本日のカルチャー・クラブなもの(2002年1月分)


2002/01/31
1/29の続き

ポップスにはとってもすごい1週間だった。キムがヒア・セイを出たんだよ。それは "I'm Spartacus"のシーンの一つだと思うよ。これって、ぼくたちが一連のスパイス・ガールズ形式のソロの悪夢に苦しまないといけないってこと?
ヴァージンはマライア・キャリーを切って彼女に何百万も払ったんだよ。彼らがぼくを切ったとき、ぼくは彼らに70万ポンドの借りがあった。だからもしもぼくがミス・キャリーのために泣いてあげなくても許して。でも、ヴァージンは何考えてるんだろう?あんなに素敵な声の女性を切るなんて。誰かにステキな歌を書かせれば、彼女はチャートに戻ってくるはずだよ。
いいかい、あんなお馬鹿な金まみれのレコード会社が有名アーティストにお金を払うなんて恥ずかしいよ。ステキなステージは見られなくなるだろうってことさ。
ぼくを偽善者と言ってくれよ。ぼくはどれくらい作られたポップスが嫌いなことか!でも、ぼくは木曜日に「タブー」でポップス・アイドル・トリオが出てきたのを見て実にうれしかったよ。ぼくはギャレスにもう夢中さ。どもってて、ホモ連中は無我夢中になってたよ。
マイケル・ウィナーもいたし我らがフィリップ・サロン役は言ったよ。「見て、マイケル・アスペルだよ。ベーグルは欲しい?きみはお魚が好きなんだってね。」彼はそれを意図的に取らえた。マドンナみたいに、彼は姿をあらわすのに恥ずかしがったりしないよ。


2002/01/30
1/28の続き

マドンナは黒いめがねをかけてそこにいた。だからぼくはそれが彼女とわかるまでに何秒かかかったよ。困ったよ。ぼくはこのコラムで彼女がバーナード・マニングのことを疑わしくも応援してることをがみがみ言ったんだから。まだ彼女は自分の意見を言うのに何の問題も持ってないのだ。彼女を治してやって。チェルシー・クリントンも来てたよ。すてきにまっすぐに伸ばした髪できれいに見えたよ。
パーティーでぼくはドナテラのテーブルに呼ばれて、言われたよ。「チェルシーを知ってる?」だからぼくは「不思議なことに、知らないんだ。」と答えた。ぼくはチェルシーに自分が彼女のお父さん(クリントン前大統領)の大ファンで、まだ大統領だったらよかったのにって言う機会があった。彼女はそんなことは何度も聞いてると思う。でもぼくはお父さんに電話して言って欲しいなと思ったよ。
言わなかったけど、ぼくはモニカ・ルインスキーにも去年会ったんだ。彼女はぼくとスナップを取られたことでパニックになってた。だからぼくは「心配しないで。ぼくは君の評判を落としたりしない男だから。」と言ってあげたんだ。
一方、チェルシーは喜びすぎて気取った態度も取らなかったよ。僕のDJのパートナーのデイヴ・デイヴィスと写真を取ったりさえした。2日後、ぼくは彼女とヘヴンで出くわしたから、「タブー」の初日に招待したんだよ。僕たちは番号を交換したんだ。彼女が現れるといいな。
マドンナがいないのを寂しいとは思わないけど、もちろんぶらっと現れて欲しいよ。だって、ぼくたちは彼女の歌のヴォーグを(愛情をこめて)ものまねしてるんだからね。彼女は笑うかな?怒って出て行くかな?アメリカのスターにユーモアのセンスはあるかな?実際、ぼくたちはヒューマン・リーグやスパンダー・バレエのものまねもしてる。でもケニー・エヴェレットも言うだろうね。「どれもみんな最高にありえそうな味わいがあるよ。」

(続く)


2002/01/28
1/27のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。

ヴェルサーチのパーティーに飛ぶと言ってさらに脅す
では先週のあのひどいユーロスターでの旅に話を戻そう。9時間後我々は電車を降りて、サービスされたバーで安いワインを最後の一滴まで味わってほっとした。ぼくが先週言った例の気の変なフランス人女性はジバンシーやトップ・ファッションハウスの集団のPRだった。「こんな電車、私のスカート代で買えるわ。」さらに「うぬぼれてるわけじゃないのよ。」と、続けた。それは確かにいいスカートだった。さらに彼女は靴にも自信を持ってて、僕たちに見せるためにテーブルの上に立てかけたんだ。
とにかくぼくは友達の誕生日に間に合わなかったよ。でもヴェルサーチのショーは大騒ぎだったんだ。一組のPETAから来た毛皮に反対する人たちが現れたんだ。でもたちまち追い出されたよ。ベジタリアンだから、そういうのはすごく合法的な感情表現だと思う。たとえ、ショーで毛皮を切り裂くことがなくてもね。外で、二次会に向かうときに、ぼくは抗議活動家の一人に会ったから「よくやったよ」って言っておいた。

