本日のカルチャー・クラブなもの(2004年1月分)


2004/01/31
100% BoyにTake It Like A Man以降について書かれたボーイ・ジョージの自叙伝の発売について書かれています。タイトルはStraight、発売予定は2005年4月です。本来もう少し早く出る予定だったのですが、ジョージがブロードウェイ版タブーについても書きたいとのことで、延期になったとか。でもすでにAmazonでも予約できます。ちなみに本の詳細は以下の通り。

タイトル:Straight
出版元:Century
ISBN:1844133907
値段:17.99ポンド(ハードカバー)

Amazon.co.ukの予約画面


2004/01/29
1/27の続き

舞台が止まってしまうので、ぼくは自分の演技ではあらゆる悪意を駆使して、おしゃべりな「カメレオン」と化した。舞台の、ぼくが自由にアドリブを言っていい部分はバカみたいに楽しくて、制作チームを警戒させっぱなしなのだ。

ぼくはたくさんのメッセージをもらったんだ。「ごめんね、アメリカ人にはわからなくて」みたいなことを言ってるやつをね。このことはほとんどフェアじゃない、だって舞台を見たことある人たちは、決して気分を悪くしてなかったみたいだからね。もしぼくが誰かの気分を悪くしたら、きっとそれは仕事がうまくいった、それもすごくうまくってことだね。ぼくがやっているリー・バウリーの精神においては、だよ。

仲間のホモセクシャルからはひどいメッセージをもらった。そいつは「あんたの舞台を見たよ。100ドルの貸しをぼくに作ったね。」って言ったんだ。ぼくの返事は「なぜ?君は新しい心と魂を買わないといけないの?」いいとこついてるみたいだったよ。


2004/01/27
1/26の続き

舞台が始まってまもなく、観客の一人がけんかをしたんだ。というのも、彼が自分の周り中の座席をバッグで埋め尽くして、他のチケットの持ち主に明け渡さなかったからなんだ。舞台は10分間中断し、主役の二人は警察が彼を引きずり出すまでアドリブでやらないといけなかったんだ。事件の後ではいい舞台にしないってのは不可能だった。狂った男は、我々のどれほど多くの者たちが感じたかを象徴するかのようだった。

製作チームから出された公演終了の言い訳の一つは膨大なコストだった。結構なお客さんがついていたんだ、必ずしもいっぱいってわけじゃなかったけれどね。でも、そのことは決して困ったことじゃなかった。いまや、我々は終了するから、メディアからは惨事だって伝えられている。ロンドンでのコスチュームの予算は、NYのために作り直すのに使った50万に比べると安くて16000ポンドだった。ときどきぼくは無駄遣いをしたお金に怒りを感じたよ。

ぼくはここに来たことを後悔してはいない。ほんとに喜ばしいときもあったからね。リスクも冒険もあるだろうってことは常々わかってたよ。ぼくは衣装換えのたびに、階段を3階走って登り降りできなくてさびしいなんて思わないだろうね。どんなにぼくの腿ががっちりして見えても。

舞台芸術には保証なんてない。そのことはテロと結びついた劇場に興奮の空気を生み出している。もちろんぼくはわめいた日々が何日かあった。そのことは悪魔を追い出し、次にやることに集中する助けとなるのにはよかった。ぼくはブロードウェイでの経験を、ワンマンショーをするのに使おうと考えているんだ。おそらく一人で物事をやるのが、コンセプトやアイディアをまとめるのに唯一の方法なんだ。

よそ者は自分が聞いたり読んだものから仮説を立てるんだろうってことと、うわさは舞台裏で飛び回る人と同じくらい半狂乱で華やかなら、すごく辛らつで本当はめっきのものに違いないとぼくは認識してる。

(つづく)


2004/01/26
1/25のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

腿ががっちりしてようがいまいが、ぼくは終わるのがうれしい
すごくたくさんの人たちがぼくに、ブロードウェイ版のタブーはオフ・ブロードウェイに行くべきだったと言い続けてた。うん、2週間のうちに我々は短いながらもお金がかかったプリマス・シアターでの仕事を終える。正直言ってぼくはすっごくブロードウェイから離れちゃってるんだ。
ぼくはそのプロジェクトに関しては常々確信がなかった。だってロンドンでなじみの演目だったからね。何か大がかりで高価なものをやるという考えは、そういう舞台にはらしくないようだ。でも、ぼくがリスクを冒さなければ、自分を蹴飛ばしてたことだろう。

NYでの舞台のスケジュールは疲れるものだったし、おかげでぼくは何で誰もが劇場でのキャリアを選ぶんだろうって思ったよ。週8回公演では、自分がやってることをよく考える時間や狂気を埋め合わせる社会生活の時間がないんだ。

