本日のカルチャー・クラブなもの(2003年9月分)


2003/09/29
9/28のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

もうエレクトリック・ドリームで一緒にはならないよ
誰も機械のなすがままになりたくはないけど、昨今は我々の多くがそうなっている。科学技術はすばらしいものだよ。コンピューターはこれまで永久に終わらなかったことをあっという間に処理してくれる。でも口答えしてもくれない、安いマニキュアをつけてもくれない無生物以上の何者になれるというのだろう?

ぼくたちはコンピューターを信用してるよ。コンピューターに重要な書類や秘密まで任せてる。で、結局それが驚くほど人間的で、それもほんとに人間みたいに失敗を起こす傾向があることに気づいたんだ。そう、推察の通り、ぼくの大事で高価で「最新モデル」のコンピューターが先日クラッシュを決意してしまい、それはどんなロマンスの終焉よりもひどいことだったよ。

ぼくがいったん自分の写真、音楽ファイル、他の大事な宝物の損失というニュースから立ち直ってしまえば、修理工場だって面倒見ないといけなかったんだ。ぼくのアシスタントのポールはTLCのためにこの道具を取り入れたんだよ。「これはコンピューターです。突き棒ではありません。」と彼らはポールに言った。ぼくに面倒見させないように提案しながらね。

最近NYにやってきたことを除けば、ぼくのコンピューターはハムステッドの家のキッチンから出ることはめったになかったし、ぼくはそれを女王様のように扱ってきたんだ。油断ならないガレージ内で整備員が修理費を水増しさせるために、車からちゃんと機能しているパーツを取り去るのを防ぐくらいちょっとばかげたことだったよ。コンピューター会社は、修理で小銭を稼ぐべく、数ヵ月後にコンピューターが壊れるように、わざと設定してるんじゃないかって、本気で思うよ。そして、さらに大金をもうけるために、彼らは口先巧みに紛失したファイルを復旧させましたなんて、知らせてくるんだ。技術者たちは親切にもこのサービスをほんの1000ドル以内で提案してきたんだ。げげっときたね。彼らは明らかに現場でそれを無償でできる機能を持っていたっていうのにね。

一回ぼくが怒りを抑えたら、コンピューターを買うときに、月々ほんの7ポンドでぼくの言いなりになってくれるコンピューター・エキスパートのサービスがついたのにしたら、ベストだったろうということに気づいたよ。もちろんNYとロンドンでは時差があるから、割り当てられた技術者が起きてるか、眠ってるところをかき回された気分かどうかの保証はないけどね。

ぼくが数ヶ月前にこんな機械を買うようにそそのかされたときに、ぼくはたまたまITエキスパートと、たまたまあっという間にロマンスに落ちてたんだ。彼なんだよ、ぼくに購入するのにベストなシステムをアドバイスしてくれたのは。そして、彼がセットアップしてるところを見るのはびっくりだったね。彼が素敵だっただけじゃなく、すっごく簡単に見えたんだよ。不幸にも、彼はぼくの腕から出て行ってしまった。でも、ぼくたちは友達だったし、アドバイスが欲しいときは時々電話してたんだ。

(続く)


2003/09/25
今日の午後7時からのBBC2の番組Top Of The Pops2(TOTP2)を見ていましたところ、ボーイ・ジョージが出ました。この番組はTop Of The Popsの昔のビデオを流す番組なのですが、92年にボーイ・ジョージがThe Crying Gameで出演したものが流れました。

ジョージの衣装は黒ずくめ。孔雀の羽をあしらった黒い帽子に黒いロングなジャケット、黒いパンツ。もちろんメイクもばっちりです。この当時は首にタトゥーを入れてなかったようです。このときは口パクではなくちゃんと歌ってたようです。バックでギターを弾いていた人が80年代のジョージの格好をしていました。(つまりドレッドで、長めのTシャツ、さらにメイクも…?!)ジョージの脂の乗り切った美しさにくらくらしました。


2003/09/24
9/24の続き

デヴィッド・ボウイのLPのRealityは、こうやって言うのはうれしいことだけど、本当にいいアルバムだよ。ぼくのなんかもう擦り切れちゃった。ある批評ではそのアルバムをプロデュースしすぎで80s過ぎると批判するけれど、本当に解放されてレコーディングされているし、そもそも彼の最高の録音であることを示唆し、悲しくも昔からの不死身のぼくみたいなファンならよだれをたらしてしまうクラシックなボウイのボーカルスタイルにあふれている。批評家は自分たちの意見がどんなにダメージを与えるかなんて、立ち止まって考えたりしないのだ。でも、ボウイファンにはそのアルバムをすばらしいレコードだって保証するよ。いやな日はフランス風に装飾された自分の巨大な家にこもり、音楽を聴く。いい日には外国人を愛する。つまりNYってことさ。


