本日のカルチャー・クラブなもの(2003年1月分)


2003/01/10
The Devil In...にボーイ・ジョージが歌ったデヴィッド・ボウイのSorrowや、ジョージがほかのタブーのキャストと一緒に歌った´Everything Taboo´などが聞けるようになってます。ジョージの写真が一緒にアップされてますが、かなりクレイジーなメイクのわりに表情はミョーにシリアスです。


2003/01/10
1/8の続き

1月からぼくはLBCラジオのお昼の新番組And Another Thingでしゃべる予定なんだ。こいつはセクシャリティ、音楽産業、政治、タマラ・ベクウィズがあらゆるパーティーで何を着ていたかから、その他ぼくの想像力をかきたてるものなら何でも、ぼくの揉め事を起こしそうな考えを放送するチャンスなんだ。ぼくの最初のトピックは人は生まれながらにゲイに生まれるのか、自分たちの性的な好みを選ぶのか、というのが中心になる。ぼくはこれが選択であって、生まれながらに変わってるってことじゃないことを、クイーンに認めさせることができるだろうか?もちろん無理。ぼくは自分の理論を分かち合ってくれる仲間のホモをみつけるまで、追求し続けるつもりだよ。
とにかく、ハッピー・ニュー・クィアー!(注:yearとおカマの意味のqueerを置き換えたボーイ・ジョージのジョーク。)


2003/01/08
1/5のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

アイルランド人のユーモアのセンスを持って生まれて
2002年の終わりにダブリンで過ごした。一種の里帰りだよ。たとえ、ぼくが両親の生まれた土地で「作られたアイルランド人」と名づけられたとしてもね。こいつはその両親がエメラルドの島で生まれたんだけど本人はほかのどこかで生まれた人につけられる名前なんだ。ぼくの場合はサウス・ロンドンのベックスリー・ホスピタルだった。ここは後に精神病院になったけどね。うーん、そんな帽子が似合う奴が誰だって言うんだい!
心の中では、ぼくは常々アイルランド人だって感じてきた。そしてオダウドみたいな名前を持つと、その関係から逃れるのは難しいんだ。ぼくは特に土地にこだわるわけじゃないけど、ぼくは主張するね。ぼくの肉体や骨はこの国で作られたものである一方で、ぼくの精神やユーモアのセンスは確かにアイルランドのものだって。
この里帰りのクイーンのように、アイルランドに戻ったときには人はいつも感じるはずだよ。でもぼくはあるファンをがっかりさせてしまったんだ。ぼくたちの乗ったバスが出てしまって、彼女のポスターにサインしてあげられなかったんだよ。ぼくはサインしてあげるのは問題ないんだ。でもぼくはボーイ・スカウトのスローガンの「準備はしておくように」というのは欠かせないと感じている。サインを欲しがる人ってのはペンや紙を持ってないのだ。そうでなければ、自分たちのヒーローの写真が欲しくても、自分のカメラが動かないんだ。さらに面白いのは、彼らはスイッチを押し忘れたり、レンズのキャップを取り忘れてしまうんだ。こういう特定のファンは、ぼくたちが走り去ったときにひどい言葉を投げつけていたんだ。彼女の言葉はファミリー紙に似つかわしくないものだったんじゃないかと思うよ。
最近のほとんどのポップスターたちは、サインすることについては思いやりがあって、責任感もあると思うよ。でも、ステージを勤めて、別の会場でのDJに向かうときは、急がないといけないし、そのことは両方の点でうまくいくんだ。ぼくは確かに写真やレコードにサインをするのはかまわないよ。でも、ファンの人が10枚も同じレコードや写真を持ってくると、ぼくはいつも疑っちゃうんだ。彼らが自分たちを鞭打つと、ロマンスが消えてしまうんだ。
デヴィッド・ボウイ(おっと、名前を落としちゃった)がぼくに教えてくれたんだ。アーティストの名前の入ったレコードは価値があるんだって。でも、ぼくのボウイのサイン入りのアルバムはどこにも行かないよ。
とにかく、ちょっとしたいざこざはおいといて、ダブリンのギグは大盛り上がりだった。それから新年を迎えるためにエジンバラに向かった。4万人の酒飲みたちの前でね。スコットランド人は1年のうまい終わらせ方を本当によく知ってる。でもぼくは出だしの「君たちはウェールズにいたかもしれないし、ロンドンにいたかもしれない」と言う言葉が、すごいブーイングを食らうとは思ってもみなかった。2つの公演、カルチャー・クラブとミズ・ディアマンテはロンドンから来たものだったし、そんなのは些細なものだと思われた。ぼくは北と南の格差でひどく困ったことはなかった。でも、明らかに指摘する価値があると感じてる人もいる。
それでもお客さんはすばらしかった。彼らは賞賛されなくちゃいけないよ。だって打ちつけるような凍える寒さでの中で、ぼくたちの大ヒットに合わせて踊ってくれたんだから。その晩のハイライトはユアン・モートンが来てくれたことだった。彼は一年の大半タブーでぼくの役を演じてくれたんだ。彼はぼくの小柄版の格好、80年代のドラッグ・クイーンの格好をしていた。すごい愛情を受けたよ。ぼくはスコットランド人の何たるかを知らない。でも彼らはすごい声を持ってる。現在ぼくは別のスコットランド人のスティーヴン・アシュフィールドに肖像画をかいてもらっている。彼もすばらしい声とすごい演技力の持ち主なんだ。

(続く)


2003/01/08
The Devil In...にカルチャー・クラブのエジンバラでの年越し野外ライブの模様が出ています。極寒と思われるのですが、お客さんたくさん入ってます。ジョージはいつもの怪しいメイクに加えて、ヒョウのかぶりものまでして、サービスしてます。でもくつはスニーカー。しかも汚い(謎)。
ちなみにこのライブには、テレビカメラが入ってたようです。どこかで放送されたのでしょうか。


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