ぼくはプロデューサーのロージー・オドネルから舞台の2時間前に、我々の公演はあと3週間だという電話をもらってびっくりしたんだよ。ぼくはリアクションで病欠の電話をしてしまった。そのことは、チケット売り場でパニックを起こしてしまったよ。仲間の役者からの半狂乱の電話の後になって、ぼくはひどい行為だったとして、翌日には戻ったんだ。

(続く)


2004/01/24
すでに掲示板にもお知らせがあるとおり、2002年にロイヤル・アルバート・ホールで行われたカルチャー・クラブのライブが3/23に日本版としても出されるそうです。定価は4800円です。時間は90分なので、すでに発売されているイギリス製のものに比べると30分ほど少なめになっています。(ボーナストラックのボーイ・ジョージやジョン・モスのインタビューがないのでしょうか?だとしたら残念。)しかしながら、日本語/英語字幕なので、ジョージのMC部分がいっそう楽しめるようです。もっとも、Victimsの途中の"Stop fxxking talking!!"を忠実に訳したらどうなるんでしょうか。


2004/01/24
100% BoyによるとThe Twinの新しいシングルHuman Racingが2-3ヶ月中に発売されるようです。

さらにこれまでの4枚のシングルに、おまけを追加したCD-ROMを3月に出そうかと言う話もあるそうです。

また春から夏ごろに"Straight to Video"(仮題)というタイトルでDVDを出す模様。レコードの製作・編集過程やライブ(ICA、NagNagNag、The Electric Ballroomなど)の様子が含まれるとのことです。


2004/01/20
1/19の続き

眠りはすばらしいものだ。きちんと眠れるとき、8時間眠る時間があるときにはね。ぼくが誰かハンサムな人に抱きしめられてるときとか、おろかにも朝食にしてもらおうと提案したなんて重要な約束があるときにぼくを起こしてごらん。

でも、たいていの場合眠ることはいらいらすることなんだ。だってぼくがいびきをかくようなだるい行為で自分を甘やかすときにはいつも、ぼくの脳はタップダンスを始めるんだからね。ぼくは突然思い出すんだよ、送らないといけない大事なEメールがあるとか、服の作りかえをしようと決めたりとかね。ぼくはあらゆる種類の組織に恨みを持ってるんだと思う。ぼくはすごく一生懸命に働くけど、自分のペースでやりたいんだ。ちょっとスペインとかジャマイカの精神でね。ぼくは特に眠るのが嫌いなんだ。だって何か逃しちゃってるかもって心配だからね。

ぼくも目をつぶって口をあけてパニックなんだよ。自分がベッドに誘った人にはぼくがみっともなく見えるかもね。もし親友が君が眠ってるときにLand Of Hope And Gloryを歌ってるのを聞いたなら、君は笑えるかもしれないが、知らない人はトラウマになるかもしれない。

ぼくは眠りに対して完璧に論理的な議論をしたと思う。これからラウンジのソファに行って、the Jerry Springer Showで狂ったアメリカ人がお互いにいすで殴りあうのを見るんだ。ほんとにリラックスするね。


2004/01/19
1/18のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

眠れない夜はぼくにとっていいものだ
先日の朝、理不尽に早く、ぼくはトイレに行く必要から気持ちのよい眠りから目覚めた。ぼくは5時間しかベッドにいなかったし、ぼくは起こされた後に眠りなおすことがすごく難しいと思う一人なんだ。

ぼくは寝るのはあまり好きじゃない、少なくとも理にかなった時間じゃないときにはね。そういうのは若いころへの後戻りであって、自分が実に楽しくTVを見てるときに寝なさいと命令されることであるに違いない。ぼくは午前2時に生まれたんだ。関係があるのかな?

不眠症を自認して、ぼくは自分の状況を受け入れるようになったし、ストレッチとか瞑想とか強い薬みたいないろんなものを試したんだ。これらのものは効くけれど、自分の体がただ電池切れになるまでしばしば起きていざるをえないのだ。

ぼくには好きなときにいつでもどこでもぐっすり眠れてしまう腹の立つ友人がいる。最悪な奴は長距離フライトや鳴きながらヌーが大移動してるところでも眠れてしまうんだ。ぼくはある豪華なパーティーのトイレの個室の床の上で人が眠ってるのを見た覚えがある。その人は酔ってもいなかったんだ。

ぼくはマーガレット・サッチャーが一晩6時間以下の睡眠で国をこわしたということで慰めにしてる。それはまるで自分のNYでの忍耐を仲間の不眠症の人と共有してるようなものだ。

トイレに行ってから、ぼくは突然オレンジジュースを飲みたくなり、まばゆい光がフラットメイトのベッドルームの少し開いたダブルドアから漏れているのに気づかずに入られなかったんだ。ぼくはメイクのクリスティンはそのドアのために、この部屋を選んだと思うんだ。そこは彼女が顔を塗って、髪を非論理的な形に結わえたり、箸をさしまくったりして現れるときドラマを提供するし、ほとんど服を身に着けないのが魅力的で合法である。

