本日のカルチャー・クラブなもの(2002年5月分)


2002/05/31
掲示板でShamさんも紹介してくださったのですが、The Devil In...によるとボーイ・ジョージは´DanceStar 2002´ というダンスミュージックのワールドカップのような番組の司会をするそうです。日時は7/3、場所はロンドンのアレクサンドラ・パレスからとのことです。で、この番組は地上波、衛星とも放送がある上にネットでも放送があるそうです。ちなみに2000枚のチケットが一般に売りに出されるとのこと。ボーイ・ジョージの司会ぶりを生で見られるチャンス!でしょう。


2002/05/29
5/28の続き

実のところ、狭苦しい衣装室を彼らと共有するのは肉体的にも感情的にも自由なんだ。リー・バウリーはこれまでのぼくよりも生きた声明として体を使うと言う点でずっと勇気があった。他の人たちが自分の欠点を隠すために服を着たり、メイクしたりするけど、リーは生きて呼吸するアート作品だった。リンもぼくのアクセントを「とてもエルサム」だって指摘した。ぼくにはニュースだね。リーに関して言うと、彼はオーストラリアのアクセントでは話さなかった。おそらく、美しい生き物が雲の中に座って、くすくす笑ってるんだ。クラブシーンで最高の権力を誇って、人生、ファッション、そして美に対する態度で地平線を輝かせたときに生み出したインパクトでね。彼はマーチングの衣装を着てプラスチックの豚と一緒にクラブを早足で歩きまわり、言ったものなんだ。「あらゆる生き物は潜在的なお客だと見てるんだよ。」
ぼくたちみんなに望みはあるね、リン。


2002/05/28
5/27の続き

この2年間で両親を亡くした仲良しの友人は自分の父親が亡くなったときにさらに落ち込んだ。そしてその父親は彼が学校に行く前毎朝彼を叩いていた。いわゆる(このコラムでよく使ってる言い方だけど)迫害者と犠牲者が一体になった状態だ。ぼくたちは自分の人生を不愉快にする人たちを覚えてるものだ。
例えば、ぼくはいまだにカルチャー・クラブの初ヒットの「君は完璧さ」についてポップ・マガジンの批評家が書いたことをほとんど一言一句覚えている。あの歌は疑問と自己実現的な予言の歌だった。批評はこんな感じだった。「カルチャー・クラブが持つこれらに対して向けた唯一のものはひどく写真写りの悪いボーイ・ジョージだ。こんなエアブラシを吹き付けたジャケットなんか無視してしまえ。」これはぼくがエアブラシを見つけるずっと前のことだった。でも、しばらくぼくは完全装備でメイクしないで出かけることはなかった。

ぼくは今週の「タブー」のリン・ガードナーズ・ガーディアンのレビューを思い出すよ。こいつはいやいや誉めていた。その中で彼女はタブーでぼくの若かりし頃を演じている役者のユアン・モートンを、当時のぼくよりずっとかわいいって書いてた。もちろん自分の写真は載せてなかったよ。
もしぼくが自分の見た目に満足って言ったなら、自分に不正を働いてることになるだろうね。人並みに生まれてくることはいいことだって常々言ってきた。だって完璧って思われるものに近いものに生まれていれば、行き着くところはただ一つ。落ちるだけだよ。ユアンは自分の方がかわいいと思ってるんじゃないし(実際聞いたことはないけど)、信じて、彼は他の出演者同様選ばれたんだ。演技力と歌唱力でね。彼らを誇りに思うよ。

(続く)


