本日のカルチャー・クラブなもの(2001年7月分)


2001/07/31
7/30の続き

ミネアポリス、シャイなポップスの導師のプリンスの本拠地は、一番お客さんが入ったギグってわけではなかったけれど、来てくれた人は元気に踊ってくれたよ。アメリカではDJにあわせて踊るって言うのは物議をかもす考えなんだけど、みんなだんだん来てるね。
ダラスは女がすごく男っぽいから男が女っぽくて、だからぼくは大好きなんだけど、とても楽しかった。ぼくは2組の胸にサインする羽目になったんだけど、一つは本物、もう一つは熱心なヘテロセクシャル(異性愛者)を惑わせそうなほど印象的なタイ人の(元)男性のものだったよ。
ぼくは週の半ばにどうにか大勢のお客さんを呼んだ。その後はいい雰囲気だったよ。ぼくは胸やブラやTシャツにサインするために帰らないでいたんだ。
ロサンゼルスも大変なギグだった。ぼくはミス・ストレス・バーバラと一緒にやらなくちゃいけなかったんだ。彼女は有望なDJでえらいエグゼクティヴみたいな格好をしてるけど、すごいグルーヴをするんだ。
このツアーで唯一気に入らなかったことは、ぼくが行った街の多くでぼくの最新のDJミックス・アルバムが手に入らないことだ。でも、ぼくたちは自力で売ってきてるし、自分でも売るためにはTシャツのカスタマイズもしてきてる。ぼくって家内工業か何かやってる人なのかな?
そのアルバムは4万枚くらい売れたよ。マイケル・ジャクソンを興奮させることはないだろうけど、ぼくはかなりうれしいね。アメリカで前回よく売れたぼくのレコードはザ・クライイング・ゲームだった。ぼくにはお客さんはぼくが歌うのを聞く方が好きなんだって印象を受けてる。長く待つ必要はないはずだよ。ぼくは今年後の方だけど、ニュー・アルバムをレコーディングするつもり。その間に、ぼくはラジオ1のDJのジャッジ・ルールスや才能あるアイルランド人のダンス・マイスターのポール・マスターソンと彼らのハイ・ゲート・プロジェクトのために新曲を吹き込んだんだ。レコーディングのプールにまた足をちょっと浸すために、ぼくはダーク・グローブの新曲にも声を貸したんだ。でも今は、手元の仕事に集中しないとね。次の目的地はオハイオ。
前の食べ物の話だけど、ぼくはすごく健康的に食べてるよ。ミズ・ワックスマンは薫り高い中華なべを持つ尼さんで、ホテルのちっちゃいコンロで、それもすごくうまいこと料理してくれてる。十分な意志と技で作られるものにはびっくりだよ。ぼくたちは飛行機でそばや野菜をつついている光景にいくらか驚いているが、ベジタリアンの選択肢を知っておくべきだよ。ほんとにうさぎのえさなんだ。干した生野菜一皿じゃ食事の間にライブをやってるツアー中のボーイには十分じゃないってことだよ。


2001/07/30
7/29のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% BoyCyber Chameleonから。

ぼくの自由はまたしても煙と消える
女性の交通警官がミネアポリスの空港の外でぼくに近づいてきて言ったんだ。「タバコの火を消して」トサカに来たね。皮肉ってやりたかったよ。「肉でも食べてるんだろう。ぼくは食べないから、そいつが不快だって分かるんだよ。」
もちろん、ぼくは大口をつぐんで6番ドアに進んだよ。そこなら自由にタバコが吸えるからね。ルールには意味があるのは理解するよ。でも、いつからアメリカの当局は空まで所有するようになったんだい?USは総じてなんでも反対根性でやりすぎてるよね。で、そいつはぼくの神経に触るよ。
ぼくは友達とマクロバイオテックの女性シェフのメラニー・ワックスマンと一緒に旅行していたんだ。で、アメリカの空港に肉なしのセクションがあればなーって思ってたんだ。それは僕が望んでるものじゃないんだけど、ぼくの言いたいことはわかるよね。
ぼくは旅行中に会った人のほとんどは、政治的にも性的にも社会的にもぼくとはちがった見方をしてることは、ほんと分かってるんだ。でも、生きてるし生かしてくれ。機内ではぼくは人が殺した動物をがっついてるところで一緒に座らないといけない。でも、文句を言ったりしない。喫煙は(同じくらいバカなことだけど)、情報を得た上での決定だけど、動物達は電気で処刑されることや、2枚のライ麦パンに挟まれて食卓に出されることなんて求めちゃいないよ。
ぼくはこの「通りでタバコを吸っちゃいけません」ていう狂ったルールはミネアポリスの奇癖に過ぎないと思ったよ。でもダラスに着くと、また禁煙の標識が空港の外にあったんだ。でも運がいいことに警察はいなかったけどね。

