〜荒れない学校における必要なことNo,1は?〜
@教師はなぜ対立し合うのか? 学校という職場は、他の業界に比べて諍い(いさかい)が多いといわれます。恐らく教師でない人は、「そりゃ、教師はいつもエラそうにしてるからわがままになるのも当然さ!」というでしょう。しかし、そのような人もいないとは言いきれませんが、多くの教師は非常にまじめで生徒想いな人ばかりです。では、なぜ諍いが絶えないのか? それはズバリ、「学校教育の中で何が最も大切か?」…この問いについての考え方が教師によって違うからです(とくに生徒指導上で)。教師という職業は「先生になりたい!」という夢を持って、なった人が大変多いです。よって当然、その夢を実現すべく、自分の情熱、考え方に妥協したくない人が多いわけです。「この自分の、生徒を思う気持ちは間違っていないはずだ!」…そう思う気持ちは、恐らく1度でも教師になってみないと味わうことはできないはずです。ここでは、学校教育で(とりわけ生徒指導上)必要なこと、そして学校の目的について考えてみましょう! |
A学校の目標 学校教育法第36条 【中学校の目標】 うーん、ずいぶん難しく書いてあります…。中学校は上の3項目ですが、小学校の目標に至ってはなんと8項目もあります(学校教育法第18条)。50年以上も前の法律ですから、少々難しいのはいたしかたないところでしょう。でも、こんな難しいことをネタにして言い争っている教師なんてどこにもいません。そこで、もっと簡単に考えてみることにしましょう。 |
B「生徒が学校で身につける最も大切な資質は何だと思いますか?」 ・集団生活のしかた まだまだたくさんあるでしょう。どれもこれも大切なものばかりです。しかし、これらのどこに重点を置くかで考え方が食い違い、そして教師の抗争に発展していくのです。法律には、この中のどれが重要か、などについては一言も触れていません。しかし逆にいえば、もし「この中でどれが重要なことなのか」が法律でランク別に示されていたら、教師の諍いは激減して学校の雰囲気は暖かいものになり、スムーズな生徒指導上の元、生徒にも必ずよい影響となって表れることでしょう。それでは以下、具体的に考えてみましょう。 |
C集団生活こそ学校教育の使命! @)生徒の学力は、後回しにしてもよいと考える人。 が多いような気がします。これを見て「あれ…もしかして自分のことかしら?」と思った先生! ちょっと考え直してみてはいかがかな? |
D学力こそ命! 最近は減ってきましたが、それでもまだかなり学校にはこのタイプの先生がいます。とにかく「わかる授業」を展開し、学力を上げて頭のよい学校にしよう…そうすれば、荒れる学校になるはずがない…。特に学生時代に学習塾の講師をして、その後教師になったという人に多いようです。実はこれは部活動においても全く同じことが言えます。生徒を学習や部活動など1つのことに集中させると、その他のことに目がいかなくなり、荒れは減るという考え方です。この考え方を利用すれば、学校行事に力を入れる学校も荒れにくいということができます。実際のところ、確かにこの傾向はあるようです(とくに中学校)。それにこのタイプの先生には、進路をエサにして「そんなことをしてると○○高校に行けないよ!」と、間違った生活指導までしてしまう者もまれにいます。しかし、このタイプの教師が集まった学校や学年は生徒を「何に集中させるか?」で、もめごとが耐えません。「テスト」「部活」「学校行事」「合唱」…ま、学力や部活などに集中させたがる先生は、競争ごとが好きな先生が多いようですから、仕方ないとも言えますが…このタイプの先生! 行き過ぎには気をつけましょうね。 |
Eやっぱり、生活習慣や礼儀が大事でしょ! まるで生徒の親であるかのようにしつけに厳しい先生。挨拶、掃除、身だしなみ…怒ると「コラァ〜!」って、すっごく怖くて…どの学校でもいますよね。ほとんどの学校では、このタイプの先生が『生徒指導部』という校務分掌を担当しています。はっきりいって、この先生方はまさに「学校のかなめ」といえます。このタイプの先生がいない学校は、間違いなく荒れます。本来すべての生徒、教師、保護者から尊敬されてしかるべき人たちです。が、教師同士の諍いの発端はこの先生方からおこることが圧倒的に多いです。よくあるのが、自分の担当ではないクラスでそのクラスの担任の先生がその場にいるのに「おまえはなんてだらしないんだ!」と、生徒を怒ると、「だって、担任の先生はなにも言わないよ」と、生徒に切り返されて抗争が始まるパターンです。最低でも学年内の生徒指導上の意思統一はしっかりしておかなければなりません。だって、生徒指導は教師の意思統一がなされていて初めてできることなんですから…。教師が個性ばかり出していては、生徒だって個性ばかりを強調し、まとめることはできませんよ。 |
F自由の中でこそ、子供は育つ! このタイプの先生も、最近はかなり減ってきたようです。そりゃあなた、現代のお子様を自由奔放になんかしといたら、もう…やりたい放題ですよ、ホントに…。これは、ほぼすべての教師が理解していることでしょう。しかし、このタイプの先生が学校に一人でもいたら大変です。はっきりいって、この考え方は「教育」と呼ぶにはふさわしくありません。学校の方針は全く意味を持たず、崩壊は目に見えています。しかし、このタイプの先生は厄介なことに、学校の崩壊を気にしない人が多いのです。正直なところ、免職の対象となってもおかしくないと思います。いずれ、どの都道府県でもこのような教師を再研修するという制度ができるのではないかと、私は考えています。 |
Gで、結局何が一番大切なの? 残念ながら、生徒に最も必要な資質をここで決定することはできません。もし決めてしまったら、また「画一的教育だ」と叩かれ、そして、教育の発展は急激に失速するでしょう。そう考えると逆に、教師が議論し合うことで教育そのものが発展していくとも言うこともできます。でも、これを見ている先生方、そのような議論は明日の教育のためではなく、まずは目の前の生徒の幸福のためだということを常に忘れないで下さいね。 |