2002/05/27
5/26のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

批判は賛辞ほど傷つけたりしない
ロックン・ロールにはサウンド・マン、前でドアノブをいじっている変なヤツ、つまりできるだけパーフェクトにお客さんに音を聞かせようとしているヤツをを決して侮辱したりしないというルールがある。明らかに同じルールが劇場にも当てはまる。
数ヶ月前、あるジャーナリストが、ぼくの一番最近の試みであるミュージカルの「タブー」を見てぼくの作詞作曲をほめてくれたんだ。それでぼくは少なくとも1時間くらい泣いちゃって、気の毒にマスカラをつけようとしていたメイクのサラはつけることができなくて、時間がかかってしまったんだ。
ぼくはよく自分がどうして、気を引くためにぼくの動機を聞いたり、最高に意地悪い言葉を吐くような知らないやつに自分の生活すべてを解剖されてしまうような人生をえらんじゃったんだろうって思うよ。そいつは学校の校庭とか、父親とか、実際のところこれまでのぼくの経歴や人生で逆らってきたあらゆる権威のあるものにさかのぼるんじゃないだろうか。
あらゆるレコード会社もそんな戦いの一部だ。もしこんなジョークがあるとしたらなんだけど、ぼくは賛辞よりも侮辱の方がうまく対処できるよ。もしくはぼくは、「欲望という名の電車」のビビアン・リーの言葉を借りていえば、単に「知らない人の親切になれてないだけなのかな?」

(続く)


2002/05/24
Cyber Chameleonの5/19付けのニュースにボーイ・ジョージのインタビューが出てました。よく読んでみると面白コメント満載です。

すごーく痩せたら新しい服を買わなくちゃいけなくなった?
「ぼくは結局5ストーンやせたんだ。ぼくはちょっとした秘蔵人なんだ。だから、『あ、ぼくがお気に入りだったパンツがあったな。あれがまたはける。』って感じだよ。」

ジョン・モスがまだ恋しい?
「全然。もう立ち直れないって思った時期もあったけど、ある日目が覚めたらそんな気持ちがなくなってたんだ。」

あなたがギャレス・ゲイツが欲しいって話は大げさ?
「お願い!そういうことにしといて。」

ほかにボーイ・ジョージの現実度チェックなんていうのもありました。こちらはこんな感じ。

Rimmel の口紅はいくら?
「構わないよ。ぼくは安物からシャネルの高級品まで何でも使う。ぼくはこの20年メイクしてきたから買う必要ないんだ。」

最後にバスに乗ったのはいつ?
「この前。ケンティッシュ・タウンからカムデンまでちょくちょく乗るよ。」

NYまでエコノミーで往復いくら?
「エコノミーでは旅行しないんだ。ちがうレートなら分かるよ。でも、エコノミーのチケットなら225ポンドかな。」
この数字はなんと当たってるそうです。


2002/05/22
5/21の続き

フィリップはそのグレートな女性にタブーに来たいかどうか聞いた。彼女の返事は「そこから何か得られるとは思わないわ。」だった。彼女は自分自身楽しんでただろうね。だって「リー・バウリーは前世紀で一番アイディアを持った一人だったわ」って彼女が言ったことを引用すれば一番確かだからね。
彼女に思い出させないとね。16のとき、ぼくは父に革命的なボンデージ・パンツをねだったんだ。560ポンドもしたんだよ。母の返事は「それでスリーピースが買えるわ」だった。
なんてことだ。Anarchy In The UKがいかにしてavarice(強欲) in the UKになったのか。おそらく、そのラグビーシャツはどちらについているかを語っているんだ。でも、ぼくはデヴィッド・ベッカムからちょっとしか離れてなかったし、握手もしたよ。
おまけに、ぼくは彼らの両親にもあった。惚れ惚れするような人たちだった。なぜ国中が彼が大好きか分かったよ。彼は素晴らしいサッカー選手だ。ヘンなことを言ってるわけじゃない。さらに重要なことは彼からは傷つきやすさがにじみ出ているからで、ぼくは必ずしもいい判断力があるわけじゃないけど、この人には挑戦的に対抗したりしない。ただ一言言うならば、もっと笑ってだね。

リー・バウリーとしての1週間やったわけだけど、その男はヘヴン(クラブじゃなくて、天国の)でくすくす笑ってるに違いないよ。ぼくは衣装がえのときに駆け込んで、可能なときにはヘンなciggie(タバコ?)を吸ってるんだ。衣裳部屋は禁煙なんだ。あーあ。
素晴らしいのは考える時間がないこと。つつましさは消えるよ。もし、去年の今ごろぼくが元気な若者でいっぱいの部屋に座ってくつろいでるだろうって教えてくれたなら、ぼくは君を笑っただろうね。髪もないけど、恐れも知らない。