2003/09/22
9/21のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

パーソナル・スペースを侵す奴を呪う
ぼくはNYのタブーのリハーサルの間、目立たないようにもう最善を尽くしてるんだ。一番魅力がない衣装を着て動き回ってるときなんか、ぼくはかなり平凡なんだよ。でも、いつも人は他の人にぼくのことを指差すんだよ。それもこっちがそれに気づく前に…アメリカ人は名声に対して変な態度をするんだ。彼らはぼくたち(イギリス人)よりそれを重んじるけれど、彼らはまた高い期待まで持つんだ。彼らが写真をお願いするときにこっちが逃げたりするのは、好まないね。それから、彼らは近くで人のことを話すんだよ。こんな感じで。「あれが彼なの?ほんとに?なんてこと。ずいぶん違って見えるよ。」

明らかにみすぼらしくて、印象に残らない格好をしようとしているときに、写真をお願いすることはマナー違反だよ。カフェでこっちは隅っこでそういう質問を避けるべく座っているときに、「あなたが本物のボーイ・ジョージなの?」って聞くこともね。ぼくは意味のない質問をしに自分に近づいてくる人たちを追い払ういい方法を見つけたんだ。何の違いがぼくのあるがままを作り出してるっていうの?質問というのは目的があるものだけど、唯一の目的というのならば、くすくす笑って指差すのもいいけど、まあ邪魔するなってことだよ。一番いいのはむっつりと反対側にいる人を見てから、かかってこようとする相手に「申し訳ない。友人とぼくはけんか中なんだ。」と言うことだね。

これはよく効くよ。だってニュー・ヨーカーは個人の争いごとにかかわるのを好まないからね。「お元気?」って訊いてくる陽気なタイプは相手のご機嫌なんか興味がないんだ。「実はほんとにひどい日なんだ。」って答えれば、彼らの顔ががっかりするのがわかるよ。お客さんを引き付けるためのトレーニングはこういう場合、彼らの役に立たないんだよね。

アメリカがかつて誇っていたカスタマー・サービスは過去のものだ。でもチップはまだ要求されるんだ。キャブ・ドライバーはかつて性格や魅力がにじみ出ていたのに、「ここで降ろしてもいい?込んでるから。」というおばあちゃんの団体にとって変わられた。4時から6時の間はタクシーのシフトが変わるので、とこにいたってタクシーを捕まえることができないのだ。

NYは頭にくるし、なぜ人々が冷静さを失うかがわかるよ。禁煙のせいで多くのバーやレストランでは閑古鳥だし、政治的正当性はえらく充満している。

ぼくはアートのお店でレジの人に聞いてみたんだ。お客さんがすごく行列しているときに、なんでたくさん空いているレジがあるのに開けないのかって。「そんなこと私に言わないでください。」って返事されたよ。「マネージャーに会えるか訊くべきです。」大柄のセキュリティの警備がぼくに向かって来だしたんだ。でもぼくは分別のある提案したために、床でもみ合う前に、ドアの外にいたよ。

これと釣り合いを取るために、Seigeみたいなグレートなバーがあるんだよ。そこは街の魅力的な変人やらかわいい男の子をみんな引き付けるんだ。ぼくはKaren Finelyを見て興奮したよ。この人は今トライベッカにあるFezで新しいショーをやってるんだ。

ミズFinelyは早口の政治風刺家で、感情的かつ議論を呼びそうな同時多発テロみたいなテーマを扱うんだよ。彼女はその社会的コメントをいっそう超現実的にする、1ダースもいるライザ・ミネリのそっくりさんに迎えられて、ステージにあがる。ライザはぼくが思うに、ショービジネス一座や、あらゆる大惨事をみて高く高揚する人間の精神の一部を代表してるんだ。

(続く)


2003/09/18
100% Boyによると、5月ごろに収録が行われたOpen House with Gloria Hunnifordが放送になります。ボーイ・ジョージがゲスト出演してます。さらにジョージのママも呼ばれてます。歌も歌ったそうなので、なかなか充実の内容ではないかと思われます。
放送日は以下の通り。
日時:10/24(金) 4:30pm Channel5


2003/09/16
9/15の続き

偉大な伝説的人物はハエのように散ってしまうようだ。ちょっと前にNina Simoneの悲しい死に遭った次は、Johnny Cashにさよならを言うのだ。彼は晩年においても、クールな切れを維持し、グラストンベリー・フェスティバルで演奏までしてたんだ。彼の音楽はカントリーとにぎやかなブルースとの切れのよいミックスだった。いつも独特でにやりとしてしまったよ。

