本日のカルチャー・クラブなもの(2001年12月分)


2001/12/30
boygeorgedj.comにボーイ・ジョージの大晦日のDJの予定が出ています。ブリストルのScreamというところで夜の10時からDJをした後で、年が明けたら2:45-4:00までこんどはコベントリーのTonicでDJだそうです。
参加者の条件は18歳以上で、会場までの道を自分で行き帰りできること、ピンクの髪をしてくることだそうです。でもピンクの髪は冗談だそうです。みんながピンクの髪だったら面白いのにね。


2001/12/28
日本語でもカルチャー・クラブのStrange Cargoのリリースをお知らせしてるサイトがありました。でも、まさかこのサイトの記事を書いた人も、いまだにリリースされてないとは思わないでしょう。2月に延期だとか…トホホ。
ちなみに、このサイトではボーイ・ジョージのチープネス&ビューティーも紹介してました。

CDJournal.com

コラムでも書いてますが、ボーイ・ジョージはUseful Things To Do With Your Painとかいうタイトルでアルバムを出すようですね。ジョージはDJ以外にも音楽活動にも精を出してくれるみたいです。


2001/12/27
Cyber Chameleonにミュージカル「タブー」のオフィシャル・サイトが紹介されてました。ちょっと重いですが、役者さんの写真が見られます。ボーイ・ジョージ役のユアン・モートンは結構イイ線行ってます。レイ・ボウリー役の人は…ちょっと絶句します。まるでピエロです。実在の人物だったはずですが…実物もこんな感じだったんでしょうか。ちょっとびっくり。

Taboo the musical


2001/12/26
12/24の続き

スティーヴ・ストレンジがショーアップしてぼくにふさわしい夜にしてくれたよ。セルフリッジでは舞台のプロモーションでぼくの長年にわたる衣装の店内展示をやってくれるっていうしね。
今年あったもうひとついいことは、UKプレイでOne On Oneていう新しいインタビュー番組を始めたんだ。

今年のぼくのお気に入りのアルバムはデヴィッド・グレイの「ロスト・ソングズ」、なかでもFlame Turns Blueだね。この曲はぼくがこの何ヶ月どう感じてるかを総括してくれてるよ。この曲のおかげで、ぼくはリリースしていない膨大な自分の曲を調べることになった。Fat Catって曲はサビはこんな感じなんだ。「君はぼくの襟についた汚れ。君はぼくのお気に入りの靴に空いた穴。君は愛が息絶えるとき。君は落とさなきゃならない体重。」どんなにヘンなことを書いても、そいつは現れてぴしゃりとやるものなんだ。
ジョージ・ハリスンの死はほんとに悲しかったけど、彼の最後の言葉は心に訴えるものだったと思うよ。「お互いに愛し合え」ってね。ぼくは友人を大事にするようになった。ごくわずかなほんとの友人だけがぼくにとって一番不吉な年にそばにいてくれた。だから、来年はどうなるんだ?タバコを止める。ぼくに最初に笑いかけて、シャンペンをご馳走してくれる人と恋に落ちなきゃいけないって考えるのはやめる。友達にするアドバイスを覚えておいて、それを実践しよう。いくらかの希望をもとう。知ってることとやることは、別世界のものだけど、知ることが始まりだからね。
これがぼくからのクイーンのスピーチだ。もう一つの(本物)はクリスマスの日に見れるよ。