(続く)


2002/01/26
深夜のテレビで80sのコンピレーションアルバムの一つ、"Replay!"のCMが流れました。そこで最初に流れるのがカルチャー・クラブの「君は完璧さ」のプロモーション・ビデオです。CMというのはいつ流れるか分かりませんが、見た方は油断しないようにチェックして見てください。


2002/01/24
The Devil In…にイギリスのゲイ雑誌(freeとあるのでタダらしい)のPink PaperとQXにボーイ・ジョージが「タブー」プロモーションをしていると書いてありました。QXのサイトからはPDFファイル(AcrobatReaderが必要)でダウンロードもできるようです。ただし、条件があって、このサイトは18禁サイトだそうです。(ちなみに私がトップページだけアクセスしたら、ムキムキのお兄さんの写真がお迎えしてくれました。)


2002/01/23
Official Cultue Club Websiteの掲示板にチャズ・ダバットからの書き込みがありました。それによるとカルチャー・クラブは密かに活動している模様です。彼も「まだ言えないけど、この場所を見ててね」と言ってます。カルチャー・クラブとしての活動もやってくれそうです。とりあえず、あわてずに待ちましょうか。


2002/01/23
1/22の続き

ぼくの今週のハイライトはエージェントのアマンダ(またの名をゴースト)をLAに戻らないように納得させることだった。彼女はぼくがこの数年聞いた中で最高のアルバムの一つを作ったところなんだ。彼女のレコード・レーベルのワーナー・ブロスの人たちは明らかに耳がヘンなとこについてるよ。髪の毛を薄くするような声の持ち主のゲリ・ハリウェルがIt's Raining Men(It's Raining Menusにすべきだったね。だってその娘は食べないんだから。)をレコーディングして一番を取れるなら、ミズ・ゴーストはワーナーから崇拝されるべきだよ。さらに彼らがアマンダのアルバムをもっと面倒見てくれたら、彼女はいつもPRで仕事があるはずだよ。ぼくのママにステキなシャネルのハンドバッグを要求できる人は、誰でもスターなんだよ。ぼくは今度の金曜日、彼女のアルバムから1曲キス・ラジオの番組でかけるよ。エミネムとカイリー・ミノーグのひどい海賊版と一緒にしてね。エミネムをもっとカマっぽくするものは何でも、ただただいいものだからね。


2002/01/22
1/21の続き

電気系統の問題の一週間だった。木曜の夜はシャネルのパーティーでサウンド・システムが切れて技術者が店につくのに45分かかったんだ。だからぼくは座って親指をいじったり、口をとがらせたり、変わったおばあさんにサインしてあげたりするばかりだった。でもいいこともあったよ。ギグをちょっとだけやって、贅沢なものをトラックいっぱい約束されたよ。ステキな高級バッグはママに受けるだろうね。僕の親友のアマンダ・ゴーストは、今やエージェントとして知られてるけど、ぼくの公式なエージェントじゃない。でも、どうにかこのギグのお膳立てに関わってもらった。そしてぼくが彼らが送ってくれた布製のバッグを見たとき、彼女はシャネルのPRに電話して言った。「あなた方はリズ・ハーレイに布のハンドバッグを送るの?」彼らの返事は「私どもは男性に何を送ればよいか分かりませんでした。」であった。アマンダは金切り声で叫んだよ。「ボーイ・ジョージはドラッグ・クイーンよ。彼には美人に送るような物を送りなさいよ!」
明らかに、ぼくはシャネルのお気に入りだよ。ぼくがその晩エルトン・ジョン・スタイルを怒って飛び出さなかったのを信じられないような彼らのね。いいかい、ぼくは大きくて年期の入ったシャネルの旅行用トランクなんて気にする気はないよ。ぼくの住所は知ってるね。