音にこだわるたいていのアーティストは退屈で意外性がなくなってしまうものなんだけど、Cashはそんな運命に苦しんだことがなかったね。彼はA Boy Called SueやA Thing Called Loveのようなクラシックと共に思い出されるだろうけれど、彼の音楽の遺産は計り知れない。彼の正確な年齢ははっきりしなかったが、いつも風雨に当たったように見えたし、ちょっと中庭の野蛮人みたいだった。
彼をもう二度と出ない人と呼ぶのが無難だろう。そして決まり文句を乱用すれば、彼は本当に惜しまれるだろう。


2003/09/15
9/14のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

ドラッグのむなしい武勇談と死

マコーレ・カルキンが悪名高いドラッグ・クイーンを演じるという考えはこっけいだけど、それはまさに新作映画Party Monsterで彼がやることなんだ。それはナイトクラブの変人Michael Aligの短い時代を基にしてる。結局はドラッグの売人の悲惨な死で終わるんだよね。80年代後半、NYでのクラブシーンはロンドンのタブー・ナイトクラブの環境を反映すべく展開されていた。Aligと彼の友人James St Jamesの時代だった。彼らはLimelightというクラブでカラフルなパーティーを開き、リー・バウリーのように装った。しばしば彼らは昼も夜もAngelと呼ばれる、そのクールなシーンの一部になりたいと必死だった若者から提供されるハード・ドラッグをやって過ごしていた。

AligはAngelとの付き合いに借金がかさんだが、彼が支払いを要求しても笑っていた。ある晩それに絡んだけんかの最中に、AligとクラバーはAngelをこん棒で殴って死なせてしまったのだ。そこで彼の死体をきざみ、彼らがドラッグを吸っていた箱に入れ、においがひどくなるまで自分たちのアパートに放置したのだ。

AligはTVに出て自分がAngelを殺したことを自慢しさえした。行方不明の調査が強化されてるときにだよ。彼はSt Jamesに殺害での自分の役割を語ったので、Jamesは彼を警察に突き出した。

Party Monsterはうまく的を得ているし、カルキンはいい演技をしているけれど、脚本がひどく浅薄で、ぼくは誰にも思い入れがなかった。地獄へ向かう快楽主義のトリップの犠牲者のAngelには特にね。元になったJames St Jamesの本、Disco Bloodbathにはもっといい記述があるし、関係者には少しはハートがあった。

映画は刑務所にいるAligからあざけりの電話で終わるんだ。そこで彼は自慢するんだ。「刑務所はいいとこだ。自分がしたいあらゆるセックスもドラッグもできるんだ。」現実では、Aligは刑務所で残酷にも輪姦されてるんだ。さらに悲劇なのは、映画はAngelにも家族があって、彼を見つけようとしてるときにNY中にポスターを貼ってたということを忘れてしまってるんだ。

ぼくがそれを見た晩、観客は不適切なところで笑ってるみたいだった。でも彼らはほとんど責められないよ。だってすっごくばかばかしい描写を見せられたんだからね。Aligはほんとに間抜け元からあくどい奴のように見えるが、彼はそういう伝説を作るだけのあるカリスマ性を持ってたに違いないよ。

Party Monsterはドレスアップして夜の生活をしている人は、モラルや哀れみが欠けていると提示している。その映画はドラッグの使用に重きを置きすぎているし、Aligがいかにして有名になったか、なぜそんなに悪い奴になったかの説明がほとんどない。哀れみをちょっとだけ見せてるような人はSt Jamesくらいだ。彼はAligに自首するように言ったんだ。

当時を振り返ると、ぼくたちはNYのクラブキッズはそういうのをみんな勘違いしてて、自分たちの服がいいって信じすぎてるってよくジョークを言ってたんだ。同じことがParty Monsterで言われるに違いないよ。この映画、今年版のVelvet Goldmineなんだよ。確かにそんな風に見えるし、グレートに聞こえるけど、真実や実体にかけてるね。衣装を着てる人たちを除いてだけどさ。

(続く)


2003/09/14
The Devil In...によると、C33XというユニットのBeccaとChescaがボーイ・ジョージをモチーフに洋服をデザインしているそうです。Luscious Organicというロンドンにあるお店で販売中とのことです。Tシャツ、ネクタイ、スカートなど25-60ポンドくらいです。ネクタイにジョージの顔が思いっきりデザインされてます。会社にして行ったらウケるかも…!


