(2002/Aug/03)
このページをごらんの皆様は、「金町ダービーマッチ」をご存知でしょうか。2000年春、千葉県柏市十余二で掲げられた「金町はもらった」という柏の領土主張を発端として国境紛争が勃発しました。以来、血で血を洗う泥沼の、もとい、痴で痴を笑う泥縄の争いが続いています。ふじもとは紛争勃発からおよそ2年半を経た2002年8月、この領土問題に翻弄される金町を訪れ、その現状を取材しました。
金町への交通路は、現在のところ紛争当事者である東京と柏をつなぐ常磐線がありますが、双方の駆け引きからか快速電車は止まりません。各駅停車の場合、柏に行くには松戸で乗り換えれば良いのですが、東京に行くにはいったん地下鉄に乗り入れる必要があります。この後、北千住で地上のJR線に乗り換えるか、西日暮里で山手・京浜東北線に乗り換える必要があり、いずれにせよかなりの不便と言えます。紛争の影響はこんなところにも出ているのでしょうか(注1)。また、国境に沿って青砥へと抜ける京成の電車もあります。これは後述します。
さて、ふじもとは昼下がりに北千住駅で快速を降り、地下の各駅停車 --- ここではまだ「地下鉄千代田線」 --- に乗り換えましたが、次に来たのは綾瀬止まりの電車で、金町に行くには1本待つ必要がありました。ようやく金町駅にたどり着くと、そこは一見紛争とは無縁のような(注2)穏やかな、ごくありきたりな郊外駅というたたずまいです。実際、土曜日なのだからもう少しにぎやかでも良かろうというくらいに人が少ないです。北口はビルが多く店も目に付きますが、南口はどちらかというと低層の商店街の様子。まず北口で食事をしますが、店内には讀賣新聞とスポーツ報知。ううむ、東京ナショナリズムがいささかゆがんだ方向(注3)に現れているような気がします。
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ホームより金町駅北口を望む。 | ホームより南口を望む。 |
食事を終え、駅の連絡通路を通って南口へ。この連絡通路は南口へ抜けるだけでなく、南口にある京成金町駅への乗り換え通路にもなっているので、そこそこ人通りがあります。南口はロータリーを整備中の様子で、おそまきながらこの紛争地帯に公共投資が行われているようです。京成金町駅も現在改築中。駅ホームには4両編成の電車が待っています。この電車に乗り、1駅で柴又に到着です。
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復興へと工事が進む南口。 | 京成金町駅。 |
柴又は、この紛争地帯の英雄とも言える「寅さん」こと車寅次郎ゆかりの地です。彼が諸国を放浪して回り、果ては永世中立国オーストリアにまで足を伸ばしたのも、紛争解決への努力の一つだったのでしょう(注4)。駅前には彼の功績をたたえる像がたち、聖地「帝釈天」へとつながる参道の両脇には延々と「寅さんグッズ」などを売る店が連なっています。5分も歩けば帝釈天に到着。ここでは一刻も早い紛争終結を望む人々が祈りを捧げていました。
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英雄・車寅次郎。 | 聖地・柴又帝釈天。 |
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祈りを捧げる人々。 | 帝釈天の左手側にあるルートを進むと…… |
さらにふじもとは、国境を越える秘密ルートがあるという噂を聞きつけ、江戸川へと向かいます。帝釈天を右手に見ながら歩くと、やがて江戸川土手が目に入ります。土手を登ると、殺風景な河川敷の中に木立が……この木立へと寄って行くと、そこには意味ありげな石碑が置かれています。
「連れて逃げてよ ついておいでよ……」この古い歌のタイトルが、この場所の意味を明らかにしてくれます。そう、「矢切の渡し」。ゲリラや政治犯の逃亡を思わせる歌です(注5)。
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河川敷に謎の木立が! | 花の下に歌碑。 |
渡し場の手前で、伝統的なわらじを編む男性にインタビューを試みました。
男性「どっから来た?」 ふじ「(本当は埼玉だけど)都内です」 男性「都内のどこよ」 ふじ「武蔵野市……」 男性「あそこは東京じゃないよ!」(注6)
東京原理主義を感じさせる発言です。さらに、男性に下船後の移動ルートをたずねてみます。