(続く)


2001/07/27
The Devil In..をよくチェックしたらお買い物サイトの紹介をしてました。カルチャー・クラブやボーイジョージのレアものがいろいろ買えるそうです。さがしてみたら、カルチャー・クラブが解散した後にロイが参加していたThis Way Upまで扱ってました。物によってはやっぱり高い!でも、コレクターにはいいサイトかも。

eil.com(Culture Club)
eil.com(Boy George)
eil.com(日本のお客様へのガイド。日本語。でもローマ字!)


2001/07/25
Very Boy Georgeの進捗状況。
また増えてました。Paint a StarやDizzy Diaryに文章が入ってました。Diaryはカルガリーとデンバーの話のようですが、7/22付けのコラムにさらに書き足した内容になってました。カナダ入国のときの状況がもう少し書いてあります。それから、カーマ・クックブックの宣伝もちゃっかりしてます。さらにデンバーでのDJの話やアマンダ・ゴースト(歌手。ジョージがプロデュースしている。)に提供した曲の話などが追加されてました。その他、プロジェクトでやってる仕事の話、チューリッヒでイヴ・ギャラガーとした仕事の話、ミュージカルが現実的になってきたということ、ドラガナとジョージに料理番組の依頼が来てるなんてことも公表してます。


2001/07/24
100% BoyにQマガジンに載ってるボーイ・ジョージへのQ&Aの記事が載ってました。質問は読者から募集したものでした。面白いところではこんな質問が出てました。
「いまでもセックスよりお茶が好き?」
「体重は気にしてる?」
「15年前あなたの余命は8週間て言ったサン紙は謝ってきた?」


2001/07/23
7/22の続き

カルガリー、この巨大な国の一番端っこの一角、への初めての旅はただ素晴らしかったね。気取って通りを歩いてたらそこがそんなにロックやビートを欲しているところだなんてわからないだろうね。ホントに、でも明らかに、夜のモンスターたちはよそ行きを身に着けてエスケープと言うクラブに押しかけるのに忙しくしてたよ。
お客さんは若くて、エネルギーにあふれてて、ハンサムで、かわいくて、ぼくは首が痙攣しちゃうし、口はホントにずっと笑ってた。バイセクシュアルには天国だったけど、悲しいかな、理屈ではぼくはただ一人のバイなんだ。
ぼくは専属のDJのケアリー・チャンに大いに敬意を表さないとね。彼はぼくよりずっと速いDJだし、ナイスなんだ。人が時々出くわさざるを得ないいつものsnidey(意味不明)や、競争心や、意地悪さがなかった。彼の音楽はリフレッシュさせるし、ファンキーで、ちょっとわかりにくくもあるんだ。
カルガリーに戻りたいよ。彼らは健全な精神の持ち主だからね。
若くてきれいにゴスのメイクをしたクラバーがぼくに言った。「あなたはぼくをこの田舎から救ってくれたよ。祝福あれ。」ぼくは言ってやりたかったね「君を嫌う奴等を気の毒に思いなよ。だって、奴らは十分おびえてるんだよ。自分たちをうんとうんと嫌ってることにね。」
そいつはカルガリーのタフガイなんだろうね。でも、ぼくはまるで家に帰った気分だったよ。


2001/07/22
7/22のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% BoyCyber Chameleonから。

