Go!Go!キョロちゃん (Vol.M-011) 日本や世界各地の日本人墓地・慰霊碑・日本人町跡・歴史遺構など (まとめのページ・メニューページ) |
マレーシア日本人墓地を訪ねて Japanese Cemetery in Malaysia |
かつてマレーシアを旅行した時、サンダカンに日本人墓地があることを知り、訪れました。 その後、いろいろと調べてみたところ、マレーシア各地に日本人墓地があることがわかりました。 そこで、その中のいくつかの日本人墓地を訪れてみました。その時の写真などを掲載しています。 各日本人墓地の地図も作成しましたので、それらも掲載しておきます。 また、関連するモニュメント、建造物なども掲載しました。 |
日本人墓地 |
(1) クアラ・ルンプール日本人墓地 Japanese Cemetery in Kuara Lumpur |
所在地 | No.2, Jalan Lapangan Terbang Lama, Kuala Lumpur [Map] |
墓地開設時期 | 詳細な開設時期は不明であるが、古い日本人墓地の門柱に「明治24年」との記述があり、これから判断して、同墓地の開設は「明治24年」と推定される。 |
墓地概要 | 面積 : 2エーカー (8,093u) 墓石数 : 1940年及び46年に作成された名簿によると、最も古いのは1891年に死亡の女性で、戦前の被葬者は270余名(うち7割が女性)、戦中・戦後は200余名(うち8割が軍関係者)。○○以下○○名といった無名の埋葬者を入れると、総数は560名になる。風雨に曝されて判読不能な墓標、原形をとどめないほど朽ちかけた墓標、名簿にあるものの既に何の痕跡もない墓も多い。現状を記録に留めると共にできるだけの修復を行うことが急務となっている。 |
クアラ・ルンプル日本人墓地の正門
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整然と並んだ墓石
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慰霊塔
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こけ生した墓石
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JA8051号機遭難者 慰霊碑
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墓地お墓の管理人さん
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 写真は約100枚掲載しています。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.293) 「クアラルンプールの日本人墓地を訪ねて (マレーシア) 」 (埋葬者の人名リストあり) |
その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.875) 「クアラルンプール日本人墓地を再訪。すべての墓石と墓標を撮影。 」 |
(2) ジョホール・バル日本人墓地 Japanese Cemetery in Johor Bahru |
所在地 | No.1142, Jalan Kebun Teh, Johor Bahru, Johor [Map] |
墓地開設時期 | 資料「クアラルンプールの日本人墓地」には、「1917年」と記されているが、正確な開設時期に言及した資料はなく詳細不明。 1962年(昭和37年)頃 Textile Corporation of Malaysia Bhd.(TCM)が操業を始め、ユニチカ(当時ユニボウ)及び三井物産の社員が、近藤さん(名前不詳)という高齢の日本人女性より日本人墓地があることを聞き、ジャングルと化していたこの墓地を見つけ出して切り開き、現在の状態に復元。 |
墓地概要 | 面積 : 1エーカー 1ロード 35.5ポール (約4,600u) 墓石数 : 発見当時(1962年)は、約80基の墓があったが、ほとんどが木の墓標であったため朽ち落ちてしまった。現在は墓碑6基、墓標6基の他に「真如親王供養塔」、1982年にジョホール・バル近郊で発見された「柔仏(ジョホール)水道・敵前渡過・戦跡記念碑」が残るのみ。他に1994年9月ジョホール日本人会が建立の合同慰霊碑がある。 |
ジョホール日本人墓地の看板
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墓地の敷地内の様子
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招魂碑
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ジョホール州の各地から移葬した墓石
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ジョホール水道 敵前渡過 戦跡記念碑
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真如親王供養塔
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 写真は約190枚掲載しています。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.576) 「ジョホールバルの日本人墓地を訪ねて 」 (マレーシア) |
(3) マラッカ日本人墓地 Japanese Cemetery in Malacca |
所在地 | No.120, SectionIII, Bandar Bukit Baru, Malacca [Map] |
墓地開設時期 | 1910年頃には既に日本人墓地が設けられていたと考えられる。また、第二次大戦前まではマラッカ日本人会(当時)が維持管理に当たっていたと言われている。 1976年(昭和51年)10月28日 アジア経済研究所の原不二夫氏がマラッカにも日本人墓地があることを知らされて探したところBukit Baruに所在を発見。 |