アメリカのスターたちはどうしたって言うんだ?プリンスは会話が出来ないし、ブリトニー・スピアーズは毎度ラジオでお知らせされたホテルの場所を取って、気を引きたくないフリをしてるんだ。もしそうならなぜ彼女はハードロック・カフェに8人のボディガードと現れたんだ?しかもボディガードは、しっかりメイクしてステキな上着をきた彼女の写真を取ろうとしたカメラマンを殴ったんだよ。もし彼女がジョギング・パンツでウールの帽子を被って、6つも重たい買い物袋を下げてウェイトローズから出てきたんだったなら、ぼくも分かるんだ。
油断してるときにパパラッチに捕まるほど悪いものはないよ。何年か前、写真をとる奴がアイビー・レストランの外でぼくの写真をとっていいか聞いたんだ。やな感じがしていったよ。「もし君がそんなことしなかったら、ぼくもずっとハッピーだったのに。」でも奴はとにかくパチってやったよ。だからぼくもそうした。奴の顔面に一発くれてやったよ。最近はぼくもドリー・パートンの人前に出るときのルールに従ってる。出かけるときは戦闘用のメイクをしっかり施すこと。ぼくの場合は眉毛を書くこと。

(続く)


2002/01/21
1/20のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。

みんなヒューズが飛んでた、ぼく以外はね。
もしぼくが9歳で最悪の二日酔いに悩まされてなかったら、暗闇で暖房もないユーロスターに閉じ込められたのを、ぼくは冒険だとさえ思ったかもしれない。ぼくはアガサ・クリスティーがいつ何時現れるんじゃないかと半ば期待したよ。ホモの人がいて、そいつは着飾ったフランス人でかんしゃくを起こして言うんだ。「この電車は見掛け倒しね。きっとビン・ラディンよ。コンセントを引っこ抜いたのは。」
ぼくはベルサーチでDJをするのにパリに行くところだった。さらに最悪なことはもうちょっとで電車を逃してしまった。あと5分だった。8時の電車でゲイ・パリに向かっていたはずなのに。今夜は友達のジェレミー・ヒーリーの40歳の誕生日パーティーなんだ。顔を出したいけど、この調子じゃ降り立つプラットフォームや寝場所で安いワインを高値で吹っかけられるだろう。

(続く)


2002/01/19
Cyber Chameleonに出てますが、ミュージカル「タブー」がBBCのドキュメンタリーになるそうです。2000年ごろからこのミュージカルの構想があったことも書いてあります。どうやら、ボーイ・ジョージ出演分はまたおうちで撮影した模様です。ギターを爪弾きながら語ってくれたとか(…ジョージって楽器できたんでしょうか?)。放送は2/3だそうです。地元の方が羨ましいです。


2002/01/17
もうひとつ100% Boyから。
ロンドンのセルフリッジでのボーイ・ジョージの衣装展の写真が載ってます。行けない人には必見ものです。でもでもでも、どーして檻に入ってるの?


2002/01/17
1/15の続き

愛と言うのは、みんな知ってるとおり、人にバカなことをさせるものだ。マドンナのガイ・リッチーへの愛も彼女の知恵を失わせている。最近のパーティーでは、彼女は座って面白くない、人種差別主義の、おカマ嫌いのコメディアン、バーナード・マニングを見たんだ。で、彼のことをとても楽しいと言ったんだって。彼女はめったにユーモアを解さないと認めてるのにね。
このおカマはそのことを明らかに分かっていて、すごく不快な気分になってるよ。ハビー・ガイはそれを真に受けてしまって、今度はマニングをプライベートなパーティーに呼ぶんだって。
いわゆるマッド・ドンナもしくはマックドンナは、ゲイ・アイコンとしての自分の地位を自覚すべきだよね。それからそんな奴を呼ぶってのは、ぼくがゲイリー・ブッシェルとデュエットするようなものだってことを覚えておくべきだよ。
リッチーと結婚して以来、マドンナはゲイの友人の多くと絶交したか、少なくとも閉めだしてしまったと聞いている。でも、おそらく彼女は必死でゲイの聴衆全体を遠ざけてるんだ。ゲイ・コミュニティはマドンナに対しておかしくなってる。ジョージ・マイケルに対してそうだったように。でも、少なくともジョージはズボンを下ろしたことで捕まって以来、正しい方向に旗を振ってきたよ。
一方、ピーター・タッチェルは仲間の同性愛者から臭いもののように扱われている。彼はマドンナ以上のことを僕たちにしてきたんだ。もし彼女がゲイ・アイコンの地位を喜んでいるなら、人前での行動を考えて、それを自分のヒップにしてきたのと同じくらいイイものにすべきだよね。


