本日のカルチャー・クラブなもの(2003年12月分)


2003/12/25
12/21のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

サダムを文明的にもてなそう
サダム・フセインとすっかり有名になったその身柄の拘束のことになると、アメリカ人とは議論できないね。ぼくはサダムがメディアの前を歩かされ、実験室のラットのように捕まえた人に調べられるやり方を見てから悲しいと言ったもんだから、怒鳴られたよ。彼が何をやったにせよ、イギリスに安住の地を与えられたり、その残虐行為を棚上げすることを許されて亡命して贅沢に暮らしてる何人もの独裁者より悪いなんてことはない。我々もまたサダムがクルド人を消そうとしてる間、イギリスやアメリカによって武装していたことを都合よく忘れてる。

新聞のレポートは「7月1日に丸をつけろ」とか「奴をたかだかと縛り首にせよ」なんて見出しの下にサダムの処刑日をつけて、もっともショッキングだ。我々はいつの時代に生きてるんだろうね。だってほんとに野蛮にみえるからさ。

ジョージ・W・ブッシュが死刑に熱心であることはご存知の通りだし、死刑執行の延期を拒否したことでテキサス州知事としての彼の記録は伝説的だよ。サダム拘束のタイミングもまた来たる選挙に都合がいいことに近い。ブッシュに特別なものを与えてくれるからね。でもまだ疑問は残る。サダムの処刑は多発テロで亡くなった人に報いるのだろうか。

大衆の感情はあの悲劇的出来事に結びつけられてるが、それとサダムを結びつける確固たる証拠はない。人が「ひどい、残忍な独裁者」と呼ぶときに、ぼくは誰とも議論することはできない。我々はそのことを何年も知っていたし、彼が悪事をするよう兵を提供したりさえしていた。

ぼくには裁判のポイントはわからない。お金の無駄だろうからね。それに我々がまさか知らないなんて何が教えてくれると言うのだろう?サダムは自分が追い詰められているとわかったときに、彼がなぜ自分の命を取らなかったんだろうと多くの人が思うよ。おそらく、彼は単純に考えたんだ。自分もこれまでの独裁者のように扱われるだろうし、ホワイトハウスにお茶に呼ばれるんだろうってね。

ぼくは自分の意見を持ち続けることを学んだよ。だって思い切って同情を表現すれば、客観的に見える人でさえ激怒するんだからね。

アメリカがイラクを侵略する前でさえも、ツイン・タワーで愛する者を失った多く家族が戦争に反対して声を上げていたことをぼくは覚えてるつもりだよ。この同情心や常識こそが我々と我々が野蛮と見なしている人を分けるものだ。もし我々が同じように振舞えば、我々が優れているなんて主張することはできないし、サダムをテロリズムの原因に変えてしまうという危険を冒すことになる。


Gus Van Santの最新映画、コロラドのコロンバイン高校の乱射事件をもとにしたElephantがすばらしいと聞いた。すばらしい映画だけど、尋ねないといけないことがある。何でゲイの監督は、主人公にホモエロティックなキレを与える必要性を感じるんだろうかってね。

自分のクラスメートをたくさん殺した責務を負っている二人の男の子が性関係を持っていたということは、ぼくにとってはニュースだよ。彼らが銃を手に取る直前、ほんとのことじゃないにしても、ネガティヴなメッセージを送るゲイシャワーシーンを見せられるのだ。ここで何を言ってるんだろう?ゲイであることは惨めな暮らしだし、最悪のシナリオの場合我々ゲイは潜在的精神病者だってこと?

もし、二人の人殺しが性的かかわりがあったなら、このことが映画にあっても問題にはしないだろう。でも、実は彼らがホモセクシャルであると提示する証拠なんてないのだ。

ぼくはGus Van Santが観客に挑みたいことや、彼の映画がいつもホモエロティックな切れを持ってることは知ってる。でも、これはわがままなものなんだ。

Elephantはすばらしく撮れてるし、とても感情的だし、全体的に誠実であることは責めることができない。ただゲイの男としてぼくをいらいらさせるのは、ホモセクシャリティがそういう恣意的な方法で使われているのを見ることなんだ。

間違えないで。ぼくは現実的なゲイの像をみることは好きだし、Gus Van Santは決して詩的ではない。彼のゲイ描写では、しかしながら今回は完璧に脈絡がないんだ。


2003/12/09
The Devil In...100% Boyによると、12/7にボーイ・ジョージはNYのCoral RoomというところでThe Twinのライブを行ったそうです。頭は最近お約束のペンキたらし頭(色は青と黒)で、口は巨大な黒い口です。シャドウは黒に緑のラメですが、黒がきついので目の周りのクマと間違えないようにする必要があります。(たまにブタのお面をかぶってたりします。)