2002/05/21
5/20の続き

でも、ぼくがパーティー・オブ・ザ・イヤーに一番なりそうな華やかな人のことを話す前に、ぼくがデヴィッドに言おうとしたことを言わせておくれ。「九日目にして、神様はあなたを創り出す時間を取ったんだ。」さらに彼は親切にも自分のテーブルを離れて、ぼくに握手してくれた。ぼくがスパイス・ガールズの悪口をみんな言ったあとでね。でもぼくは取り消したりしないよ。
デヴィッドがポッシュに着せてもらおうがもらうまいが、ダーク・ブルーの中国風のフロックコートと赤の帯をしてて、柔らかな感じに見えた。
ぼくはポッシュとは話すことはなかったが、友人のフィリップ・サロンは彼女を隅に連れて行って、彼女が素敵だって言った。そして庭にお金を払ってきているメディアにちょっとだけ助けてもらって、日本的なテントを建てる余裕があるときには、とても率直だとも言った。
悲しいことに、ぼくは家の周りをかぎまわることはない。ぼくは少なくとも、バスルームのキャビネット越しにライフルに届いたらよかったのにと思った。でもほんとに人間社会の序列があったんだ。エルトンがラウンジをくるくる回ってるんじゃないかと思う。
いつものようにフィリップとぼくはヘンな人の要素を提供していた。服装規定は白とダイヤだったけど、ぼくはそれを無視した。フィリップはちょっと白いものを着てたけどね。ぼくは泡でいっぱいの頭を見せつけて、ヴィヴィアン・ウェストウッドのクリームのスーツを着ていったんだ。ヴィヴィアン自身はラグビーシャツとかもめの群れがいろんな格好でとまった髪型で来た。それもうまく収まってたみたい。いい押しをしてた。

(続く)


2002/05/20
5/19のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

我らがベッカム、神がくれた九日間の至福
もしぼくがデヴィッド・ベッカムの家で行われたプレ・ワールド・カップ・パーティーに(本当に驚いたことに)招待されて以来、自分が準備をしていたベッカムへの詩を送るだけの度胸があったなら、ぼくはそれを彼に言っただろう。でも、ぼくときたら彼がぼくのテーブルに歩いてきて、「来てくれてありがとう」って言ったときには一瓶開けてたんだ。
そう、ぼくはクイーンさ。そしてこんなすごい人と地位を交換しようとしないクイーンはこの世にいないよ。その勝利の微笑で、いちころになってしまうんだから。ベックのプレス用の写真は体にオイルが塗られてて、半分裸で、ホモ・エロティックで誰に撮られたとしても、真価を公平になんて評価できないよ。
彼は甘美で魅力にあふれてて、その笑顔は南極だって溶かしてしまうだろう。

(続く)


2002/05/19
すでに掲示板で話題になってるDVDの件、まとめてみました。
発売日:2002年6月26日
価格:4700円
内容:ストーリー・テラーズ(USの音楽チャンネルVH1で放送されているライブ番組)に出演したときのものをDVD化したもののようです。カルチャー・クラブは98年にこの番組で再結成ライブを行っています。85年以来のライブだったそうです。

既にCDにはされていますので、聞いたことのある方も多いでしょう。また日本でもディレクTVで放送されていたので、見た方、またビデオにとって繰り返してみてニタニタされてる方もいらっしゃるでしょう。
ところで、ふと気になることが…amazon.co.jpのサイトでは出演として「カルチャー・クラブ、その他」と書いてあります。多分、いつものメンバー4人に加えてズィーなどなどのメンバーをさしてると思うんですが、まさか「実はオムニバスでした」なんてことはないでしょうね。(いや、そんなはずはない、誰かないと言ってください!)