2003/09/11
掲示板にGRACIAさんからの書き込みがあったので調べてみました。

100% Boyによれば、10月にロンドン・バージョンのタブーのDVDが出るそうです。でも、まだ発売日は確定してないとのことです。

また9/15にThe Twinの3枚目のシングルSatisfiedが出るそうです。

にしても、タブーのカバーの写真といい、The Twinの写真といいすごく怖いんですけど…そろそろ涼しくなるので何とかなりませんかねえ?


2003/09/08
9/7の続き

ここでほんの1週間すごして、自分がここで仕事をすること、それが大変であることがわかってきた。ぼくの振り付けは舞台では基本的なものだが、今までアヒルにサルサを教えたことがある?このえらく神経質な仰々しいタイプはきちんとしたリズムが嫌いで、でも振付師のMark Dendyはぼくにとってそれをシンプルなものにしてるんだ。でもそれは我々について回る小さい、ほとんど些細な瞬間で、そんなことがもう数回あったね。我々の衣装デザイナーのMike Nicholsが自分の肖像画を道端のピカソにやってもらうのをながめるのはこれまでで一番だったね。マイクはハンサムなやつだけど、トム・クルーズさえ耳がずれてたり幅広の顔だったりしたら変に見えるだろうね。それからもちろん、我々のメイクのクリスティンがぼくのアパートの自分の部屋に越してきたときも、ドラマがあったよ。小柄でフレンドリーな日本人の大家さんがクリスティンに明るい黄色のペンキ塗りの作業をやってくれるかって聞いたんだ。

クリスティンはノーって言ったよ。突然結構ハンサムなスペイン人の建築業者がはしごを上って壁の作業にかかったんだ。そこでラブ・ストーリーが展開された。

その業者はクリスティンに夢中なんだ。で、絶えずアパートに電話して彼女に言い寄ろうとするんだ。ぼくは彼とのホットなロマンスのために自分が出て行こうかと思ったんだけど、彼は頑固だったね。彼は「成熟した女性」が好きなんだって。

舞台に関係するすべての人たちを知るようになることはサーカスだし、ほんとに楽しい。New York Dollsで働いていたジェニファーは人気が高い。ぼくのアシスタントのポールは彼女にNYでA4の紙が手に入るか聞いてた。(ぼくたちはマスタードしか見つけてないんだ)すると彼女は冷たく「ごめんなさい、私、文房具屋さんにいないから」って言ったよ。

みんなの人気者が共同プロデューサーですべてのドラマの黒幕のLori Seidだ。もちろんロージーもね。彼女はぼくたちみんなをここに連れてきたわけだし、自分のお金も投資してる。ぼくは彼女を狂ってるって言うかもしれないけど、そのキャラクターには少しも間違ったところはないよ。


2003/09/07
9/7のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

NYの人ごみで影を描く
ぼくはふたご座。何が言える?ぼくは周囲の環境になじんでしまうんだ。ぼくがビーチにいたなら、人のいないのがいいんだけど、穏やかに砕ける波の音を聞きながら、禅の師匠になる。夢の街では、ぼくの脳みそをガリガリかじってくるようなものはほとんどみんな忘れてしまえるんだ。クレイジーなところでは狂った奴になる。NYはいつでも何でもなんだよね。

ぼくのアパートはにぎやかな通りを見下ろせるけど、なかはフランスの影があってビッグ・アップルにいるなんてわからないくらいだろう。

ぼくはここで4日間を過ごして、起こりうるあらゆる感情を経験してしまったよ。どこか新しいところにいるという興奮状態はやがて、そこが自分の家になるんだ。苛立ちと攻撃性はまさにNYの活力源なんだね。ニューヨーカーにはイギリスっぽくないやり方で抱擁してくる人もいて、赤面してしまう。それからぴしゃりと言う人もいて、血が沸騰することもある。ぼくは自分のイギリスの携帯電話を使おうとして、アメリカのオペレーターにつないだ。ぼくは自分のやってることの何が間違ってるかたずねようとしたんだけど、ぼくが言葉を言い終わらないうちに、「お客様の携帯業者におかけになってください」って言われて線は切れちゃったんだ。

それからぼくは道に迷って、蒸し暑い雨の中を何マイルもさまよったよ。呪いながら馴染みのものがある家に帰りたくなったよ。

それから、ロージー・オドネルと最初の合同記者会見をやったよ。彼女は人間竜巻だね。タブーは大成功するって言う彼女の自信は元気にもなるし、怖くもなるね。ぼくは自分の母親が「自分のニワトリを勘定してはいけない」って言うのを聞き続けている。でもアメリカでは成功は祝福されるし、彼らはきちんと対策を立ててる。The Daily Newsに出たロージーとぼくの写真には「ガールとグール(食屍鬼)」って見出しがつけられたんだ。(ぼくのリー・バウリーの格好を見て。)別のところではぼくのことを「消えたアイコン」って書いてたよ。