墓地概要 | 面積 : 594u 墓石数 : (1) 墓石数 : 34基(うち台石のみのもの3基) (2) 没年 : 明治44年(1911年)〜昭和19年(1944年) (3) 出身地 : 長崎11名、熊本8名、山口2名、岡山、和歌山、佐賀、徳島、島根、広島、神奈川、新潟各1名 (4) 建立者 : マラッカ日本人会16基、仏教婦人会1基、個人10基、部隊1基、不明6基 |
マラッカ日本人墓地の正門
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正門から見たところ
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墓地内の光景
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墓地内の光景
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敷地の外から見た墓地の光景
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管理人のおじさん
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 写真は約100枚掲載しています。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.543) 「マラッカの日本人墓地を訪ねて」 (マレーシア) |
(4) ペナン日本人墓地 Japanese Cemetery in Penang Is. |
所在地 | Lot No.10, Jalan Rawang, 10150, Penang [Map] |
墓地開設時期 | 埋葬されている者の墓標等から判断して、ペナン日本人墓地が開設されたのは、明治20年代から30年代にかけてであると推測される。因みに、明治42年には長崎県島原大師堂の言証氏(名前不詳)が「からゆきさん」の施餓鬼供養のためペナン日本人墓地を訪れたとの記録もあり、当時ペナンには100名を越える「からゆきさん」がいたと言われている。 |
墓地概要 | 面積 : 約1,200u 墓石数 : 56基 |
ペナン日本人墓地の正門
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正門から入ったところ
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慰霊塔
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墓石
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墓石
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軍艦最上病没諸士之碑
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 写真は約150枚掲載しています。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.541) 「ペナンの日本人墓地を訪ねて 」 (マレーシア) |
(5) イポー日本人墓地 Japanese Cemetery in Ipoh |
所在地 | 18, Jalan Sungai Pari, Ipoh [Map] |
墓地開設時期 | 明治後期。 因みに、資料「クアラルンプール日本人墓地 −写真と記録と改修工事−」には「1906年」との記載あり。 |
墓地概要 | 面積 : 1エーカー 1ロード 35.5ポール (約6,000u) 墓石数 : 個人119柱。 合葬塔5 無縁塔1(明治43年合葬碑) 終戦時無縁塔1(昭和54年合葬碑) 合祀記念碑1(昭和42年 タイピン地区合同葬) 合祀記念碑1(昭和49年 トゥル・アンソン地区合同葬) 合祀碑1(昭和22年 い志ずえ草課加隊) 没年 : 明治 : 80柱(男17、女59、不明4) 大正 : 24柱(男5、女18、不明1) 昭和 : 11柱(男4、女7) 年代不明 : 4柱 |
イポー日本人墓地の正門
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整然と並んだ墓石
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変わった形の墓石
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ペラ州の各地から移葬した墓石
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墓石
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無縁塔
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 写真は約235枚掲載しています。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.542) 「イポーの日本人墓地を訪ねて」 (マレーシア) |
(6) トレンガヌ日本人墓地 Japanese Cemetery in Kuara Terengganu |
所在地 | Lot No.3568, Jalan Pusara, Kuala Terengganu [Map] |
墓地開設時期 | 1913年(大正2年)日本鉱業(1927年より露天掘り開始。年産90万トン。)の進出にともない日本人移民の移住が始まる。墓地の開設は1914年ないし1915年頃と推定される。 1994年(平成6年)3月 クアラ・トレンガヌ旧日本人墓地発見。 |
墓地概要 | 面積 : 942u 墓石数 : 9基。(うち3基はドゥングンより移葬) |
クアラ・トレンガヌ日本人墓地の正門
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日本人墓地の石碑
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墓地内の様子
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墓地内の様子
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「快傑ハリマオ」 は存在した!!!