HMVの購入画面
amazon.co.jpの購入画面


2002/05/17
5/15の続き

ぼくは自分に分かってるって繰り返してる。でも、アートってのはステレオタイプに挑戦すべきものなんだ。もしエミネムが自分はたいていの人が考えてることを声高に言ってるだけだって判断してるなら、彼はアーティストじゃなくて羊だよ。そしてトレーラーキャンプのくずのたわごとは廃れてるよ。だって彼は作られてるんだ。大金持ちが自分の大したことがないルーツをわめき散らすほどひどいことはないよ。
80年代に戻って、別の白人坊やのラッパーのドミニクはぼくにFavour Boy Georgeって曲をささげてくれた。ぼくはおだててもらったよ。この一行をのぞいてはね。「エイズは病気。ぼくはかかりゃしないけど」ニッキー・クレインもいた。スキンヘッド・ムーヴメントの人種差別主義リーダーだったけど、西インドやアジアの人を攻撃するのに時間をささげたあと、ホモセクシャルになった。で、その後エイズで死んだんだ。
おもしろいことに、フェミネムっていう出しものでやってる歌があるんだ。因果応報なのはほんとに明らかだよ。
ぼくはリベンジと言えるくらい音楽や公の舞台を乱用してるということでは罪深いよ。でも人がぼくの怒りの末に異議を唱えるべき音楽に直面することがうれしいよ。
パンク・ロッカーのカーク・ブランドンがぼくを法廷に連れ出し、ぼくは少しばかりのお金を払った。名誉毀損で訴えて負けたんだけどね。ひょっとするとぼくは間違ってて、エミネムはエルトン・ジョンの主張するように、「新鮮な息吹」かもしれない。
ぼくをもっともいらいらさせるのはラジオ局がホモセクシャルを批判するレコードをかけようとすることだ。なのに、奴らときたらホモセクシャルを祝福するものには触れる気がないんだよね。


2002/05/15
5/13の続き
最新のエミネムのレコードは言葉の細工師とノブいじりのドクター・ドレの天才としての彼の能力(これはあまり言いたくないんだけど)に対する遺書である。でも歌の中でエミネムはモビーと呼ぶ仲間のダンス・アーティスト(彼はエミネムをあえて論評でこき下ろそうとした)を「ハゲの36歳のfag(ホモ)」と呼んでるんだ。
うん、この問題には簡単な解決策があるよ。受け付けられないなら、fagなんて言っちゃいけないよ。ぼくは男と一緒に寝たり、関係を持ったりするからfagって言葉を使ってもいいんだ。ちょうど黒人の社会がnigga(黒んぼ)って言葉を再生させたようにね。でも、白人がその言葉を使うとトラブルになる。言論の自由はすばらしいことだけど、分別のない使い方をすると、結局は自分の舌を飲み込むことになる(直訳:自分に返ってくるの意味?)例えばぼくが「ホモセクシャルを皆殺しにせよ」なんてレコードを作ったら、放送してもらえるかな?もちろん無理だね。ぼくはそんなことする気はないし、我々はみんな調和して生きていけるってロマンチックな閑雅を持ってるからね。ぼくは、かわいいぼくちゃんのエミネムは(彼は明らかに自分への反響が大好きだよ)ゲイ問題にがたがた言うのをやめる時期だと思ってる。だってそれは彼が経験したことのないテーマだからね。それとも彼がぼくたちに言ってないことなんてあるの?

(続く)


2002/05/13
5/12のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

右翼のゲイとはヘンなコンセプトだね
ほとんど全てのオランダの新聞に印刷されている写真、ゲイで右翼の政治家のピム・フォーチュインは控え目に言っても人を不安にするよね。ゲイの男として、その点でプライドを持ってる男として(自分をそう定義するのは嫌だけど)、無関心になるべきだ。でも、どんなに自分の考えが頑固でも、そんな厳しい方法で死ぬべきではない。ホモセクシャルが右翼というその考えは、確かに矛盾している。でも、このことは全てのオカマやホモやへそまがり、もしくはなんと呼んでくれていいけど、同じように思ったり感じてるわけじゃないんだ。
彼が殺される前の晩、ぼくは彼がテレビでインタビューしているのを見た。バトラーを連れて、インド統治時代の末期の日々を妄想させた。ぼくは彼が自分のハンドバッグに用を足していると感じずにはいられなかった。確かに、その考えはある人の苦しみから学ぶことなのだ。もう一方のマイノリティに苦しみを負わせたり、作ったりすることじゃないんだ。そういうと、我々はみんな罪人なんだ。(黒人も白人もゲイもストレートも)我々も苦しみは我々だけのものだとか、我々の信念(持っていればだけど)は優れたものだ考えたところでね。ぼくは右翼の考えをもってるゲイもいるって分かってる。ぼくは会って議論したこともある。で、いまだにベジタリアンの肉屋のように感じてるんだ。