2001/12/24
12/23のコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。

クイーンの代替のスピーチ
女王陛下が「ひどい年」と発表したときを覚えているかい?女王陛下にとっては2001年は「ぞっとするほどひどい年」だった。ぼくは友人のトラニー・ポールを亡くした。それからジョー・ビクターも亡くした。彼は娘のクリスマス・プレゼント買いに行くのに車の事故で亡くなったのだ。
9/11のあの出来事に加えて、それに続く戦争、そして実はぼくはこの7年で初めて恋をして、何の説明の言葉もなく失恋してしまった。
それからあるタブロイド紙から不愉快な電話を受けた。彼らはぼくがヘロインのやりすぎで病院に担ぎ込まれたっていう話を売りつけられたって訴えたんだ。最近じゃ4ストーンを減らしたコは平穏でいられないの?
でも、いい面では創作力が爆発したことだね。先月は歌が自分からあふれてきたんだよ。ぼくは自分のキャリアでも、もっとも壊れやすくてアコースティックなUseful Things To Do With Your Painというアルバムを準備中なんだ。
歌を書くのには失恋ほど合うものはないよ。ぼくの占い師は今年は不安定だろうって警告した。だってぼくが信じてる9 Ki(気?)って言う占星術では、ぼくはNine yearにいて対立の年だからなんだ。でも、ジョン・レノンの言葉を借りると、そんな日があるなんて誰も教えはしないんだって。ぼくのセラピストは、僕の涙を見て言ったよ。「君はまだ立っている。でもまだじっと立ってるだけだって。」それでぼくはなぜ自分が仕事に没頭してるかわかったよ。確かに、一人で考えてるという恐ろしい状態を避けるにはいい方法だね。
来年、日本(の旧暦)のカレンダーでは2月が新年だけど、ぼくはOne yearに入る。内省と熟考の年だ。個人の幸せのために物事を行う時だ。大いに利用するつもりだよ。でもぼくのために泣かないで、アルゼンチン、いいことはあったんだから。
ぼくのミュージカルのタブー開幕の年が明けたら、1/11にロンドンのノートルダム・ホールでプレビューをはじめる。ザ・フレディー・マーキュリー・トラストはマーキュリー・トラストのイベントのために一晩分買い上げてくれたしチケットの売上げは上々だ。だから幸運を祈るよ。僕たちは最近記者向けの試写会をやって、これがただ80sへのレトロ・パーティーではなく、20の新曲と昔のヒット曲を何曲かを含めた新しいミュージカルなのだと示したんだ。

(続く)


2001/12/22
立ち読みTake It Like A Man.

ボーイ・ジョージがDo They Know It's Christmas?を録音したときのこと。彼は自分の担当部分のソロを入れたときに、自分の次がアリソン・モイエのように聞こえたので、一体誰なのかボブ・ゲルドフ(ブームタウン・ラッツの一人。バンド・エイドの言い出しっぺ。)に尋ねました。
「ジョージ・マイケルだよ。」と聞くと、ジョージは
「なんだよ。オカマに聞こえるよ。あ、そのものか。」
(ちなみに原文は"My God, he sounds camp. But then he is."です。)
ジョージの冗談はボブたちに受け、しかもバンド・エイドのドキュメンタリーでもきっちり取り上げられていました。ジョージはこの顛末に満足したようです。

私はこのドキュメンタリーを見たことがあるのですが、彼のきっつーい冗談の部分は字幕が出てませんでした。(NHKでは放送できなかったか?)Take It Like A Manのおかげで長年の謎が解けました。


2001/12/20
12/17の続き

それを言った後じゃ、些細なようだけど、くつのグルのパトリック・コックスのクリスマス・パーティーに出席した。でも、人生はつづかなくちゃ。親友のベル・ブラウン、デイヴ・デイヴィスらトップDJたちは夜の選曲を担当してぼくに聞いてきた。今流行りのサンダーソン・ホテルでのパーティーはシャンパンのストックがよくて、緊張したハンサムな男性モデルたちもいた。ぼくはファッション雑誌で見た魅力的な男たちの写真をとった。すると「誰に売るつもり?」と聞かれた。「実は君が誰か分からないんだ。君がステキな鼻をしてるなって思っただけ。」
ジョーダンのクリスマス・パーティーに行ったときのことだ。シャンパンのボトル代に法外な値段を吹っかけられた後、ぼくたちはいっしょに歩いた。面白かったのは、ジョーダンの元の恋人のデーン・ボウアーズのパーティーでローリング・ストーンズ関係の曲でDJをしていたときだ。本人はそこにいなかったけどね。(ぼくは自分のパーティーに現れないスターに会ったことないよ。マドンナかグレタ・ガルボが最初だろうね。)今週はちょっとシュー・レアル(マジで訴えたいの意味?)だった。僕の新しいドラッグネームにしようかな。