(続く)


2003/09/01
8/31の続き

ぼくはずっと(NYに)行くのを怖がっていたんだけど、今はもう待ちきれないんだ。舞台スケジュールは週に9ステージもあったり、エンドレスなプロモーションがあったりしてひどいんだけど、ぼくはそれに取り組むのが楽しみだね。
アメリカではぼくたちがひきつけるのがどんな種類のお客さんか、評論家たちは舞台をどう理解するかを見るのは興味深いことだろうね。来週にはリハーサルや脚本の変更、新しく作った衣装の試着が始まるんだ。
今回ぼくは自分の衣装室をゲットしたんだ。組合は役者に対してすごく保護的みたいだね。だってそれぞれの衣装室には、歩き回った足を休ませるために役者用のベッドがないといけないんだから。さらにみんな新しいキャストで、彼らがどんな奴で何をするかを知ることになるのも興奮するよね。
6ヶ月もやるのに、ぼくときたら実質何も持っていかないことに決めたんだ。NYにはすごくたくさんのいい古着屋さんがあるから、一から完璧に新しい衣装部屋を構築するつもりなんだ。
起きてることをすべて、最新の情報でお知らせすることを約束するよ。たくさんのことが起きたり起きなかったりするだろうね。Ethel Mermanの声ではみんな一緒だね。「ショー・ビジネスでは私にはビジネスがない」
じゃあね、ぼくはライム・グリーンのチュチュでNYをびびらせに行ってくるよ。


2003/08/31
8/31のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

人のヒューズを飛ばさすには十分
電気みたいな単純なものがどんなに当然と思っているかっていうことは、忘れやすい。先週の水曜日の午後2時ごろ、ぼくの(家の)電気が吹っ飛んだんだ。木曜日の大規模な停電のあおりを食らうまえにね。London Electricity Boardを夜中まで座って待ってたよ。家はろうそくが至る所でちらちらしていささか豪華に見えたけど、数時間後ロマンスはすぐにしぼんでたね。エンジニアは問題を見つけられなくて、朝戻ってくると約束したんだ。
かいつまんで話すと、ぼくは3日間電気なしで、エンジニアたちはぼくの家のリビングの床をはがすなんて脅かしてたんだ。言ってやったよ。彼らがどんなダメージも修理するって保証してくれる限りやってもいいよって。でも、できなかったんだ。どうもLondon Electricity Boardはどの家にも通じる公道用地を持ってるんだろう、彼らは裁判所命令を手に入れたって言ってたしね。
ぼくが問題を報告しなかったってことが、カスタマー・サービスから一番言われたことなんだよ。ぼくは驚くほど冷静だった。ずいぶん無意味な言い合いをしたあと、彼らはぼくが何度も電話していたこと、ぼくが3人のエンジニアが自分の家にいたことを考えていなかったことがわかった。もしぼくがエルヴィスを見たって言っていたなら、彼らがぼくの判断に質問するのを理解できただろうに。でも、頼むよ!
自分が変になるのを止めるべく、ぼくは発電機を入れた。これで家の一部が通電するからスーツケースも見つけられるし、音楽も聴ける。3日間、エンジニアがだらだら出入りして、頭をかきつつキッチン経由で巨大ケーブルを這わせたりしてた。最終的に彼らはぼくの家の外側に事態が正常になる巨大発電機を置いたんだ。でもこれってぼくの隣の弁護士が怒ったあとで初めてすることじゃないかって思うんだ。エンジニアたちは十分喜んでいたし、ぼくは彼らは自分たちの仕事をしただけだって理解してる。でもぼくはLondon Electricity Boardの態度にぞっとしてるんだ。
コールセンターはまるでロボットが配置されてるみたいなんだ。だって電話に出る人たちは、前頭葉をロボトミー手術しちゃったようだったんだから。怒ったお客さんたちに対処するなんて、不愉快な仕事だよ。でも、ぼくは怒ってなかったんだよ。停電を連絡したのはお隣さんだって繰り返し言われるまではね。もしぼくがあんまり正直じゃなかったら、ベルーガのキャビアやウズラのたまごでいっぱいの冷蔵庫をなくしたふりをしただろうね。でも、ぼくはもうアメリカに行くために冷蔵庫はすでにきれいにしちゃってたんだ。
ぼくの苦痛に対してLondon Electricity Boardが何て言わないといけないか、興味があるね。ここを見てて。

(続く)


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