2003/12/08
12/7の続き

次にぼくはJocelyn Wildenstein(cat ladyの方がNYで知られてるね)に出会った。彼女も家でぼくを飲みによんでくれた。ぼくはあんなにエキゾチックな人がどんな生活をしてるか確認したいから、ほんとにうまく行動しないといけないんだ。

エキゾチックな人といえば、ぼくがAmanda La Poresのバースディ・パーティーでレコードを回してたとき、そこは棒切れでかき回せるより多くのドラッグ・クイーンや気を引きたい人でぎゅうぎゅうだった。Amandaは性転換者の最たる人で自分自身が生きたアートに変身してしまったんだ。彼女のシリコンの唇やマンガのような容姿は、彼女がどこに行こうが車の流れを止めてしまうんだ。Amandaのバースディはいささかクイーンのようだよ。だって1年に一回以上開いてるんだからね。誰かが言った。「今年もうすでに彼女のバースディに行ったよ。」でもそれは、彼女のほんとのバースディを祝うものと、性転換をした日を祝うものなんだろう。誰が知ってるかって?そこはワイルドににぎやかな集まりで、ぼくは気が変になったよ。おかしな奴らがぼくの写真を撮ろうとするからね。しまいにはスペース確保のために、ひどい奴にならざるを得なかったよ。狂気の中ぼくは結局バッグをなくし、雪の中酔っ払って、ぼくが自分がレコードを回してる間、DJブースの前でお尻を振っていたMattというゴーゴーダンサーにどんなに強烈に恋したかぶつぶつ言いながら、不機嫌な気分で歩かざるを得なかった。

そう、クリスマスがビッグ・アップルにやってくる。雪が積もっている。おかげでタクシーに乗れない。だからぼくは複雑な地下鉄のネットワークを作り上げたところだ。巨大なチョコバーやUSで手に入らないものを持ってUKからやってくる友達もいる。普通のお茶や、訴えられるのが怖くてビューティーサロンで売ったり提供したりしないまつげ染めみたいなものだよ。

ぼくは訴える気はないよ。ただかわいく見せたいだけさ。


2003/12/07
12/7のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

変な奴とのひどい出会い
ぼくはしばしばChristopher Bigginsとショービジネスのパーティーで出くわす。それも出る気のなかったときによく会うんだ。そこではたいていチャリティーの役割をしてるから、ぼくも行かないとは言えないんだよ。でもBiggins氏はいつもプロのショービジネスの態度でチャーミングで、信用できるものだから、ぼくはあらゆる人の笑顔や握手には裏表はないと思い込んでるんだ。だから、エレクトリック・ハイウェイ(ネットのこと?)経由Biggins氏がピンク・ペーパーでぼくらのブロードウェイの舞台、タブーのプロデューサーのロージー・オドネルが自分のエゴのために舞台を開け続けようと、資金提供していたと書いたと聞いて驚いたんだ。まず、ぼくはBigginsがNYの舞台を見たことに気づかなかった。おそらく彼はこれについて書く以上の興味は持ち合わせてなかっただろう。もしくは、他の誰でもと同じように、知識不足で否定的でUKに戻るしか道はないという批評で儲けているんだ。

ぼくは飾ることなく、Dorothyの友人たちに自分たちの仲間、特にイギリス人を支援してくれることを期待した。前回ぼくが実際にBigginsを見たとき、彼はBad Girlsという女性刑務所のTVドラマに取り込まれていた。多分、彼らが彼をそこに囲っておくべきだったんだよ。そこではクイーンにもたくさんの種類があって、彼女の演説のあとでは彼女はぼくと違うタイプだって証明するんだから。
もっと面白いことは、ぼくが凍えそうに寒い中自分のNYのアパートの外で閉め出されたとき、女優のOlympia Dukakisに出くわしたことだね。ぼくは(またしても)鍵を忘れたんだ。ぼくは自分の同居人が帰ってくるのを待つ間に、あったかいロビーに入れるかどうか確かめるべく、あらゆるベルを鳴らしてたんだ。ミズDukakisは建物を出るところで、彼女を通り過ぎるのにのろのろと進んでみたんだ。「ここに住んでるんですか?」って彼女は聞いてきたよ。(明らかにぼくのことをやくざだと思いながらね。)ぼくは「まず間違いなく済んでるね」って答えた。すると彼女は続けてこう言ったんだ。「あなたの顔知ってるわ。」「まあ、あなたなの。」彼女はぼくの顔をじっと見て叫んだ。ぼくが自分を迅速にお茶に呼んでも、それに対して動くかどうかは別の話だね。

(続く)


2003/12/02
12/1の続き。

初日の晩、舞台で描かれている生きたモデルたちが飛んできたおかげで、ほんとに大騒ぎだったよ。マリリンは飛行機に乗りそこなって、口汚いメッセージでぼくを悩ませてくれる。ブロードウェイ版タブーが見たいからなんだよね。でもぼくの母親は60代なんだけど、4歳の一番幼いぼくのめいとやって来てくれた。でも、マリリンと道理と時間管理はいつ食い違ったというのだろう?