2002/01/15
1/14の続き
もちろん、エイズがひどく流行している国の政府は運動に対してお金を出すのに極端にけちなんだ。そんなところにエルトンは何百万も出してて、そのことはすごく大切なんだよ。エルトンはUKだけでも少なくとも13000人がHIVに感染していて、世界規模では2180万の人が亡くなっていて人的損失は破滅的なものだと、指摘していた。
多くの点で、若者たちは病気のことはほとんど忘れていて、そのことはゲイだけの問題と思っている。でも、会場にはたくさんのヘテロセクシャル(異性愛)でHIVやエイズを抱えて生きてる人がいたし、その数は日ごとに増えてるんだ。
その晩は人々に病はまだ去ってないことを思い出させたよ。サー・エルトン・ジョンが提供したお金は大金持ちにとっては大海の一滴に過ぎないと言うかもしれない。でもたくさんの大金持ちはお金の上に座り込んでて、「お金は(天国に)持って行けない」って言う賢明な古いことわざを忘れてるんだ。
「ぼくはヒーローじゃない」とエルトンは言っている。でも、彼が助けてきた人にとっては彼は確かにヒーローだよ。ぼくはめったに人前じゃ帽子を脱がないんだけど、それをするとしたら彼のためにしただろうね。

(続く)


2002/01/14
1/13のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。

エルトン、あなたはエイズの活動ではヒーローだよ
この前の水曜日、ぼくは贅沢なドーチェスター・ホテルのボールルーム(宴会場?)ですごく感動的な夜を過ごしたよ。そこで、エイズ・チャリティ・クルセイドがエルトン・ジョンにヒーロー・オブ・ザ・イヤーを送ったんだ。彼はさまざまなエイズチャリティに精力的に活動し、財政的にもサポートしてきたからね。
エルトンは、(みんな知ってるように、ぼくはエミネムとのデュエットの件ではこのコラムで批判してきたんだけどね)脚の上に針山をつけたようなヘンに見えるベルベットのトロフィーをプレゼントされた。彼はぼくと同じくらい楽しんでるように見えた。トロフィーを渡されると言った。「おい、ジョージ、ぼくはこれでどうしたらいい?」だからぼくは「あえて言わないよ」って答えておいた。
彼が"針山"を集めていると言うスピーチは驚くほど感動的なものだった。そしてぼくがこれまで彼について悪口を書いてきたので、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。エイズを抱えながら生きているゲイの男たちのスピーチがたくさんあったが、一番感動的だったのは5歳のときの輸血でウィルスに感染した25歳の若者の話だった。彼は学校時代ひどい偏見を受けながら生きてきた。そして自分の病気に対して正直になることを選んだために彼女を失ったのだ。この若者がほんとに健康そうに見えるのは驚くべきことで、医学の研究の進歩がHIVやエイズと生きる人の生き方をすごく変えたことを示している。

(続く)


2002/01/13
100% Boyによると1/11から始まるはずだったミュージカル「タブー」ですが、1/11と1/12の公演が技術的な問題で取りやめになったそうです。この日に行く予定だった人は払い戻ししてもらえるみたい。初演は1/14になるそうです。(Zeeさん、お知らせありがとう!)

で、中止の話ばかりではつまらないので、The Devil In…から。先日から話題になっていたセルフリッジと言うデパートでのボーイ・ジョージの衣装の展示が始まった模様です。刑務所の独房のようなスタイルでセットが作られてるみたいです。衣装はジョージがパンクファッションをしていたころから、87年のツアーの衣装が中心になっていて、その他にも最近の衣装が飾られてるそうです。2000年のUSツアーで着たレイ・ボウリーがプリントされた衣装(ディスコ・モンスターとも言われている怪しい顔がプリントされた衣装かな?)も出ているそうです。さらに、写真や家にある家具、数々の持ち物まで出してると書いてあります。何かファンにはよだれが出そうな企画だわ。


