本日のカルチャー・クラブなもの(2003年2月分)


2003/02/28
掲示板で紹介されて久しいのですが、管理人の都合でここのコーナーで扱ってなかったので改めて。
昨年夏にロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行われたカルチャー・クラブ20周年ライブの模様を収録したDVDが3/10に出ます。
amazon.co.ukで購入すると10%引きの16.19ポンドでした。予約されてない方は今からでも間に合います。The Devil In...によるとボーイ・ジョージによるバンドの歴史、ジョージとジョンのインタビュー(血を見そうだ…)、写真、「タブー」の一場面、会場でのファンのインタビューなども収録されてるそうです。

amazon.co.ukのDVD購入画面


2003/02/26
Cyber Chameleonにカルチャー・クラブのアルバムのリマスター版についての情報が出てました。これまでに出された3枚のアルバム、Kissing To Be Clever, Colour By Numbers, Waking Up With The House On FireにB面の曲やこれまでにリリースされなかったものをを追加して出す模様です。(ネタ元はこの3枚のアルバムのプロデューサーだったスティーヴ・レヴィン氏だそうです。)もっとも、いつ発売なのか、その前にほんとに出るのかなどの詳細情報は不明です。

その他、ボーイ・ジョージはThe Real Feminemという名前でSwallow Meというアンチ・エミネムの曲を出したそうです。こちらは正式なものではなく12インチのプロモーション用ということらしいです。さて一般の人は入手できるのでしょうか?


2003/02/25
音楽のマッドネスにびっくり
ほとんどのタブーに手を出すと、この国で一番力が強いものは真実だと気がついた。偉大なるジョン・レノンが彼の歌のWorking Class Heroで書いたように、「君が賢いなら彼らは君を嫌う。そして彼らは愚か者を見くびる。」ものだ。最近オリヴィエ賞という失敗作の舞台を最後まで我慢して見たり、マッドネスで祝賀会でベスト・ニュー・ミュージカルを取ったアウア・ハウスを眺めたり、そしてある新聞に載ったアウア・ハウスの「とうとう本当にオリジナルのミュージカル」と言っているばかげた批評も反映して、エミー賞は欲しいよ。
純粋に事実を処理してて、古いヒット曲(すばらしい曲だよ)満載のミュージカルをどうやってオリジナル・ミュージカルだなんて言うんだい?誰も伝説のクラバーのフィリップ・サロンをタブーですばらしく演じたポール・ベイカーに拍手してくれなかった。彼のオリヴィエ賞の助演男優賞を取ったっていうのにね。どうして1年以上人気を保っているミュージカルが何の言及もされないの?
この国であらゆるものにはびこっているいろんな階層に対して声をあげたりするとき、人はいつもいやな奴に見えてしまう危険を冒す。しかしずけずけ言われてしまうことは、ベット・デイヴィスにはうまく効いた。ぼくはモラル的に沈黙するよりも何か効果のあることを言って彼女に注目された方がずっといい。
信じて。ぼくはこれをマッドネスで突っ込みを入れるために書いてるわけじゃないんだ。彼らは賞とともに去っていくべきだったはずがないんだ。
ぼくは、タブーがブロードウェイに行く前の4月に終了することはわかったから書いてるんだ。残念だよ。だってすごくたくさんの人がそれを続けるために働いてくれたんだから。オリヴィエ賞を取ったことさえも、ミュージカルを数ヶ月間閉めることで止めてしまうことにはならないだろう。これらの賞がなぜ起こるのだろうと人に思わせてるんじゃなかろうか。
ぼくは今年のブリット・アウォードのニュースに安心してる。シンガーのミズ・ダイナマイトがメダルをつけていた。ときどき何か新しいことを言う人がきちんと賞をもらうんだ。Gone With The Windにすばらしい歌詞がある。「性格が満足なら、評判なんか必要なの?」ロミオとジュリエットのミュージカルがテレビで宣伝され、ポスターがバス全体に貼られていた。でも、それはクローズしてしまったんだ。マドンナのUp For Grabsが来たときにね。で、マドンナのあともう語られなくなっちゃったんだ。彼女はプレスにポテトチップスを買いに行かせてステージドアからすり抜けちゃったんだよね。