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谷 豊さんの父と妹のお墓
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 写真は約100枚掲載しています。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.578) 「クアラ・トレンガヌの日本人墓地を訪ねて 」 (マレーシア) |
(7) サンダカン日本人墓地 Japanese Cemetery in Sandakan |
所在地 | Jalan Istana, Sandakan, Sabah [Map] |
墓地開設時期 | 詳細不明。 1972年(昭和47年) サンダカン在住の在留邦人が、現日本人墓地を発見。在コタ・キナバル領事館館員を派遣し、この事実を確認。 |
墓地概要 | 墓石数 : 6基 |
サンダカン日本人墓地の入口
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墓石
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海を見渡す
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.894) 「サンダカン日本人墓地を訪ねて」 (マレーシア・サンダカン) |
(8) コタ・キナバル日本人墓地 Japanese Cemetery in Kota Kinabalu |
所在地 | Jalan Tuaran, 2・1/2 Mile, Kota Kinabalu, Sabah |
墓地開設時期 | 1963年(昭和38年) 当時、コタ・キナバルを管轄していた在シンガポール総領事館館員によって、日本人墓地の存在が確認された。 |
墓地概要 | 面積 : 667u 墓石数 : 墓石17基。墓標3基。石碑2基。 戦前からの在留邦人の墓であり、埋葬者には軍関係者は含まれていない。1983年に移石した墓石以外は、墓碑名等は判明していない。 |
その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.887) 「コタキナバル日本人墓地を訪ねて」 (マレーシア・サバ州) |
(9) タワウ日本人墓地 Japanese Cemetery in Tawau |
所在地 | Tanjong, Batu Road, Tawau, Sabah |
墓地開設時期 | 1960年(昭和35年)頃 当時タワウに日本人墓地が市内2カ所に存在していたとの記録有り(1ヶ所については詳細不明)。 |
墓地概要 | 面積 : 8,000u 墓石数 : 4基(埋葬者は日産農林関係者) |
その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.899) 「タワウ日本人墓地を訪ねて」 (マレーシア) |
(10) ラブアン日本人墓地 Japanese Cemetery in Labuan Is. |
所在地 | Botanical Garden, Jalan O.K.K. Abudullah, Labuan |
墓地開設時期 | 詳細不明.。 1965年(昭和40年) 当時は「戦没日本人の碑」と記された石碑、3個の墓標、5個の埋葬跡が存在した。 |
墓地概要 | 面積 : 137,25u 墓石数 : 10基。 なお、10基のうち3基については、いずれも墓石等がなく土饅頭のみであるので、埋葬者氏名は不明。また、詳細不明であるが、同地にて死亡した在留邦人が埋葬されているとも言われている。 |
その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.879) 「ラブアン植物園内の日本人墓地を探して (マレーシア・ラブアン島)」 【たどり着けなかった編】 |
その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.1192) 「ラブアン植物園内の日本人墓地を訪ねて (マレーシア・ラブアン島)」 【たどり着けた編】 |
(11) ミリ日本人墓地 Japanese Cemetery in Miri |
所在地 | Tanjong Lobang, Miri, Sarawaku |
墓地開設時期 | ボルネオ燃料工廠のほか、工廠配属部隊、その関係部隊の戦没者1,053柱及び戦時中にマレイ人、中国人、インドネシア人、インド人等の日本軍の協力中に死亡した多くの人々も葬られている。また、敗戦の際に撤去されたミリ日本人墓地(詳細場所不明)に眠る先人の弔い場所でもある。 |
墓地概要 | 墓石数 : 1基。 埋葬者氏名は判明していないが、主にボルネオ燃料工廠関係者戦没者1,053柱とマレイ人、中国人、インドネシア人、インド人等。 |
その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.1188) 「ミリ日本人墓地を訪ねて (Tun Datu Tuanku Haji Bujang College内) (マレーシア・サラワク州・ミリ)」 |
(12) クチン日本人墓地 Japanese Cemetery in Kuching |
所在地 | Town Land, Lot No.47, Section No.36, Survey Plan, No.W43-6-8-7 and 3239C,
Kuching |
墓地開設時期 | 正確なところは不明であるが、邦人の在留状況から判断して1900年代初頭に開設されたと推察される。 |
墓地概要 | 面積 : 約3,500u 墓石数 : 46基。 埋葬者は、戦前から同地に在留していた主に日商会関係者。 |
その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.892) 「クチン日本人墓地を訪ねて」 (マレーシア・サラワク州) |
関連モニュメント・建造物 など |
(A) コタ・バル 戦争博物館 War Museum in Kota Bharu |
所在地 | Jalan Hospital, Kota Bharu, Kelantan |
戦争博物館
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戦跡記念碑(レプリカ)
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上陸用のボート(?)