2002/01/10
1/8の続き

週の後半、ペット・ショップ・ボーイズのニール・テナントとロンドンのヘヴンでしゃべってたんだ。ぼくたちはゲイ・コミュニティーが彼のミュージカル「クローサー・トゥ・ヘヴン」に対してサポートが欠けてることを議論した。
ぼくは「タブー」開演まで刻一刻と迫ってくるにしたがってパニックでいっぱいいっぱいになってるよ。1週間ないんだ。必然的に友達がただで入れてくれって言う電話がかかってきてるんだけど、チケット売り場の電話番号を教えてるだけなんだ。
若いホモセクシャルには自分たちの歴史の感覚なんてないんだ。ポップスのファンが印学の歴史なんて知らないようにね。下手くそなポップグループのステップスが活動停止したのは、オスカー・ワイルドやクエンティン・クリスプよりは明らかに重要だよ。でもぼくとしては彼らが解散したのはうれしいけどね。
オスカーと言えば、LL3Xというパンクなダンスグループの素晴らしいデモ盤を聞いたことがあるよ。そいつときたらオスカー・ワイルドの刑務所の曲って感じなんだ。だからきっと望みはあるはずさ。ダンスミュージックでは誰もが古いレコードを抽出して、今風のキレを曲に与えてるように見える。先週ぼくはミサイル50対スティーヴ・ストレンジのレコードを手に入れた。でも、スティーヴはそのレコードのことは全然知らなかった。たぶん保守派のダンスミュージックは新しい流行なんだろうね。でなけりゃネタ切れなのかな?


2002/01/08
1/7の続き

DJを尊敬したりお互いに誉めたりする古いお約束はなくなってしまった。戦略をなくしてあらゆる出演中の古くからのDJを叩いているプロモーターかもしれない。シャンペンのことをわいわい言って、気がつくと翌日の昼まで別のトレードって言うクラブの奥にいた。
ぼくはその夜が親友のクリス・マッコイを偲んでささげられたものであることに気づいてショックを受けた。彼は2日前にアムステルダムの運河で死体となって発見されたのだ。クリスは才能のあるDJでプロデューサーで、ロンドンのゲイ・シーンではすごく人気があったんだ。彼の死は悲劇的だし謎につつまれている。
ぼくは2001年が終わってくれてうれしいよ。だってろくでもない年だったから。亡きディヴァインがかつて言ってたよ。「くだらないものは厄介払いに。」ってね。

ジョージ・マイケルとか言うペテン師が野放しになってるね。彼はスターを代表して大きなパーティーを開いて、そこで回してもらうDJを何人かお願いしたんだ。そのうちの一人、ファット・トニーが先週病院に担ぎ込まれてそのでっちあげパーティーに参加できなくなったんだ。だから、ジョージのマネジメントにそのニュースを知らせるべく電話することがぼくに任されたんだ。それで、ミズ・マイケルがロサンゼルス行きの飛行機に乗ってるところで、いくつかのばかばかしいイベントや電話は彼の代わりになされていることに気がついたんだ。ぼくもこの手のことはちょっとは知ってる。だって元彼がぼくの親友の一人に、ぼくの彼氏であることを主張して、彼や彼の友人ロンドンのメット・バーに入れるように電話をした面があったんだ。運良くぼくの親友は問題の元彼が1ヶ月以上話してないのを知ってるんだ。仲直りのプレゼントとしてクリスマス・イヴに50本のバラをもらったとしてもね。
ぼくは反目するのは嫌いだし、元彼のほとんどの人とはどうにか近しくしてる。うん、ぼくのお気に入りのことわざはいつもこれ。「皮肉屋は恋愛にがっかりするのみ。」それにぼくはつまらない奴だよ。たとえ治りようがないロマンチックなものじゃなくてもね。たとえ、皮肉屋になるのが大変な人がいてもね。

(続き)


2002/01/07
1/6のボーイ・ジョージのコラムから。お題は1つでした。ネタ元は100% Boyから。

危険な年に厄介払いを
大晦日にブリストルで盛り上がったDJ(そこには友人でステキなボーカリストのジョン・ギボンズを連れて行った。曲に合わせて歌うのとお客さんを起こすためにね。)につづき、コヴェントリーに向かった。
僕たちは高速を飛ばしていた。ぼくがHi-gate(ジャッジ・ジュールズとポール・マスターソンのユニット)と一緒に録音した曲の最終のミックスを聞きながらね。で、おしっこに行きたくなってサービス・ステーションに寄らざるをえなくなった。ジュールズ、彼の奥さん、セクシーなドライバーのガイルズがいた。同時に発生したことを話そう。かれはキャッスル・ドニントンに向かっていたし、ぼくはナイスなDJのフォローのためにコヴェントリーで終わることになってた。そのDJが超高速でプレイするから、ぼくはおばあちゃんに一年も続く偏頭痛を与えてしまうようなもののために、自分のボックスを大急ぎで片付けなくちゃいけなかったんだ。