悲しいことに、ポール・ケルハーがマーガレット・サッチャーの像の首を切ったってことで、刑務所に3ヶ月送られてしまった。彼は十代のころ万引きをしたと言われている。誰がやらなかったというんだい?その刑は変に見えるよ。70年代のロッカーのゲイリー・グリッターが、子供のポルノをダウンロードして2ヶ月のム所送りになったことを考えるとね。われわれのこの民主主義が現実と正当性に深刻な問題を抱えているのを考えることに、思い違いをしてるのかな?
でも、ここはぼくがこれからも住むであろう唯一の国であると感じてるんだ。だって好きだからね、あばたも何もかも。イギリスで育つとこの国をかつて帝国にした華やかさや取っ組み合いをするゴキブリだけでなく、自分を笑う能力が身につくんだ。
最近買ったポストカードに「君は私をビッチだと言う。それが悪いことみたいにね。」とあった。ぼくは白い洗いものの中にある赤いソックスみたいに見えるのを、もう気にしてないんだ。だって言われうる悪いことはもう言われちゃったからね。
かんしゃくもちなら、カラスの足跡がついちゃうかもしれないけど、しわ取り注射は選ぶものじゃない。ぼくの場合は大きなグラスに上等のお酢とレモン一袋だね。


2003/02/22
The Devil In...に「タブー」の公演開始1周年記念パーティーの模様が出ています。(と言っても、2/5にはすでに公開されてたんですよね。)ボーイ・ジョージも「最近にしてはぢみな」メイクで写ってます。ちなみに彼のあごが割れてるところまで、しっかり写ってます。こんなことをチェックしてる私って一体…


2003/02/20
100% Boyに2/10の夜10時にBBC2で放送のあったThe Kumars at No.42の写真が載っています。番組の詳細は掲示板でS*H*A*Mさんが説明してくださっています。インド人の家族の家にいろんな有名人がゲストできておしゃべりするトーク番組で、この日のゲストがボーイ・ジョージでした。が、ジョージのメイクはインド人もびっくりの虹色メイクです。もう、メイクの領域を超えています。しかも首を黒く塗って、黒いシャツを着ているから境目がわかりません。レギュラー陣に囲まれたジョージはゲストと言うより、捕らえられた宇宙人て感じです。あまりの衝撃でしばらく見入ってしまいました。