(続く)


2002/05/12
Cyber Chameleonのニュースにボーイ・ジョージが「タブー」のリー・バウリー役でミュージカルデビューをした話が出ています。(ネタ元はロイターのようですが、)演技のレッスンを開始したのがほんの6週間前で、そのまま本番が始まったようです。関係者によれば、ジョージは当初とても緊張していたようですが、みんな彼は素晴らしいと思ってるし、万事順調だそうです。
またジョージのリー・バウリーに紛した写真が出ています。濃いです。


2002/05/11
100% BoyのPicturesのコーナーを見ていたら、GALLERYと称してボーイ・ジョージの写真がいろいろ載ってました。時代別になっているので、ボーイ・ジョージの変遷がたどれます。ファンサイトの写真なので、大半は「きれい」か「かっこいい」写真なのですが、たまに「げげっ」というものも混ざってますので、探してみてください。


2002/05/09
5/8の続き

ぼくはメアリーに僕の友人と一緒に写真をとってもらえるか訊いた。その友人と言うのはギリシアの服装倒錯者で、黒人だったらいいのにと思ってる奴なんだ。メアリーは受けざるをえなかったけど、プロらしく偽の笑顔を作ってね。メアリーがジュールズに「本物であること」はそれに関すること全てなんだといってたのを聞いたことがあるから、それがわかるよ。彼女は「フレンドリーじゃないこと」を意味したのかな?話を進めよう。ほんとにチャーミングなエルヴィス・コステロもそこにいた。ぼくたちに新曲とOliver's Army やI Don't Want To Go To Chelseaのクラシックを歌ってくれた。ぼくは彼にバート・バチャラックに書いたGod Give Me Strengthはぼくが10年くらいに聞いた中で一番感動的な歌だって言いたかったけど、近くにいけなかったんだ。メアリー・Jが振り返るような曲がある。その歌でたくさんの涙がこぼされた。それはニーナ・シモンのMississippi Goddamに近い。この曲は相反する感情、純粋な怒りであり、同じくらい心を掻き立てるものなんだ。ショーのあと、ぼくは夕食に友人の家にふらっと寄って、ヘヴンにむかった。なんで見ないんだい?

Ministry Of Soundのために山ほどレコードを売ったあと、そこの雑誌はぼくに関する最高に侮辱的な記事を書いてくれた。いいさ、ぼくはいたぶってやることもできるし、ぼくに関する言われてないことで何が言えるっていうんだい?でも、ブラザー・ブラウンはあるステージで、ぼくの昔の曲Generations Of Loveをリミックスしてくれて、今風の雰囲気をつけてくれたよ。
もしぼくがくだらないDJで、ジャーナリストの言葉を借りて「ダンス・ミュージックにとってナメクジに塩的行為をした」って言うんなら、なんで彼らがぼくとそんなにずっと仕事をしてくれるんだい?さらに悪いことに、その記事を書いてくれた意気地なしはわざわざ名前さえ書き残してなかったんだ。ぼくが激怒の電話を入れると、詫び状が送られてきて、事態は正常に戻った。Generations Of Loveはあきらかに当時のものさ。その曲ではまさにこの星を引き裂く戦争を感じるんだから。だれもがぼくにカルチャー・クラブの「戦争の歌」の再リリースをしないかって言ってくる。でもぼく自身はタイミングがちょっとちがうかもって気がしてるんだ。