(続く)


2002/01/05
いまさらですが、12/30のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

装飾された家族のクリスマス
遅れたけど、みんなにメリー・クリスマス。そしてあらゆるものがちょっと退屈と思ってるみんなに平和なときを。あんなにトラウマ的な年だった後じゃクリスマスの気分になるのは僕にはちょっと難しいね。9月11日の悲惨なイメージで、何千もの家族が追悼行事以外ほとんど待っていないことを思い出すと、プレゼントを開けてにこにこするのを考えるのは難しいんだ。僕の気持ちは彼らと一緒にいる。ぼくたちはみんな謙虚な気持ちを感じるべきだ。この、彼らが家族を失ったという悲惨な時を過ごしている彼らの尊厳でね。
クリスマス・イヴに僕の家の玄関のベルが鳴った。そしてぼくはインターホンのモニター越しに、気の毒に郵便屋さんが僕がこれまでに見た中で一番でかい小包を二つ抱えて、ほとんど背中が曲がってるのが見えた。ぼくは彼を呼び入れた。でも、荷物のことを話そう。ドナテラ・ベルサーチは何事も半端にはしない。玄関には彼女のお祝いのプレゼントがあった。もし彼女が自分でそれを包んだなら(僕は疑ってるんだけど)、リボン1マイルは要ったはずだし、プレゼントを包むのに少なくとも1週間はかかっただろう。最高に美しいエンボス加工の皮の荷物だった。ありがとう!ぼくは包んだから送るだけだよ。次に郵便屋さんが通ったときにはチップをあげないとね。
僕の家族はクリスマスにプレゼントを持って到着した。皆一応シェ・ジョージでのマクロバイオテックのクリスマス・ランチを期待してるんだ。マング・ビーンのスープに番茶という考えは、山盛りの野菜やロースト・ポテト(もちろんみんなオーガニックね)に打ち砕かれ、フレッシュ・フルーツに僕の秘密成分入り豆乳フォンデューが続くんだ。
ぼくのマクロバイオテックの師匠、ドラガナ・ブラウンに幸あれ。彼女のレシピはおいしい。彼女は直接手を下さなかったけれど、みんな楽しく過ごしたとはっきり思った。15人全員がおなかいっぱい満足した状態でテレビの周りでのびていたところから判断するとね。
母も妹のシオバンもほとんど努力せずに僕の家族がドリーム・チームが突如現れたみたいになったのを喜んでいる。われわれはまたフィリップ・サロンの登場という名誉を得た。彼は僕たちと過ごして、兵隊のように楽しませてくれた。彼がどんな風に楽しませられるのか知らないといけないなんて人は、タブーを見に来なさい。ぼくの新しい舞台だよ。ウェスト・エンドで1月11日に始まるんだ。フィリップ・サロンは一人しかいないよ。喜ばしいことだよ。お皿洗いが終わって帰る人が帰ると、僕はドレスアップしてトレードへ向かった。そこは男に悩まされている人なんていないだろうって思う。でも、いや、そこはお客でごった返していた。明らかにクリスマスの重たい出費をいくらかでも踊って吹っ切りたい僕みたいな人たちでね。シャンペンを流し込んだ僕がベッドに転がり込んだのは、お昼だった。ぼくの心はボクシング・ディを熟睡して過ごすことに決めたのだった。

新年は美人のアンシー・ターナーがぼくのゴシックの屋敷にぼくのテレビの新しいトーク番組のゲストとして来てくれた。その番組で、ぼくはこれまでのところ、ジョーダン、ジョーダン・ロスと、ソフィー・エリスベクスター、ローランド・リブロン、サマンサ・マンバと話してきた。こんな有名人の人たちと僕のリビング・ルームのこぎれいなところで話すのは楽しいよ。本当に腹に一物がなくて。実際は最高にキュートなカメラクルーに囲まれてて、ロバート・チャンドラーに監督されてプロデュースされてるけどね。彼はみんなをリラックスさせる才能があるね。
最終的に、大晦日は一大イベントになることを約束するよ。ぼくは世界中から来た大きなものから味気のないものまでDJの依頼を断ってしまったんだ。でも、この子はおうち、つまりはUKにいるつもりさ。新年の悪事のパートナーのファージーやサベージといっしょに、僕たちはちょっと興奮するだろうと感じてるんだ。2002年は、愛と平和と上品な男をみなさんに。


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