〜教育を点数化することはできるか?〜


@教員採用試験への議論
 学校教育がマスコミで大きく取り沙汰されるようになり、いよいよ教員採用試験についても本格的に新聞などで議論されるようになってきました。現在、ほとんどの都道府県が一次試験で筆記テスト・適性検査等を行い、その合格者が二次試験で論作文・面接・集団討論・実技試験等をします。そして、これに合格すると採用候補者名簿へ登録されるわけです。さて、それではこの試験内容と現代教育、そして教師に本当に必要な資質についてちょっと考えてみることにしましょう。
A一次試験で問われる「学力」
 一次試験では普通、専門教養・教職教養・一般教養の3つが行われます。もちろん最近はどの都道府県も非常に倍率が高いので、相当一生懸命勉強しなければなりません。何度も一次試験で不合格になっている人は、まずこの段階で「これこそまさに詰め込み教育では?」と、不満になっていることでしょう。しかし、ここでよく考えてみましょう。採用試験の勉強は「教育」ではないのです。一次試験は教師として必要な資質が身についているかを確かめるための、「確認」なのです。ですから、その資質として必要な知識・思考力は何が何でも身につけなければなりません。どうしてもできないのなら、残念ながら「教師としての資質がない」と言わざるを得ません。これが私の考えです。そうしないと、生徒にとっての「人生の先輩」として、自信を持って授業をしていくことができなくなるような挫折を味わうときがいずれ来ると思うのです。それは、教師にとっても生徒にとっても不幸なことです。そのために、「勉強しなければならないこと」を教師は学習すべきだ、と私は考えます…。
B「教師として必要のない知識」を問う問題は、犯罪である!
 これは、タイトルのとおりです。教師としての資質を確認するためのテストにおいて、全く不必要な心理学者の名前などを問うこと等は愚問と言う以上に、まさに犯罪です。学生の人はまだ勉強できるからよいとして、臨採教師をしている人にとっては死活問題です。ただでさえ勉強時間などないのですから…。昔に比べると、最近はずいぶん減ってきたような気がしますが、それでも「これが教師に必要?」と、思われる問題はほとんどの都道府県で1問以上は見られます。まずはこれらの問題の解決が、採用試験改善策として早急に取られる必要があります。これについては、恐らくほとんどの人が納得してくれると信じています。
C「一次試験免除制度」は本格化するか?
 一度でもその都道府県の一次試験に合格していれば、次は二次試験から受験可能になる…。この「一次試験免除制度」は、ごく限られた地区でのみ実施されています。しかしこの制度、これから本格的に全国規模で実施されるようになるかというと、意外と難しいのです。その理由は単純、「2次試験に裁ききれないほどの人が来てしまう」からです。二次試験は我々受験生だけでなく、採点官にとっても非常に大変なのです。受験生が多くなれば、採点官も増やさなければなりません。しかし、そうするといくらマニュアルがあっても採点基準が人によってまちまちになってしまいます(このことについては後述します)。そして、その問題はもっと深刻にマスコミ等で取り上げられてしかるべきだと、私は考えています…。

D点数化してはならないものを点数化する矛盾「二次試験」
 ほとんどの都道府県で論作文・面接・集団討論・実技試験等を行う二次試験。「一次試験はいつも合格するのに…」とお嘆きの人は、一度はこう思ったことがあるのではないでしょうか?

「二次試験って、どうやって点数化するんだろう? どの比重が一番高いのだろう?」

 これこそ、多くの教採浪人生が疑問に思う悩みです。もちろん都道府県によって、採点の仕方は違うでしょう。しかし、だからこそ本格的に検討すべき問題だと思うのです。都道府県によって全く採点基準が違うということは、逆にいえば「点数化してはいけない資質」なのではないでしょうか? だいたい、すべての県が同じ基準だったら「理想の教師の資質」として公開されるべきだし、公開しなくてもいずれ分かってしまうはずです。では、このことについてもう少し深く考えてみましょう。

E国民全体レベルでの議論が必要な課題
 私の個人的な考えとしては、二次試験を点数化して採用者を決定することは、決してよいことではないと考えます。だいたい、それができるのであれば臨採・本採を問わずに各教師が持っている資質を毎年完全に点数化して、教育委員会と教師の間で年棒による「多年型契約制度」(要するにプロ野球の選手みたいなやつ)にした方が、教育の発展にも財政負担にも極めて有効なはずなのです。しかし、そんなことはできません。まず、その点数をつける人(仮に校長先生だとしましょう)によって差が出てしまいます。次に、コネなどを持つ人が圧倒的に有利になります。でも、それって教員採用試験の二次試験にも全く同じことが言えませんか? 論作文を採点する人、面接官…これらは一人ではないのです。いくら県ごとにマニュアルがあったって、採点するのは紛れもない「人間」なのです。だからこそ、私はこの重要な課題を国民全体レベルで議論すべきだと思うのです…。

Fじゃあ、具体的な改善策はあるのか?
 こんな難しい課題について、私一人で解答を出すことは非常に恐れ多いことです。第一、私はまだ採用試験に合格していません(1999年9月16日現在)。しかし、その改善案は幾つか持っています。これをごらんの教育委員会の方や議員の方は、ぜひ掲示板の方にご意見をお寄せ下さい(もちろん他の職業の方も大歓迎!)。採用試験に以下のような策を取り入れてはどうかという、私のあくまで個人的な案です。

@)初任者研修期間を完全に「採用試験期間」として扱い、その期間の不合格者を翌年から臨採扱いとする(不合格者の分だけ翌年から採用者数も増やせるはず…)。
A)「教師として最低限必要な資質マニュアル」を文部省(&教育委員会)が作成し、公開。これに則って二次試験を敢行する。採点官は最小限に絞る。(「最低限の資質」にしておけば、画一的な教師にはならない)
B)臨採・本採を問わずに、保護者による信任制度を導入。信任率が高い臨採教師を、市町村教育委員会が推薦する。
C)都道府県単位から市町村単位での採用に切りかえる(人物のより正しい評価が下せる)。
D)臨採や非常勤講師にもなかなかなれない人のための「ボランティア教員制度(給料をもらわない志願教員制度)」の導入。(履歴書上は、臨採扱い)

 …こんなところです。「採用試験を年二回にしては…」という意見もあると思いますが、採用者数が変わらない限り、それは臨採教師に余計な負担を与えるだけになってしまいますので、私はお勧めしません。しかし現行の二次試験をこれだけ批判する私は、「コネ」や「たまたま採点官に恵まれた」おかげで合格した人がひょっとしているのではないか…と、ちょっと思ってしまう「やましい人」なのかもしれません。人間の「信頼」を売り物とする教師の端くれとして、その心をなくすことが合格への第一歩なのかな?…ちょっぴりそう反省する私なのでありました…。