我々はいまだにひどい批評を受けている。半分しか入ってない劇場で演じてるって言うんだけど、それはうそだよ。ぼくの能力が衰えるにつれて、目はいっそうシャープになって、どんなにたくさんの人たちがカーテンコールの間立ってくれてるかが見えるんだよ。ぼくもMichael Riedelのテレビ番組のTheatre Talkに出るために時間をとった。彼が絶えずタブーを攻撃するのを議論するためにね。彼は期待通りチャーミングで、オンエアでは最近のブロードウェイでは一番の音楽であるとまで言ったよ。彼は自分の情報提供者が誰であるかを言うのは拒否したけれど、Riedelは自分が脅してくるほど挑戦的な敵ではなかった。

一方、ぼくは彼が期待していたようなビッチではなかったんだ。ぼくが意地悪になれる限りは、いくらか重要なことを言う必要があると思った。Theatre Talkの放送は来週、ぼくはどんな風に編集されるか見るのを楽しみにしてるよ。ぼくは狂気を楽しんでる。ほとんど誰でもが質問をしたり、ゴシップを広めたりするのといっしょにね。見知らぬ人が「舞台はどんな感じ?」ってきく。Riedelが予想した「自動車事故」を示すようなトーンでね。これは事実とはちがうよ。もしそのとおりだったら、ぼくはそのとおり言うくらいには正直だろうからね。

ぼくはいまだにNYが好きだよ。あるとき骨まで凍えるほど寒いと思ったら、次の瞬間パイのように焼かれてるようなすごく変な天気だけどね。人のワードローブを壊すようなことをしてくれるけど、1ブロック先にはすばらしいお店がある。しかも間違いなく安いんだ。


2003/12/01
11/30のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

タブーを守るべくTVのバトルに参入
意地悪な精神の持ち主になるのはいやなものだが、率直に言って、アメリカ人がサンクスギビングとよんでいる大変喜ばしいホリデーは先週1週間のうちで一番だるい日だった。ぼくたちがもらったほんとのサンクスギビングなんて何にもすることがなかった。わがままにもぼくは一日オフにしてもらったけど、どのお店も閉まってるし、ぼくのプリンターはインクがなくなるし、仕事にならなかったよ。それはぼくがまさにJoan Crawford、もしくはジャンヌ・ダルクを手に入れるような日々だよ。

子供のころは日曜日が嫌いだった。週末が終わって学校や仕事が近づいてくるってことだからね。実はぼくが感じてる憂うつを言葉にするのは大変なんだ。このごろ、(明らかに老化のサインなんだけど)ぼくは日曜日がほんとに好きで、ソファにごろごろしてTVを見たり、食べてはいけないものをたくさん食べるのが大好きなんだ。

サンクスギビングは木曜日にあったけれど、そいつはぼくの若かりしころの、昔ながらのいやな日曜日のように感じた。そして、ぼくをひどい気分から助け出してくれたものは、トランクスでバラを抱えて玄関に現れたトム・クルーズくらいだったろう。びっくりだよ。トムもいなけりゃ、その日は怠け者がレンガを運ぶみたいに、ただずるずる過ぎていった。夕方ぼくは日本食のご馳走を食べるべく、何人かの友人と会った。おがけで気が晴れたよ。それからXLっていう豪華な新しいゲイクラブに、ちょっとハイボールを飲みに行った。

週末は金曜日から始まるんだけれど、連続8つのショーがあって、それはもう地獄のようだったよ。ショー自体は骨が折れるわけじゃないけど、2つの階段を上り下りしたり、こってり塗ったメイクを落としては、別のメイクを試すのは大変なんだ。ぼくは化粧室をステージの近くにもらえたんだけど、エクササイズが必要だったし、うまくいけばタブーが終わるころには、ぼくは長距離ランナーみたいな足の持ち主になっているだろうからね。それに、ぼくはほかのキャストに、自分が歌姫をやってるから一番上の自分の部屋にいるんだ、なんて思ってもらいたくなかったんだ。

我々のスターの一人、Liz McCartneyは第一子を生むために丁度休みに入ったところだ。Lizはいい理由で階段を避けたよね。彼女はすごく力強く歌うから舞台で生まないで済んだのは驚くべきことだよ。

(続く)


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