カナダの場合は禁酒のDJに賛成
ぼくは概して海外に行くときはどこでも、ついたその日に仕事はしたくない。でも、今回は避けられなかった。ぼくは過去のドラッグ遊びのせいで何年もカナダに足を踏み入れてなかった。それにカナダ当局は、控えめに言っても厳しいよね。ちゃんと書類を全部調えて到着しても、ぼくは止められて自分が持ち込んだものを詳しく言うように求められたんだ。ぼくはホントに次の家に戻る飛行機に乗リたい気持ちに駆られたけど、静かにして落ち着きのあるマネージャーに交渉してもらった。
前回ぼくがトロントに来たのは歌うためだった。だから、踊るよりも女の子に色目を使いたいお客さんたちに迎えられた。有名DJ(ぼくはこの言葉が嫌いなんだけど)としては、その考えが世界中に理解してもらうのに時間がかかるのを受け入れざるをえない。ぼくは自分のお客さんを混乱させてしまう多少責任をとらないといけないだろうね。彼らは絶えず「彼は何者?」って思ってるに違いないから。
ぼくは自分が使命を果たさないといけないという事実が嫌いだ。もしくは、自分がどんな宗教にも興味を示すということもね。ひとたびカーマ・クックブックがここで出版されたら彼らはどうするだろう。ぼくは元歌手で、ヤク中で、DJで、シンバルを叩くハレ・クリシュナで、仏教徒で、堕落したカトリックで、ラジオジョッキーで有名人シェフになるの?
よろず屋、マスター・シェフ、もしくは何もないのに近いね。
ぼくは意識的にそんな多面的な存在になる決心をしたのではないが、娯楽のための音楽に頼ってたら、退屈で狂ってしまっただろう。
ぼくはハードに働くのが好きということじゃないよ。冒険中毒の女の子に過ぎない。「イヤ」って言えない女の子ね。
2つ目のギグはモントリオールのニュータウンであった。フランスのレーシング・ドライバーのジャック・ヴィルヌーヴが持ってる素敵なクラブで(残念なことに)あるタバコ会社のプロモーションイベントだった。あんまり道徳的じゃないけど許して。ぼくはスモーカーで下っ端なんだ。
運良く問題のタバコはぼくの吸ってるブランドじゃなかった。でも、ぼくはいまだにだんだん小さくなってる免税店でタバコをスパスパやってるよ。この旅行中ぼくはアルコールには手を出してない。禁酒してちょうど2ヶ月になるよ。
良質のベジタリアンの食べ物を見つけることは、-おー、またその話題だ!-大変だよ。ホテルのメニューにブロッコリーとクレソンのスープを見つけてすごく興奮したよ。でも、そいつはチキンのスープの素で毒されていた。ぼくは台所での自分のやり方が分かっているから、ブロッコリーやクレソンを飾り立てる必要が全くないってことを教えられるよ。ちょっとの海塩でホント十分なんだ。

(続く)


2001/07/21
The Devil In..にボーイ・ジョージのトロントでのDJギグの写真が出ています。お客さんもたくさん入ってて、ジョージも楽しそうです。今回のツアーではジョージはちょっと赤毛に染め替えたみたいです。相変わらず太っててます。首はもちろんですが、背中のお肉が実はすごいのかも…チェックしてみてください。


2001/07/19
Very Boy Georgeの進捗状況。
しばらくぶりにアクセスしたらトップページにさらにウィンドウが開き、Quicktimeの動画が見られるようになってました。ちょっとジョージの写真が西大后みたいと思ったのは私だけ?その他Dizzy DiaryやDJ Boy Georgeなどにも写真があります。


2001/07/18
このサイトの掲示板でも話題になってたので、買ってしまいました、音楽生活vol.5。チョーいいかげんな私は本文をろくろく読まず、カルチャー・クラブの写真ばっかり探してしまいました。何かあんまりかっこいい写真がないのは編集方針なんでしょうかね?ちなみに出てきた写真はこんな感じ。どんな写真かは買って読んでくださいな。

