人はなぜ回るのか
前項で触れた、二カ条抑え(二)という型もそうだが、(二)の型は回るような動きになっている。合気道らしい円やかで華やかな動きなので、演武などでもかなり好まれる。でも、この動きは、稽古でやっているように簡単なものではないと思う。僕も初めの頃は相手をぶんぶん振り回して気持ちよくなっていたが、そんな動きで振り回されるような人はいないんじゃないかということには、すぐに気が付いた。
合気道は力に寄らないところに魅力がある。お互いに振り回そうとするなら、どうしても力の強い方が勝つ。小柄で非力な人が、大柄で力のある人を振り回すなど、無理な相談だ。けれど、自分より大きく強い人を振り回すことは、必ずしも不可能ではない。
この話の前に断っておきたいが、合気道は力に寄らないというけれど、やはり力は必要だと思う。筋力は別として、骨格を固定する力(これも技だろうが)は必要だろうと感じる。
というのは、合気道の動きは、相手の崩れを継続させる必要があると考えているからだ。特に(二)の動きは、相手の崩れを途絶えさせてしまうと、致命的なことになる。
(二)の動きをよく考えれば、まず相手を崩すことで、その崩しにより重力に引かれてしまった相手の前進あるいは落下するエネルギーをこちらが握ってしまわないと、初動にすら入れない。相手が崩れていないのに引っ張ったところで、誰も崩れない。前進あるいは落下のエネルギーを上手く誘い込んで、自分の回転エネルギーに転換しないといけないということになる。地球の公転とか、人工衛星が地球の周りを回り続ける仕組みと、かなり似ている。この際のエネルギーロスをなくすために、回転軸が重要になるのだろう。前進あるいは落下を回転に転換するためには、相手のエネルギーがこちらの体を回転させる動力として作用する状態に保たなければならないが、そのためにはこちらの体を前進あるいは落下エネルギーが軌道を外れないように維持する状態に固定しておく必要がある。直進あるいは落下のエネルギーを回転に転換する仕組みができていないと、逆に振り回される。熱力学でエントロピーの増大というようなことが起こる。
さらに付け加えれば、闘う相手は棒きれではないのだから、こちらが加える力に対して反発したり、先回りしたりして自分の態勢を安定させようとする。それをさせないためには、崩しとその状態を維持するように動くための感覚が重要になるだろう。崩れを持続させるということは、相手の前進や落下あるいは後退などの力の変化を感知して、それに対応し続けることだといえる。
非力学的なこと
合気道や居合の型の動きや技は、かなり力学や機構的な考え方で解析できるが、それだけではどうにもわからないところが大きな魅力でもある。
例えば、片手を掴まれて、掴んでくる力の方向に併せて前腕を操作し、体が固定したと感覚したところで、ふっと膝を抜いて身を沈めると、相手も膝が抜けてしまい、コロンと転がってしまうことがある。相手はまだ崩れた状態ではないはずなのに、崩れてしまう。二カ条でも似たことが起こる。手首がどんなに痛んでも平気なのに、ある瞬間、ガクンと膝が抜けて崩れてしまうことがある。これは力学や機構的なことでは説明しにくいのではないかと思う。細かく分析していけば、既知の科学で説明されるのだと思うが、かなり生理的な問題なのだろうと感じる。
心理的という考え方もあるが、僕はあまり心理説には積極的ではない。心理操作はさして難しくはないことだけど、こういった末梢的で瞬間的な効果はほとんど期待できないと思う。もっと大きな面での催眠的な効果は簡単に作れるだろうし、時間的流れの中でなら作りやすいだろうが、格闘のある瞬間ではかなり難しいだろう。
やはり武術の神髄は非力学的な部分にあるのだろう。心理はかなり関わると思うが、そればかりでもないだろう。天地自然の動きという言葉を合気では度々耳にするが、こうして考えていくと、確かにそういった面に踏み込まなくてはならなくなるような気がしてくる。
でも、それはあまりにも漠然としていて、困難なことだろう。僕も幾つか達人らしいといわれる人たちの動きを見たり、著書を読んだりして考えてきたが、かなりの部分は想像力で理解できるのだけど、どうしても理解できないところがある。でも、そこが実は99%くらいの比率で重要なところなのだろうと思う。こうして研究し稽古していることは、もしかしてほんの1%程度のことではないかと考えると、気が遠くなるのだけど。