2001/12/17
12/16のコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。

キングには懲役じゃなくてセラピーが必要
ぼくがフランク・スキナー・ショーに歴史的な出演をしてから山盛りの中傷メールをゲイの男からもらってるなんて誰が想像した?隠れホモ嫌いなんて新しい流れだね。あるメールにはセクシャリティに関するぼくの大騒ぎぶりは「悲しい」って言ってた。そんなメールへの返事はboygeorgedj.comで読めるよ。ぼくのレスはかなり露骨だからね。
ディベートは決して悲しいものではない。でもフィリップ・サロンの姐御たちとレットモア・ヒルのハレ・クリシュナのお寺に行ったときを思い出したよ。お芝居のあと、グル(彼は後で首を切られたと思う)に会うために部屋に連れて行かれた。そこでは数十人の信者が彼のあらゆる言葉を待っていた。20分間の霊歌を歌った後、フィリップが口を開いた。「なぜ誰もあなたの言ってることに質問してないのか?」そのグルの返事は「彼らは自分たちの知る必要のあることは皆知ってるんです。」言い争いが続いて起こったが、ぼくは自分の気持ちを語ったフィリップは勇気があったと思う。
だから、ぼくが勇気があるよ。ジョナサン・キングが刑務所に行くべきと思わないって言うんだからね。我々が一員であることを選んだ強制的な社会に住まざるをえないうちは、そこは偽善社会なんだから。ブリットニー・スピアーズの最初のビデオを例に取ろう。彼女は高校生のカッコウをして、男がよだれを垂らしてる。もしくはビル・ワイマンがマンデイ・スミスと彼女が未成年の頃セックスをした事実もあるね。ヘテロ・セクシャルの側には数え切れない例があるよ。そのことは「自由な」社会ってのがゲイ・セックスになると、とても選択的だというぼくのポイントを証明しているよ。ぼくにとっては、ゲイリー・グリッターがチャイルド・ポルノをさばいてるのはひどい犯罪だし、4ヶ月の懲役を受けた。
ぼくが70年代にカミングアウトしたとき、年上の男にせまったけど、一度も引っかからなかったし、口説かれもしなかった。したかったけど、同年代の子は手を出さなかった。たいていの若い女の子は同じように言うよ。キング氏の犠牲者(正しい言い方?)にはトラウマになってないなんて言う気はない。でも、その人たちは前に進むのにすごく時間がかかったし、7年は長い判決だね。
ぼくは彼が好きだし悪い奴だと思わないけど、許す気はない。最悪でも、彼は自分のセクシャリティが恥ずかしいことが一般的で、彼の欲望を黙っててくれるうぶな男の子をナンパしちゃう時代の産物なんだ。彼はエロなホモかも。でも彼に必要なのはセラピーで、刑務所じゃないよ。

(続く)


2001/12/16
100% Boyに載っていたのですが、サザビーズのオークションのサイトにボーイ・ジョージとそっくりの人形が出品されてました。実際にテレビ番組でも使用されてたそうです。オークション自体は既に終わってて294ポンドで落札されたそうです。ちなみに人形のそっくりぶりですが、確かに似てると言えば似てます。でも、ファンとしては「いや〜ん!」と言いたくなること必至の出来と言えます。

Sathebys.com


2001/12/15
Cyber Chameleonにミュージカル「タブー」でボーイ・ジョージの役を演じるユアン・モートンのインタビューが載ってました。役作りに苦労した話がいろいろ載ってて面白いです。ジョージに「ボクが馬鹿に見えないように練習してね」と言われて、ユアンはインタビューの時点で、5週間家の周りをヒールを履いて歩き回って練習しているそうです。メイクもまだ1時間45分くらいかかるし、仕上がりも笑えてしまう状態のようで、ユアンは「ジョージは自分のやり方があって、50分くらいでやってしまうんだ。ぼくもそれを目標にするよ。」と言ってます。ちなみにジョージとユアンのツーショット写真が載ってますが、ユアンの方が顔が小さいです。


2001/12/14
12/11の続き

もう一つの楽しかった夜は木曜日。ソーホーのグリーク・ストリートのモンドでのこと。密かに野心を抱いてるけどセクシーなDJのJラヴがファンキーな曲を服なんかが汚れたお客さんにかけてた。ぼくはバー・カルチャーこそが将来の姿だって言いつづけてる。クラブ遊びは縮小して初期の頃に戻りつつある。ジェレミー・ヒーりーのワトフォードにあるThe Areaはここ数年ぼくがDJした中で一番エキサイティングなとこだ。お客さんたちはめったに雰囲気のことを言ったりしない。もっとそのことを言おうよ。

水曜日にぼくはセルフリッジでエイズチャリティのイベントであやしい古いポップスをかける予定。そこではスターたちが募金箱を用意してお金を集めようとするんだ。先週国際エイズデーだったから、みんなに病気はまだ終わってないことを思い出してもらうのは大事なんだ。お財布にお金をたくさん入れてきて。カイリーが下着売り場にいるのが見れるかもよ。
1月からセルフリッジでタブーのプロモーションにぼくの年代物の衣装を出す予定なんだ。ぼくのクローゼットをきれいにするチャンスだよ。ぼくの風水の先生は特定の部屋にぼく個人の喜びがあると教えてくれた。ぼくはそこをきれいにするのに忙しいよ。ぼくみたいな子は喜びなしには生きていけないからね。
少なくとも一年使わなかったものは全部捨てることにした。でも靴は捨てられない。ぼくの中にイメルダ・マルコスがいるに違いないよ。友達のお父さんが言ってたよ。靴とベッドは人生で一番大切だ。一方を使ってないときは、もう一方を使ってるんだからって。