・ロック・イン・ジャパン85のほかの出演者と一緒に写るカルチャークラブのメンバー
・もつやき屋さんの前でお店の人と一緒に写るボーイ・ジョージ
・うどん屋の看板の前で一人ポーズをつけるボーイ・ジョージ
・洋楽怪人カード(何だこれは。私は知らんぞ。)の「怪奇・カーマ男」の肩書きをつけられたボーイ・ジョージ

…でも、怪奇・カーマ男なんて名前付けられてるボーイ・ジョージの写真はどう見たって普段着。他のミュージシャンの方が数段怪しいです。蛇くわえたアリス・クーパーや網タイツかぶったジグ・ジグ・スパトニックの写真に比べたらジョージなんてめっちゃくちゃフ・ツ・ウです。こうやって見ると80年代ってコワイ…


2001/07/17
7/14にOfficial Culture Club Websiteに書いてあったジョージのDJサイトを紹介しましたが、LadySkylorさんがまた別のサイトを紹介してくれていました。見るとボーイ・ジョージがレギュラーでやっているクラブ・ヴァーシヴを流しているKISSという放送局のサイトでした。LadySkylorさんによるとこちらも決まった時間になるとネットでも聞けるとのことです。時間を割り出してみたら、日本では土曜日の朝6時から8時(イギリスでは金曜日の夜10時から12時)でした。朝強いか、徹夜明けの方お試しください。私は土曜日の朝は多分死んでます。

KISSonline


2001/07/16
7/15の続き

シニード・オコナーの最新アルバムのFaith & Courageはどういうわけか先週プロヴァンスをドライブしているときに友達が話題にするまで、ぼくの注意から外れていた。
その中のDaddy I'm Fineはポルノに抗議する歌なんだけど、ゴージャスな皮張りのシートでホッピングしちゃいそうになったよ。あきらかにそのアルバムは大変な喝采を受けたのに、ラジオでかかることはめったにないんだ。
Daddy I'm Fineはいくらかわいせつな歌詞(でも触発させられるし、元気になるよ)を含んでいるのはわかるけど、ピーって音をあっちこっちに入れちゃえば間に合うはず。エミネムとかその辺のやつがラジオで情け容赦なくかかっているのに、なぜアイルランド唯一の生きたShe Devilは見かけることがないんだろう。
ご存知の通り、ぼくは糞みたいレベルの音楽を聞かざるを得ないときには絶えず毒づいてるけど、素晴らしいものを聞いたときには、ただただよだれを垂らすばかりなんだ。このアルバムを買うことは、先日の夜レストラン評論家のAAギルが端を切ったジャケットで日焼けしたのを見かけたくらいエキサイティングなんだ。人をうーんと言わせるものだよ。

ぼくはイギリス本土に戻ったよ。ぼくのミュージカル、「タブー」のために押さえておいた会場がだめになってしまったというユーウツなニュースのもとにね。キャスティング、セットデザイン、予算、スタジオはもう始まっちゃってる。でも、ぼくたちはショーのためには型にはまらない場所を見つけるのに必死になってる。ぼくは自分の家の壁をぶち破りたい誘惑にかられたけれど、近所の人は賛成しないだろうね。もし、適当な大きさのお店や傷んでる劇場を持ってる人がいたら、どうかぼくに連絡して!
ぼくは自分の40歳の誕生パーティーの会場を見つけるのにも似たようなことを経験したよ。ひどいデジャヴに悩まされてる。


2001/07/15
7/15のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% BoyCyber Chameleonから。