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また、「コタバル平和時計塔」を探して回りました。 その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 写真は約150枚掲載しています。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.580) 「コタバルの平和時計塔や戦争博物館を訪ねて」 (マレーシア) |
学校の校庭に展示してあるという情報を得たので、現地を訪れてみました。 その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 (リンク先) Go!Go!キョロちゃん (Vol.1218) 【マチャン(Machang)戦跡巡り】 (5)日本軍が建立した「戦跡記念碑」石碑を訪ねて。 (マレーシア・クランタン州・マチャン) 展示してあるという情報を得たので、現地を訪れてみました。 その時の写真を下のリンク先に掲載しました。あわせてご覧ください。 (リンク先) Go!Go!キョロちゃん (Vol.1212) 日本軍が建立した「戦跡記念碑」もあるクアラクライの博物館 「ギャラリー・クアラクライ(Galeri Kuala Krai/Gallery Kuala Krai)を訪ねて。 (マレーシア・クランタン州・クアラクライ) ※別ウィンドウで開きます。 |
(B) サンダカン 壱九四五年五月廿七殉難華僑紀念碑 World War II Chinese Memorial in Sandakan |
所在地 | Jalan Istana, Sandakan, Sabah [Map] |
殉難華僑紀念碑
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.895) 「サンダカンの 「壱九四五年五月廿七殉難華僑紀念碑」 を訪ねて」(マレーシア・サンダカン) |
(C) クンダサン 戦争記念公園 Kundasang War Memorial |
所在地 | Kundasang, Sabah [Map] |
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1944年9月、戦局の悪化にともない、日本軍は当時サンダカンに収容していた連合国軍捕虜を、より危険の少ないキナバル山麓に移動させるべく、炎天下のラブック・ロード(サンダカン〜ラナウ間を結ぶ街道)を無理やり歩かせた。その距離は200Km以上。 ジャングルと湿地帯、豪雨による河川の氾濫、ワニ、大蛇、さそり、ヒルの恐怖、マラリアの発熱、赤痢による衰弱、下痢患者の続出、食料も欠乏し、飢餓状態が続く。 昼なお暗いジャングルの中を、夢遊病者のような群れが進んでいるような悲惨な行軍であった。 結局ジャングルに覆われた山道を抜けるのに11ヶ月を費やし、やっとの思いでキナバル山麓の村であるここクンダサンにたどり着いた。 出発時2400人いた捕虜も逃亡に成功した6人を除き、全員が死亡または銃殺されたとのこと。 この死の行軍の記憶を留めるために、ラナウ郊外のここ クンダサン村 に、戦争記念公園が作られた。 公園は、当時の捕虜たちの国籍にちなんで、イギリス、オーストラリア、ボルネオを代表する3つの区画に整備されている。 |
クンダサン戦争記念公園の正門
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公園の中庭
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頂上からみた光景
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その時の写真を下のリンク先に掲載しました。 あわせてご覧ください。 Go!Go!キョロちゃん (Vol.888) 「クンダサン戦争記念公園を訪ねて (Kundasang War Memorial Park)」 (マレーシア・サバ州・クンダサン) |
Go!Go!キョロちゃん (Vol.M-011) 日本や世界各地の日本人墓地・慰霊碑・日本人町跡・歴史遺構など (まとめのページ・メニューページ) |
ご協力 |
以下のみなさんにいろいろとご協力いただきました。ありがとうございました。 |
クアラルンプール日本人会 |
ジョホール日本人会 |
ペナン日本人会 |
マラッカ日本人会 |
在マレーシア日本国大使館 |
参照資料 |
マレイシアの日本人墓地及び墓碑 −写真と記録で辿る先人の足跡− 編集 : マレイシア各地日本人会 監修・発行 : 在マレイシア日本国大使館 ※各日本人墓地の説明(所在地、墓地開設時期、墓地概要)は、 この資料から引用させていただきました。 |
クアラルンプール日本人墓地 −写真と記録と改修事業− 発行 : クアラルンプール日本人会 |
地球の歩き方 「マレーシア・ブルネイ」 発行 : ダイヤモンドビッグ社 |
その他 |
ご協力いただきましたみなさん、ありがとうございました。 |
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