2001/12/11
12/9のコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。今回は短縮バージョンにて失礼。

プリンセス、庶民と触れ合う
「女神のように見えるよ、口を開けるまではね」ってプリンセス・ジュリア(スティーヴ・ストレンジのかつてのウソの彼女)のことを歌詞に書いたけど、愛情を込めて書いたんだよ。最近は超イケテルDJとして、ヘンな場所に現れるよね。最近じゃ、ウィリアム・ベイカー(カイリー・ミノーグのスタイリスト)のパーティーなんかにね。でも彼らはドレスを買ってただけなんだよ。ウィリアムは見る目があるね。
そこは社交界のパーティーでデザイナーや帽子屋やモデルがあちこちにいたんだ。
ぼくは遅く来たから、カイリーの入ってくるのを見られなかった。でもすぐにゲイの人に囲まれてプライベートルームに連れてかれたかと思うと10分もしたら帰っちゃったんだ。言うなれば、ちらっと部屋を見渡しただけだよね。ぼくは最後までいて、気がついたらマリリンのCalling Your Nameとか、セックス・ピストルズとかボウイなんかを含む彼女のサウンドトラックで踊ってたよ。彼女にこれ以上何を求めるって言うんだ?
ショックなのは若い子が10年前の曲でも知らないってこと。「ロックンロールは死んでる」って言ったボウイは正しい。とにかく楽しいパーティーだった。ウイリアムが僕たちを追い出すまではね。
大騒ぎして、結局The Endのアトリエ・ナイトというウィークリーのイベントで締めくくってたよ。最後の10分だけだけど。ちょっと飲んでおどって、ベッドに直行。プリンセス・ジュリアの最後のコメントは貴重だったよ。「イーストエンド出身のカットはタブーで私の役をすべきよ」彼女の役はないんだけど、確かに名前はチェックしたよ。

(続く)


2001/12/08
Cyber ChameleonにEvening Standard Magazineに載ったというボーイ・ジョージのインタビューが出ていました。ミュージカルのタブーの話、元彼のマイケルの話も出てます。今は彼とは兄弟以上のつきあいのようです。でも今でも愛してるとか。その他マリリンについてのコメントなども出ています。ちなみにジョージはダイエットに成功して、ちゃんとほお骨があったそうです。なお、出ている写真がかなりきれいなので一見の価値ありです。


2001/12/05
The Devil In...によると、ボーイ・ジョージが"London Evening Standard" と言う雑誌の表紙に出たそうです。表紙以外にも何枚かの写真があるそうですが、The Devil In...のトップページに足の裏にJust Leave Me Aloneと書いたボーイ・ジョージの写真が出てます。ちなみにジョージの足の裏はかなりでかそう(27cm以上はありそう!)ですが、きれいです。


2001/12/04
12/2のコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。

ぼくは人生のベルトコンベヤーに乗ったテディ・ベアじゃない

「この寮はホモセクシャリティは選び取ったものだと信じる」というトピックのディベートをするためにオックスフォードに招かれたあと、ぼくは寮のメンバーと進行係がやりあってる間座ってなくちゃいけなくていささかいらいらした。明らかに、ピーター・ストリングフェローを含むこのまえのディベートで、ちょっと女嫌いになった。それからタフタ(やや堅い平織絹)を身に付けたある女の子が寮に投書したりしていた。彼らは30分くらいぶつかってたいした結論も出なかった。でもちょっとした上院みたいだった。セシル・B・デミルが現れて「カット!」と叫んでくれることを期待したよ。
うん、オックスフォードの男たちはかっこいいよ。メインのディベートのホールの照明はちょっと職安みたいだったとしてもね。ぼくが最終的に「ホモ」−「クイア」って言う方が好きなんだけど−であることで自分の意見を言うためにフロアにでたら、ステキなポール・ガンバチーニや雄弁な若い学生や博士兼熱心な信者に従うつもりだった。この博士の名前は覚えてないけど、明らかに自分の性に問題を持っていたね。実際のところ、ぼくスピーチをし損ねた。だってシャンペンとタバコがもっと欲しかったんだ。でも、以前ぼくは宗教の議論で聞いたことがあるよ。「罪ではなく、罪びとを愛せ(罪を憎んで人を憎まず)」って。なぜ人がゲイになったり、それを選ぶのかと言う点ではたいした成果はなかった。次のディベートは、なぜやわらかいチーズより硬いチーズが好きな奴がいるのかにすべきだと思うよ。
人にはいろんな性的可能性があって、人は我々みんなのうちに眠っている衝動で行動するかどうか決めるのだ。ぼくはガンバチーニ氏を困惑させたと思う。ぼくが「人はクイアであることを選んだりしない」と言うはずだったから。でもぼくはずっと自分はそうしたんだと思ってた。自分自身がホモであることや、プライドを持ってピンクの十字架をつけたりするために何か言われる。ぼくは自分が人生のベルト・コンベアーに乗った危なっかしい片目のテディベアだなんて考えるのはごめんだ。
ぼくは誰が実際にゲイなのかについて挙手を求めたというつまらないことがあった。それは翌日仲間の学生と顔をあわせたときの当惑とか恐れと関係している。
ぼくは例の博士兼信者に訊いた。いい奴そうだったんだ。彼が女性の抗議についての表現を聞いたことあるかってね。これはもしかしてちょっと意地悪だったかも。でもシャンパンのせいだよ。