着くずしはスイス人を当てにしよう
先週末チューリッヒ・フェストのためにチューリッヒに飛んだ。このイベントは5年ごとに行われており、指定のスイス人にはおさげをしても良いことになっている。街の中心は3日間交通を閉鎖しており、特性のベンチ、フルーツや落書き、さらに食べ物の屋台、遊園地や音楽でこぎれいになっていた。
ぼくの仕事は昔からの友達で男勝りのイヴ・ギャラガーのウォーミング・アップをすることだった。もちろんぼくの舞台は着いたときにはできてなかった。ロックフェスティバルじゃ、DJは「正式な」ミュージシャンと同じだけの敬意を持って扱ってもらえないからね。
でも、ぼくは冷静を保って男たちを(いやらしい目で)見たんだ。スイスの男たちは、特にセキュリティのガードマンはすっごくハンサムだね。
ギグはすごく良く入っていて、ほんとにうまく行ったよ。ひどい音だったけどね。ギャラガーはそんなのお構いなしで、ぼくたちは立って花火をながめた。ぼくは指摘しないといられないよ。「花火はオゾン層を破壊してる。」興ざめな奴とでも呼んでくれ。でもぼくには花火のコンセプトが分からないんだ。
次の晩、ぼくたちはディナーを食べにホテル・グランデに行った。そこはバレンシアガ・ウェリントンよりもなよなよ気取っているんだ。ぼくたちはジャケットが習慣上必要だったなんて知らなかった。ぼくのは安全ピンで飾ってあったけど、パスしたよ。ぼくの仲間はずっと保守的で、アイロンがけしたシャツを選んだのにウェイターに襟首をつかまれたんだ。ウェイターはジャケットを持ってテーブルにやって来て、彼らに席で着せたんだよ。けっこう無礼だよね。
急ぐから、やせてる方に大きすぎるジャケットを着せるし、ずんぐりしている方にNorman Wisdom(意味不明。細身なもの?)のものを着せちゃったんだ。おかげで10分間も注目の的になってしまったよ。
ジャケットポリシーは分からないよ。大量殺人鬼や車泥棒にもすぐ簡単になりうる。時には一番おしゃれなタイプの人までどうしようもない奴にしちゃうんだから。

(続く)


2001/07/15
ちょっと前のネタだけど、MTVのサイトで見つけた記事。「もう知ってるよ」って方はごめんして。
ボーイ・ジョージはTake It Like A Manの件で訴えられてたそうだ。訴えてたのはカーク・ブランドン(シアター・オブ・ヘイトやスピア・オブ・デスティニーのバンドのメンバー)。この人はジョージがTake It Like A Manなどで彼との関係を書いたことを「悪意あるウソ」だとして訴えたのだ。
結局ロンドンの裁判所はブランドンの発言を信頼できないものとして退け、ジョージの本で書かれたことが事実と判断した。さらにカーク・ブランドンに25万ポンドの費用を払うことも命じた。彼はこれに不服らしく、控訴やUSでの訴訟もするとも言っていた。
一方、ジョージはこの裁定に「ゲイ・ムーブメントには偉大なホントに偉大な一日」とコメントしている。

Boy George Is A Winner


2001/07/14
またまたOfficial Culture Club Websiteの掲示板から。LadySkylorさんという方が「まだClubversiveを聞いたことのない方には朗報」ということで、ボーイ・ジョージがレギュラーをしているクラブ・ヴァーシヴが聞けるURLを紹介してくれてました。以前紹介したサイトはいつでも聞けるというメリットがありましたが、こちらは時間が決まってるようです。LadySkylorさんによればCentral US Timeの土曜日の午後3時50分からだそうです。日本時間だとたぶん日曜日午前5時50分か、6時50分だと思われますが、ちょっと正確なところが分かりません。徹夜できる方もしくは朝強い方チェックして教えてください(自分でやれって!)。

Galaxy 102 Onair(ボーイ・ジョージの紹介ページ)


2001/07/11
Official Culture Club Websiteにgodfieldさんがジョージに遭遇した話が出てました。ジョージの誕生日の数日前に道でばったり会ったそうです。まさかこんなところで会うとは思わず、心の準備も出来てなくて震えてくるわ、泣きそうになるわで大変だったらしいです。話したいことがいっぱいあったけれど、サインをもらうだけでいっぱいいっぱいだったとか。でも、ジョージはとても親切で、ほっぺにキスしてくれたそうです。
うっ、うらやましいぞ!でも、私ならびっくりしてサインももらえないような気がする。

