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公式にとらわれない

 しばらく多忙でページを追加しなかったが、稽古仲間のKさんが参考にしてくれているみたいなので、先日の稽古時の補足をする。ただしこれは、有段者だけ対象にする。まだ経験が少ない人は、参考にしないでほしい。せっかくの稽古をムダにさせるのは本意ではないので。
 自由技の三カ条の時、肩と上腕を平行にするんだという説明をしてくれた人がいたが、外見的にはそんな形になるけれど、そのやり方で僕が受けた時、絞められても崩れなかったのを見れば、技を公式的に憶えることの問題がわかるだろう。僕が関節技に慣れているという理由もあるが、関節が柔らかく強い人には効かないのでは、当たり前すぎる。稽古を重ねて型の動きを身につけたら、今度はその作用に目を向けたい。
 三カ条も腕肩の関節を極めるけど、個人的な解釈としては、それ以上に相手の重心や膝に作用させるのが目的だろう、と考えている。だから公式のような手腕肩の視覚的な状態よりも、手腕で絞めず、相手の全身の状態を強調するのはこのためだ。相手が変わると、同じ三カ条を絞めても、外見的な形は相似してるが相違してる。
 では、何をもって技が効いているか否かを判断するのか、というと、感覚しかないと思う。現状では、これが最も重要なポイントだと信じている。相手の力の方向と関節の内部的な状態、それと重心の変化を、体で感じ取る。そのためには、緩んで緩まない体の状態にならないといけないらしい。型稽古の大きな意味が、そんな感覚の開発にあると思っている。
 相手の状態が体で感じられてくると、技のとらえ方が変わる。僕は合気道の型が関節技だらけなのにずっと疑問を抱いていたが、その疑問もすっかり解消した。関節技は合気の働きを身に付ける方法論のひとつかも知れないと感じている。もっとも合気がなんなのかわからないが、漠然としたイメージができてきている。関節技をやれば必然となる体の状態が、合気と関連すると感じている。受けとして稽古している時に、自分の体を観察していて、そう考えるようになった。特に「技のヒント」で書いた、バネと関わると考えている。型稽古が仕手受けを決めて稽古を繰り返す理由が、よく納得できる。関節技を稽古して、合気道はそういうものだと納得してしまうと問題だと感じる。型稽古は公式的にとらえられがちだが、実は公式を脱するための方法論なのではないだろうか。


力、関節、体重を感じる

 自由技の投げも、以前はガンと突き放すような投げだったが、最近はゆっくりじんわりやるようになった。捻らず絞めず、相手の力と関節と体重の変化にあわせて動く。しかし、まだイメージしている投げはできない。人間は、簡単に投げられるものではない。
 基本技の根本的な命題のひとつに、力の流れの感覚があると僕は感じている。合気道の型に(一)と(二)があるのは、このためだ。これを自覚して稽古していくと、相手の力の流れが体感されてくる。前にも書いた、胸ぐらを掴まれた時に相手を崩すというのもこの感覚がないとできない。片手持ちも両手持ちも、力の方向性が感じ取れると、力に頼らない技がイメージされてくる。
 この感覚は、試行錯誤しつつ稽古していけば自然に養われるのだと思うが、自分の体の構造について考えるともっといい。特に骨と筋と筋肉について。筋肉を緩めることは難しいけど、意識していれば徐々にできてくる。でも、緩むだけでは無意味で、強固でもないといけない。と考えると、骨と関節の状態が意識されてくる。それらを観察しながら稽古していき、自分の重心が感じられてくると、相手の体の状態が何となく感じられてくる。そのためには相手との接点が緩まない必要もあるようだが。
 最近、片手持ちの際の処理の仕方が変わってきたが、それは今書いたような感覚によって変化した。見た目は型通りのようだが、一年前とはかなり違う。もちろんこれが正解とはいえないが、方向性は悪くないと思う。まだヨチヨチ歩きだが、この延長線上に合気があると仮定して、実験を繰り返すのが面白い。



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