ぼくは元ビートルズのジョージ・ハリスンが死んだと聞き、とても悲しい。ぼくたちは会ったことはなかったが、ぼくは彼に強く惹かれていた。ジョージはぼくみたいにクリシュナ神の大ファンで、信者に彼ら用の邸宅を60年代にレッチモア・ヒースに与えた。ぼくはそこで何日も楽しく過ごした。ベジタリアンの食べ物でほっぺをぱんぱんにして、サフラン色の仲間と一緒に歌ったり、跳んだりね。ぼくは彼の魂の賛美歌、My Sweet Lord、ぼくのお気に入りの一曲を録音したりもしたんだ。ビートルズ解散後、彼は公の世界から消えたみたいだったけど、誰が彼と彼の妻が最近自宅でナイフで襲われたのを誰が忘れようか。
明らかに、ジョージとオリビアはベッドから跳び上がり、ハレ・クリシュナを唱えだしたんだ。それで彼らは命が助かったんだと思うよ。でも、残念なことに彼はまたタバコをはじめて咽頭ガンにかかってしまったんだ。ぼくもここに座って吸いながらタイプを打ってるから、自分の破壊的な習慣に真剣に疑問を持ってる。
ビートルズの中で誰が本当に書く才能があるかと言う議論が何年もあって、サー・ポール・マッカートニーとジョン・レノンがいつも中心だったけど、ジョージ・ハリスンのアルバムを出してごらん。彼が素晴らしい才能と本当の魂の持ち主と分かるよ。
ぼくはジョージがクリシュナにフルートでセレナーデを歌ってもらっているといいなと思う。彼は「ぼくは神様、あなたに会いたい。長くかかるね。」と歌った。
うーん、彼の夢はついに実現したよ。


2001/12/02
英会話のレッスンで聞いてきた話。たまたまスコットランド出身の先生とマン・ツー・マンだったので、ついついカルチャー・クラブの話に。すると、さすがに地元出身。ボーイ・ジョージが本国ではビッグなDJなんだよと言ってきた。おお、やっぱりボーイ・ジョージってすごいんだーと思ってると、さらに
「DJの規模にもよるけれど、彼がDJをすると一晩に日本円で2-300万円くらいになるかな」
と一言。
2-300万円!!一体私のお給料の何か月分なんでしょ?去年の来日でもインタビューでジョージは「お金には困ってないよ」って言ってたけど、ほんとに強がりじゃないわよね。ああ、ジョージってほんとにお金持ち。


2001/12/01
The Devil In...Cyber Chameleonなどで紹介されてますが、"The Mirror"というイギリスの新聞(タブロイド?)にボーイ・ジョージのインタビューが載ってます。ボーイ・ジョージがインターネットで何をしてるかについてコメントしてます。
ジョージのネットの使い道は主にメールのようです。
面白いところでは、ゲイ・ポルノにサインアップしようとしたとか、デート・サイト(出会い系サイト?)にも入ろうともしたけど好みのタイプがいなかったというところでしょうか。また、ナップスターに対してもジョージは意外と寛容で、「ぼくはダウンロードしたものが買えるものなら、買うはずだから。インドでカルチャー・クラブの海賊版をみたときはすごいと思ったよ。現物が欲しければ買うもんだよ。」と言う感じのコメントを言ってました。


Carol@mirror.co.uk


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