ちなみにこのコメントのレスにsharonbさんがこんな感じのコメントを残してました。
「もしジョージが私のほっぺたにキスしてくれたら、洗ったりなんかしないわ。ジョージは口紅の跡を残したの?もし、ジョージが私のほっぺたに跡を残していったら、何日かはそのまま取っとくわね。」


2001/07/10
7/9の続き

まずい演技も陳腐なせりふもぜんぜんないし、歌は全部オリジナルなんだけど、ジギー・スターダストの輝きを放っていた。もしデヴィッド・ボウイがベルベット・ゴールドマイン(彼の70年代の姿に、まあ基づく以上のものではあるけれど)に気を悪くしたのなら、彼はこの映画を見て大いに誇りに思うだろうね。
「ヘドウィグとジ・アングリー・インチ」は大成功だし、ヒールを履いて闊歩したり、眉毛を抜いたりしているあらゆる男たちへの賛辞だ。でも、これはぼくの母を笑わせ、泣かせるものだってことも知ってる。うれしいことに2000年のイブにNYでヘドウィグと共演した。でもぼくは自分のメイクに忙しくて彼のステージを見られなかった。率直に言ってぼくは気が抜けたけれど、そのパフォーマンスを映画でまた見る機会がもてて光栄だよ。
文章と言えば、ぼくの言葉は今週は余り詩的じゃない。今月のアトリビュートマガジンのぼくのインタビューを読んだ人はみんなぼくの言うことがわかるだろう。ぼくはマドンナに「人気者妄想」ってコメントしたときやり過ぎたかもって気に病んでるんだ。でもぼくのしまりのない舌に怒っているのは気の毒に、エルトン・ジョンだった。
仏教徒だから、もしくはなろうとしているから、言葉には力強くも残酷にもなりうることを知っているし、自分が説いていることを実践できたらと思う。ぼくは実際ほんとにエルトンが好きだし、彼はこのコラムを読んでくれてるし、きっとぼくの言おうとしていることは「ごめんなさい」なのだ。ジョージ・マイケルやエミネムと一緒に歌ってぼくとは一緒に歌ってくれないことは置いといても、彼はぼくに対して攻撃的なことをしたことはなかった。マドンナと違って彼はいつも挨拶してくれるし、いつもジェントルマンだ。文の間では深呼吸しないと行けないのはわかってる。だって誰かに対してビッチ(意地悪)にするといつも、何日かひどい気分になるからね。
それはぼくが悪人てことじゃないんだ。ただ、ときどき大口たたきのビッチでほとんど言った通りのことを意味してるわけじゃないんだ。ぼくはエルトンに花を贈ったものだけど、彼はそれを近くにおいてくれるんだ。だから自分のマッサージ器を送ろう。
Stars In Their Eyesでボウイをやった後悔いが残ってるんだ。ぼくは自分の眉毛を剃り落とした。それがまた生えてくるまでの間ぼくはまたゼロから眉毛を書く練習をしなくちゃいけないんだ。先日ある会社のパーティーでDJをしなくちゃいけなかったんだけど、みんなにおかしいって思われてしまった。ぼくのメイクアップ・アーティストのポール・スターさえ笑わずにいられなかったんだ。ぼくたちが笑いつづけてるから。
ぼくは物のよい古いワセリンを毎晩こすり付けるようにアドバイスされている。自分でも早く戻るように唱えてるよ。こんなことわざを聞いたことがある?「どんな絵も額縁が必要。」そのとおりだね。


2001/07/09
7/8のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% BoyCyber Chameleonから。