2003/02/19
2/16のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

そうしないといけないときにはビッチに、でも面白くね
ぼくを知る人は、ぼく自身ときどき大変なこともあるんだけれど、ぼくからコメントを取れないことなんてめったにないことを知ってるだろう。こんなことを言うのも、先週ぼくの公のからかいのネタ元のサー・エルトン・ジョンの恋人のデヴィッド・ファーニッシュの記事が別の新聞に載ってたからなんだ。事実に対して経済的になることは、「肉体が身もだえ」なんて見出しで印刷されたくずを説明することにならない。そのことは、ぼくが思うに、ぼくがある種大変な人間であり、その一方でファーニッシュ氏がこわくて縮こまったことを示唆しているんだ。
ぼくたちのあいさつはトイレのドアのところで交わされたから、ぼくが恐怖で身がすくんだのをどうやって見たのか不思議だよ。デヴィッドをぶん殴るつもりはなかったよ(彼を怒らせるのに時間はかかっただろうってことじゃないけど)。いずれにせよ、彼は常識ある会話をするのに、うろついてたわけではなかったけどね。ここで質問。もし、主な原則や客観性を持ってないなら、どうやって自分をジャーナリストだなんて呼べるんだろう。
十分面白いことには、ぼくがthe 3am Girlsを招いて、彼女たちのつまんないコラムの話を仕入れる方法を話してもらおうとしたときだ。彼女たちの反応は、「彼が放送でこき下ろしたろころに、どうして私たちが出向くの?」
うーん、人にビッチになるのは、生活のためにすることじゃないの?書き捨て専門のジャーナリストの大半はめったに自分が吐き出したものを回収しないものだよ。
実際、ぼくは人気絶頂のころメディアのご機嫌を伺ってたのを認めるよ。でもぼくは、彼らはいつも最後の一言を持ち合わせているっていうつらい点も学んだんだ。だから、「もしもやつらをたたけないなら」って精神で、インクの剣を取ったんだ。ぼくは嫌いなことよりもむしろ、好きなことについて書こうとしているんだ。でも、ビッチになることは何も間違ってはいない。もしもそれが残酷でなく、面白かったらね。デヴィッドもエルトンもいつユーモアのセンスをなくしたんだろうね。何ヶ月か前、ぼくがレコードをまわしているときにデヴィッドが近づいてきてあつかましく聞くんだ。「エミネムは手に入れた?」エルトンはブルー(エミネムのこと?)と彼のデュエットに関してぼくが言ったコメントに、ほんとにむかついてるんだと思うよ。何しろぼくは「彼はプロフィールのためなら誰とでも歌うだろうね」って言ったんだから。ぼくだってブリトニーを呼んで、彼女にカーマ・カメレオンのニュー・バージョンを歌ってくれって懇願できるだろうよ。でも、ぼくが受けるだろう非難を想像してみてよ。
ぼくはノーマ・デズモンドのタイプだってよく言われる。トップに返り咲こうと無駄にもがいてるって。信じてよ。ぼくは今の手持ちで幸せなんだって。そう、自分の生みの苦しみのいくらかのためにちょこっと信頼を得られればいいはずなんだよ。でも、概して自分の運命に満足している人が一番幸運なんだ。
ぼくはこんなことつらつら述べるつもりはなかったんだ。でも、新聞にうそをてんこ盛りにしてくれる人がいるもんだから、選択の余地がなかったんだ。ぼくの一番の友人の一人のシンガー・ソングライターのアマンダ・ゴーストが仕事をしだしたとき、エルトンが彼女のことを自分のウェブサイトに書いてくれて、すごく協力的だったんだ。でも、彼女のアルバムがチャートに入らなかったら、彼はすぐにネリー・ファータドに鞍替えしたんだ。もし、それが彼の「親切な行為」に大きなスポットライトを当てないんなら、何をするんだい?

最後に:ぼくはエルトンが嫌いなわけじゃないんだ。ただ、彼の駆け引きに質問しただけなんだ。ぼくが言ったことに事実のかけらもなかったとしたら、ぼくは喜んであやまったはずだよ。ぼくが自分を太り過ぎだの、ハゲだの、毒舌だのと書かれるのを好きだと思う?そんなことはないよ。でも、それは事実からかけ離れたことじゃないし、それを治せる一塗りのペンキのようなものはないんだよ。
ぼくが自分のキャリアで今の位置に幻滅しているとちょっと思うなら、もう一回考えて。ぼくは毎日自分がまだ働いていることを神様に感謝しているんだ。元彼の中にはぼくを「瞬間湯沸かし器のうさちゃん」って言うかもしれない。でも、できるだけたくさん与えてもらおうとお願いすることのどこが犯罪なんだい?ぼくはお墓の花やトーストの豆が盗られるのもうれしいだろうね。ぼくは自己憐憫のむなしさの中に住んでたりはしないけど、泣き言を言う人にはなるかもしれない。ぼくはくずな曲も書いてきたし、すごく誇りに思う曲も書いてきた。もしもぼくを「盛りを過ぎた人」というならそれでいいさ。だって「それすらなかった人」よりはましだからね。


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