2002/05/08
5/5のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

恐ろしいメアリーはそんな態度であふれている。
僕がアメリカのスターをどんな風に書いているかは知ってるよね。特にイギリスに用心棒の一団を引き連れて乗り込んできて、誇大宣伝や緊張の空気をかもし出すようなときにはね。アメリカのスターであることはその役らしく見せて演じなくてはならないと、彼らは感じていると思うんだ。
あるエンターテイナーに会って彼らが裕福なようすを知る必要なんてないんだ。R&Bの女王のメアリー・J・ブリッジはそれを滲み出してる。先日の晩ぼくはいつもきさくなジュールズ・ホーランドにBBCでひょんなことであって、火付け役、すなわちメアリー・Jに会う羽目になった(目撃者はいないけどね)。僕は一番豪華なかぶりものをしてたんだ。これは今は亡きとてつもないアーティスト兼シンガー兼ダンサーで変わり者のリー・バウリーがナイト・バスで着てたものを作り変えたものなんだ。どうやって説明したらいい?女王陛下というよりヘンリー・ムーアだね。メアリーのリアクションをぼくのパンクで、重力拒否なかぶりものや青い耳とオレンジの顔につめられるなら、ぼくは自分の香水として売って、その名前を「むかつく」にしただろうね。じゃなければ彼女はぼくをミシー・エリオットだと思ったかも。
ぼくは「怖いメアリー」の隣の部屋にいた。衣装トランクとセキュリティー・ガードのためにほとんど動けなかった。セキュリティーはぼくがまるで池に住む生き物みたいに上から下まで眺めたんだ。でも最大のジョークはメアリーがシンプルな黒のパンツに白のシャツでパフォーマンスしたことだね。
ドーチェスター・ホテルのむっつりしたウェイトレスを考えると、どんなかわかるよ。彼女の態度をやりすごしたから(あれってゲットーの伝説って言うのかな?)、彼女は歌えるって言わないとね。彼女の声は苦しみに満ちてて、すごくリアルだと思うけど、苦しみを経験してない人っているのかな?向きあってみて。"No more hatred"なんて歌えないよ。それから、自分のスープにゴキブリを見つけたみたいに振舞えないよ。もしくは茂みに火をつけかねない表情で歩き回ったりも出来ないよ。

(続く)


2002/05/05
4/29の続き

今週ぼくはthe Fifi Cancer Trust Perfumeの授賞式に出席した。そこでぼくは男性用香水のベストパッケージ賞を与えるようにお願いされてたんだ。変なことだけど、香水をつけてるのはぼくだけだからね。ぼくはグレートなジョアン・コリンズのお出ましを受けた。そこでは彼女がどんなに素敵かを言わずにはいられなかったし、彼女もぼくの帽子が素敵だって言ってくれたよ。その日は香りのおかげで退屈しないすばらしい夜だった。悲しいことに家に帰ってリキッド・ニュースのクリストファー・プライスが世を去ったことと、TLCのリサ・'レフト・アイ'・ロペスが自動車事故で死んだことを知ったんだ。
これ以上悲しいニュースは受け付けられないよ。ぼくは、'レフト・アイ'が大好きだった。彼女はボーイ・フレンドの家を焼いたこともあったんだよ。軽率だったね。彼女はけんかの後で彼の服を彼の家の風呂場につんどいたんだ。でも(彼女の言葉では)お風呂はプラスチック製で安物だったから、家が全部灰になっちゃったんだって。ミシー・エリオットとともにレフト・アイは一番イケてるラッパーの一人で、R&Bにスタイルを与える一人だった。彼女の死はバケツいっぱい、いや風呂いっぱいの涙に値するよ。疑いなく、ぼくはハッピーな歌は書けないし、何に微笑めばいい?
ぼくはU Can Never B 2 Straightというアコースティック・アルバムが7月に出ることをヴァージン・レコードに確約したよ。そいつは正直さともちろんセクシャリティに関するものさ。向き合ってくれよ。今のポップスには欠けてるものがあるよ。「タブー」のQAでぼくのお気に入りの質問のひとつに「ギャレスかウィルか」ってのがあったんだ。ぼくの答えは「デヴィッド・ベッカム。君には十分正直なとこでしょ?ぼくは歌を書いてあげなくちゃね。」


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