ヘドウィグの映画は大成功
パンクロックの時代に活動していた人は誰でも、側溝のような口で率直にステキな性転換歌手、初めはウェイン、後にジェイン・カウンティを思い出すだろう。
ううん、もし彼/彼女の顔を思い描くなら、そこにファラ・フォーセットとボウイをちょっと加えてみて。最終的にヘドウィグになるよ。ヘドウィグって誰って?良くぞ聞いてくれたね。そうだね。彼をポップ・スターとも、詩人とも、パフォーマンス・アーティストとも、役者とも呼べるね。だって彼はそのどれにも当てはまるから。彼は正確に言うとジョン・キャメロン・ミッチェルで、その分身として一番よく知られている。自分のロックオペラのツアーのヘドウィグとザ・アングリー・インチ(意味を聞かないで!)の後、彼はついにその映画を作ったんだ。それは本当に美しいものだよ。
先週ぼくはどうにかして個人的にその映画を見た。見たあとぼくは狂っちゃったよ。ヘドウィグとザ・アングリー・インチは東ベルリンから逃げるために性転換する若者の話なんだけど、ぼくにストーリーを要約させないで。その話と来たらチャビー・チャッカー・オン・ヘリウム以上にひねってあるんだから。ミッチェル氏の自己非難のユーモアに対する傾向は勇敢でショッキングで憂鬱なほど独創的な映画で演技、監督、主演する彼の能力に初めてマッチするものだ。

(続く)


2001/07/07
立ち読みTake It Like A Man。

246ページから。
友人(悪友?)のマリリンとエジプトに行った時のジョージ。そのときはカメラマンも同行していて、ピラミッドをバックに写真をとることになったそうだ。衣装はカフタンという帯付きの長袖のドレスを入手、メイクもエリザベス・テーラーのクレオパトラ風にばっちり。そして帽子をかぶって完成となるのだが、その帽子はもともと帽子ではなかった。ホテルにあったプラスチック製の紙くず入れの底をカットして、ジョージの頭につけると周りをシルクのスカーフで巻いていたのだ。(彼の頭にはまったんだから結構大きなくずかごだったと思う。)何でもファッションの材料にしてしまうジョージのセンスってほんとすごいと思うけど、写真を見るたびに、「あの頭にかぶってるのは、もともとゴミ箱なのねー」とちょっと笑ってしまうのだった。(この写真はTake It Like A ManにNefertiti and the pyramidsというタイトルで載ってます。)


2001/07/05
立ち読みTake It Like A Man。

今日はちょっとHなネタです。ボーイ・ジョージが作ったレーベル、モア・プロテインの由来が次のように書いてありました。

More Protein came from oral s*x. (原文は伏せ字じゃないです。伏せ字が何かはわかりますよね。)

意味がわからない方は、わかりそうな方をつかまえて聞いてみてくださいな。私はこれを読んでプロテインの正体を想像して、固まっちゃいました。全く、ジョージってば、なんでこんなところから自分のレーベルの名前をつけたんでしょうね。


2001/07/04
今更だけど、2月に出たボーイ・ジョージのEssential Mixネタ。London Sire-Recordsのボーイ・ジョージのページをしばらくぶりにチェックしたら、ボーイ・ジョージのミックスが聞けるようになってました。しかも30分も。太っ腹!ちなみにSee Thruのダウンロードも用意されていますが、こっちは聞ける地区が限られてるようです。日本は駄目らしいです。なんでやねん!


2001/07/03
The Devil In..HOME COOKINGに6/29に発表されていたので、既にご存知の方も多いかと思いますが、ボーイ・ジョージのDJツアーの変更が出ていました。なんとカナダ(トロント、カルガリー、モントリオール)でのDJは招待客オンリーで場所もヒ・ミ・ツ♪にされてしまってました。USでのDJは、チケットの売り出しが開始されてるところもあります。ticketmaster.comで扱ってるので、ネットからの購入もできます。