ふじ「川を渡って、そのまま松戸に抜けるつもりなのですが……」 男性「あっちは何にもないよ、一面ネギだらけ!深谷ネギ作ってるんだよな」 ふじ「野菊の墓の文学碑というのがあるそうですが」 男性「ああ、だったらあの土手の上にあるあずまやから下に降りて、 ネギ畑の間を突っ切って行けばいい」
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渡し場。木陰にわらじ編みのオッチャンが。 | 渡し舟が到着。 |
ふじもとは道中の無事を祈り、男性からわらじを買いました。さて、乗船です。渡し賃は100円。危険な闇ルートを通る割には破格の安さです。船は隠密行動のためか手漕ぎ式になっています。ただし、エンジンも装備されており、おそらく国境警備兵に見つかったときには高速で逃走できるようになっているのでしょう(注7)。ものの5分ほどで渡河に成功、対岸には大胆不敵にも旗が立っています。
東京から見ると、ここからは国境を越えた「敵地」と言えます。緊張がみなぎります。松戸側の船着場は柴又側より深い木立になっており、小さな売店と「矢切の渡し」記念碑があります。木立を抜けた河川敷はゴルフのパブリックコースのようにも見えますが、「立ち入り禁止」の立て札。ひょっとして地雷原か、はたまたゲリラの拠点でもあるのでしょうか(注8)。
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対岸の渡し場。 | 細川たかしの手になる記念碑。 |
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地雷原?秘密基地? | あずまや。「川の一里塚」らしい。 |
わらじ編みの男性に言われたあずまやの所から土手を降りると、なるほど一面ネギだらけ!すれ違う人もない道を歩くこと10分、矢切橋に到着。かつては綺麗に整備されていたのでしょうが、今は通る人もなく石畳の間から雑草が生えています。ここに地図があり、野菊の墓への遊歩道も確認できましたが、遊歩道自体が半分ほど砂に埋まっており、すっかり寂れているようです。川沿いの平地(=ネギ畑)から高台の麓へたどり着くと、ようやく人家がちらほらと見えます。
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一面ネギ畑。 | 荒れ気味の矢切橋。 |
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荒れ果てた遊歩道。 | 永禄古戦場趾。 | 野菊の墓文学碑。 |
高台を登っていくと、思わぬものを発見。戦国時代末期の古戦場であったことを示す石碑です。この土地は昔から紛争の絶えない場所であったのでしょう(注9)。この石碑の脇にある階段を登った所に「野菊の墓文学碑」があり、ここからは江戸川を望むことができます。戦略上の重要拠点であることは一目瞭然です。この近辺には神社が多くあり、対岸との宗教的衝突も容易に想像できます(注10)。
ここを過ぎて、道なりに進むと県道に当たります。県道を左に行くバスに乗れば松戸駅、右に曲がって5分ほど歩けば北総線の矢切駅です。駅の少し前に「左に曲がれ」という看板が出ていますが、これはスパイを欺くためのデコイ(おとり)だったようで(注11)、実際にはここからさらに信号1つ先が駅の入り口です。駅は爆撃を避けるためか、地下に建設されています(注12)。駅改札前には先ほどの渡し舟と同様の舟が展示されており、この渡河ルートが重要な存在であることを物語っています。ここは最近できたらしい小奇麗な駅ですが、1時間あたり3本という列車本数の少なさが紛争地帯の不安定な状況を如実に表しています(注13)。
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駅へと通じる県道。 | 駅構内に置かれた渡し舟。 |
この国境地帯に1日も早く平和な日々が訪れることを、ふじもとも願わずにはいられません。しかし、和平への道は長く険しいようです。この日も、柏において東京側の「脱ーげ!脱ーげ!」という挑発的軍事行動に対し、柏側が脱ぐという自爆テロならぬ自虐エロが発生しました。金町が戦火から解放されるのはいつになるのでしょう……
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