただし、登山口から山頂に到るまでになだらかなトラバースは一度もなく、延々登り坂が続くことは覚悟しなければならない。
雨にうたれる登山者とミツバツツジ。
登山口から10分あまり、273番の山界標柱を過ぎて程なく植林は疎らになり林にはツガなどが混じり始める。
頭上にハンノキの実がぶら下がっている辺りで小休止する。
ガスに包まれた林の中で、小雨にうつむいたまま黙々と歩く私たちと同じようにミツバツツジの花びらが雨にうたれてうつむいている。
たまに立ちこめたガスが途切れると、樹林の間からは春色のパステルカラーに染められた対岸の山肌が目に飛び込んでくる。
一時のガスの切れ間に右手の山肌が覗く。
ずっと尾根に沿って登ってきた登山道が少し左に逸れて再び尾根に出ると分岐に出会う。ここまで登山口から20分あまり。
登山道はここで左へと尾根を更に登って椿山に向かう道と、尾根を西に下り谷川に向かう道とに分かれている。
谷川に下る道はそのまま下ると先に述べた廃車のそばに下り立つのだが、詳しくは下山時に述べる。
なお、この分岐の下手には岩場があり、岩上では東南東に若干の展望が開けるはずだがここでもガスのために見晴らしはきかなかった。
花を咲かせはじめたウノハナ(ウツギ)。
さて、分岐から尾根を登って行くと再びヒノキの植林になり林床にはスズタケが目立ち始めて味気ない登りになるが、スズタケが切れると南に展望が開ける。
この時は幸いガスの切れ間だったので、南眼下には椿山林道が、南南西には池川町の真ん中に聳える雨ケ森を望むことができた。
晴れていれば山肌に架かる滝なども遠望できたはずだが、ただただ濃い雲の海に浮かぶ雨ケ森は小雨に煙っていた。
やがて大海の小島のように頂(いただき)だけ見せていた雨ケ森も、南から次々に押し寄せる雲の波をかぶり何度目かの大きな波に飲みこまれ、この日は二度とその姿を現すことがなかった。
まもなく私達の周囲も再び濃いガスに覆われてしまう。もくもくと足元だけを見つめながら上を目指す私たちには、ウグイスをはじめたくさんの小鳥たちのさえずりだけが励ましだった。
こうしてガスに囲まれながら歩き始めておよそ35分後、登山道はヒノキの若木林になり道の両側にはスズタケの壁が迫り出してくるが、それもつかの間、尾根に沿って様々な芽吹きの中を登って行くと次第に傾斜が増して息も上がってくる。
急登を這い上がる。
濡れて滑りやすい急坂を一歩一歩這い上がる度に鳩尾(みぞおち)と額に汗が浮かんでくる。
最近の登山用レインウェアはゴアテックスをはじめとして非常に快適に出来ている。重いビニール合羽に比べれば雲泥の差だし「防水透湿」という言葉には魔力さえ感じるくらいなのだが、しかしいくらゴアテックスとはいえ、湿度100パーセントに近い雨の中で噴き出す汗は合羽の外に排出されるはずもない。
仕方なく帽子を外して額の汗を拭いながら、こういう時は体温を下げるべく少し立ち止まってフロントのジッパーを下ろし僅かばかりの風を呼び込んだ。
ほんとうなら、ガスさえ無ければ、この急坂の途中で後方を振り返れば南の展望に少しは汗のひきようも違ったことだろうに。
相変わらず急な坂の続く登山道は間もなくスズタケ混じりの簡単なヤブになるが踏み跡はハッキリしている。
歩き始めてから間もなく1時間が経とうとする頃、登山道のササは低くなり、やがて尾根道に青い苔(こけ)で海苔(のり)をまぶしたような岩場が現れる。ここは右側の踏み跡を辿れば容易に上に出ることができる。ただし、イバラには注意して欲しい。
登山道にはシャクナゲやツツジも多い。
相変わらず尾根を辿りながら急な坂を登る。ところどころ這い上がるような坂に迎えられる。
登山道には少しばかりシャクナゲの群落を認めるが、ただし花の蕾はさっぱり。アケボノツツジなどもそうだが、やはり今年はどこに行っても裏年で昨年のような花は望めないようだ。
登山道はここからヤセ尾根の登り坂が続き、断崖や岩場におだやかな色の様々な芽吹きの美しい林を登って行く。春の芽吹きは様々な花にも増して美しく、ようやくここに来ていかにも椿山らしい風景に出会った。
初めての山で「いかにも椿山らしい」とは大それた表現かもしれないが、この飾り気の無い美しい深山幽谷こそ、私が夢に描いていた通りの椿山なのである。
ヤセ尾根に出て岩場や自然林を登る。