2001/07/02
7/1の続き

全体に気味悪さを付け加えるならば、ぼくはヴェルサーチのショーを見にミラノに行ってきたところで、そのショーはボウイにささげるものだったんだ。サントラを準備しないといけなかったんだ。年代もののボウイの曲に都会的なグルーヴをミックスしたやつをね。モデルはボウイの髪型でウエストをしぼったボックス・ショルダーのジャケットにぼかしの入ったアイライナーで舞台を歩いたよ。それは80年代のボウイ、Thin White Dukeの頃の姿にささげたものだった。でもいい練習になったよ。もしヴェルサーチが20年にわたってぼくの音楽やスタイルに賛辞を示したら、ぼくは喜ばなかっただろうか。
パーティーの後、ぼくはヴェルサーチの巨大な石造りの別邸で何人かのために数曲まわしたんだ。すごくセクシーな役者のヒース・レッジャーのおかげでフロアにすごい人だかりができた。感謝するよ。半分くらいやったところでサウンドシステムが故障してしまった。すると警察がやってきた。誰かが文句を言ったからなんだ。何でドナテラは金をやって逃げろって言わなかったんだろうって思わずにはいられなかったよ。金持ちな権力者でも隣人は買収できないみたい。
それに関連してだけど、有名で金持ちのジャミロクワイのシンガーのジェイ・ケイは先週ロンドンで流行のメットというバーでぼくの友人のフィリップ・サロンを拳骨で殴ろうとした。ガードが彼らを引き離さないと行けなかった。あきらかに、ジェイはフィリップが80年代のころ伝説のマッド・クラブから彼を返したことに、まだ腹を立ててるんだ。
もしフィリップのパーティーから締め出されたお客が仕返しを企ててたなら、彼は24時間ガードを雇わないといけないだろうね。幸運にもパンチはくらってなかったけど、ひどい言葉でののしられてフィリップは震えて家に帰った。皮肉にも奥さんはジェイ・ケイの大ファンでいつも彼の「ラブリーな声」に夢中なんだ。でも彼はレコードは絶対買わない。だからレコードを焼く儀式なんて不要だろうね。


2001/07/01
7/1のコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% BoyCyber Chameleonから。

ジギーのかつらは良い印象を与える
ぼくは自分がいろんなことに首を突っ込んでぐったりしている唯一の人間じゃないことがわかってよかったよ。先日の夜、ぼくはトップ・ヘアドレッサーで、店のオーナーで、女性司祭のリサ・イーストウッドの訪問を受けた。彼女はぼくがCelebrity Stars In Their Eyesに出演するのにジギー・スターダストのカットをするために寄ってくれたんだ。
そう、ぼくは自分のアイドルのデヴィッド・ボウイみたいにして出ることに同意したんだ。そしてぼくは、自分があらゆることをいささか真剣に取りすぎてるんだ。友人で天才メイクアップ・アーティストのポール・スター(彼はボウイにメイクをして、彼とは一緒に仕事をしてきてる。)にアメリカから飛んできてもらってぼくにジギーのメイクをフルにしてもらうように口説いたから、かつらのカットをしてくれる人をゲットするのに必死だったんだ。それで、イーストウッドの顔が浮かんだんだ。
そのかつらはヨーク公爵夫人の滝のように流れ落ちる髪のものだった。でも45分間はさみを入れたら、それはグラム・ロックの理想のように見えてきた。だからぼくはうまく行っても行かなくても、もう気にしないはずだよ。だって、見た感じをちゃんとすることがすべてなんだから。
たいていStarsに出る人は、衣装やかつらを内輪で準備するんだ。でも懲りすぎて老けたオカマになっちゃうんだ。ぼくは専門家を呼ばなくちゃいけなかった。それで、ぼくは真正なボウイのかつらを手に入れたんだ。ぼくはそれが実に正しい処置だと確信してる。ぼくはデヴィッド・ボウイみたいな話し方を習うために演技始動を受けてるんだ。
ぼくは13歳のとき、初めてボウイの真似をしたんだ。おばのジャンがぼくの髪を切ってくれた。ぼくが10代の頃のポップ・バイブルだった、ジャッキーマガジンからの切り抜き写真をガイドに使ってね。ぼくは自分が一番よく見えるって思ってた。生まれて初めてボウイのコンサートを見にルイシャム・オデオンに行くまでは。そこで、ぼくは完璧に盛装したボウイのクローンたちに直面したんだ。おかげで、ぼくがほんとにみすぼらしく見えてしまったよ。今回、ぼくは眉毛をおとした(母親は初めのころはさせてくれなかったものだけど。)。6週間くらいKing Edward potato(意味不明)みたいに見えちゃうだろうけど、その価値はあるよ。

(続く)


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