クリスティンは年代もののMTVを見て、昔のボウイのCDを聞いていた。ぼくは目を回し彼女にコーヒーを勧めた。そして、ミルクもオレンジジュースもないことに気づくと、地元のデリにたどり着くべくブリザードに立ち向かわなくてはいけなくなったのだ。そこはほんの道の向かいなんだけど、まるでコットンのゆるいドレスでエベレストに向かうように感じたよ。ぼくは実際は重いウールのコートにTシャツを3枚、スカーフにお間抜けなニットの帽子を身に着けてたんだ。優秀なファッションを身に着けてるときじゃなかったね。明らかに雪が好きな奴はおかしいよ。

(続く)


2004/01/15
寝耳に水どころか、寝耳に鉄砲水な話。

掲示板、100% BoyThe Devil In...にすでに出てますが、NYで公演中のタブーが2/8で終了することが決まってしまいました。

100% Boyにボーイ・ジョージからのコメントが載ってます。こんな感じです。

メッセージを送ってくれたみんな、君たちの応援はどんなものよりも意味があるものだとわかっておくれ。ぼくは大丈夫。次の3週間は大騒動になるだろう。(台本?なんて台本だよ!)ぼくはブロードウェイで混乱を起こすことを約束するよ。ありがとう、そして愛を込めて。


2004/01/15
1/12の続き

大晦日はここではすごく深刻に受け止められる。単に劇場に到着するだけでも軍隊の訓練だった。警察は通りを何マイルも閉鎖し、厳重に警備で封鎖したところを通してもらうためのパスをもらうのだ。ぼくは運良く警官の名前を一人ずつ知ってる運転手を雇えたので、イギリスのクイーンのように扱ってもらえた。

誰がNYの劇場地区に近いところにタイムズ・スクエアを建てるなんてバカな考えを持ってたかを知ってるのは、神様だけだよ。だって文字どおり数十万の人たちがそこに押しかけ、それも朝早くからはじめるんだからね。

お祭りを楽しむことをきめた人たちは寒さを忘れてるし、あらゆる変人がいる。南極に行くような服装の人もいるし、タキシードで身を守ってる男友達をあてにして、派手な服で気が変になったように震えてる人もいる。

新年の精神的な成果は、自身のペースで展開していくゆるやかな過程であるということだ。よいニュースは2月以降、ぼくはよい3の年に入るということだ。ぼくは来年自分の家に入るんだ。ハムステッドの家じゃないよ、精神的な家だ。ぼくは自信であふれ、幸運をつかんでいる。ぼくはそれに乾杯するんだ。


2004/01/12
1/11のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

ぼくのもっとも幸せな新年はもうじき始まる
概してぼくは新年は大嫌いになりがちなんだ。ぼくは東洋の占星術の九輝に従ってるからぼくの新年は2月で始まらないんだ。でも、それ以上に、大晦日はたいそうなドラマだ。賢明でかつ上品なパーティーを見つけたとか、好きな人と家で過ごすということでない限り、いつも気がつくと何百人もの見知らぬ人とどこか寒いところで気がつくと押しつぶされるんだ。もう二度と会わないだろう人とランダムに抱き合ってから、どうやって家にいる気分になるんだろうって思いながらね。

今年ぼくは自分の知ってて大好きなみんなに確実に電話した。彼らの多くは家にいて腕組みをしながらセールが始まるのを待っていた。ぼくは友達や家族の呼び忘れたときのちょっとしたうわさを知ってるけど、今年は過度に従順だったよ。必ずしも時間の無駄って分けじゃなかった。ぼくはどうにかパーティーを開いて物事の本質に入ってくれる少人数の友人を見つけた。

イギリスにいるとき、ぼくはたいてい数千人の酔っ払った人の前でレコードを回してる。幸運にもぼくはここNYでまさに同じことをしていた。ぼくは例年ハドソン・ホテルで行われる大きなパーティーでDJをすることを依頼された。ちょっと企業の行事だった。だからぼくはなじみの曲を持ってくるように求められた。お客さんたちはぼくがポンプアップバージョンのAuld Lang Syne(蛍の光)をかけたのに気がついた。ひどかったけれど、その場は完璧にできたよ。

ぼくのホストはわれわれをすばらしくよく面倒を見てくれた。新年に一緒に鐘を鳴らせるようにぼくにタブーの全キャストやクルーをよばせてくれたし、我々の魅力的な面を出せるように十分なシャンペンを出してくれたんだ。ぼくはきっかり10分回すはずだったけど、ぼくが一たびそこにあがると、ぼくに任せることに安心してるようだった。すぐに2-3時間になったよ。

パーティーをまとめる芸術と言うのがあって、どのレコードを選ぶか注意しなくてはいけない。ぼくの前のDJは80年代に作られたレコードを回した。ぼくのカーマは気まぐれも入ってた。彼はそれをスピードを上げ、それはシマリスが録音したかのような音になった。

ぼくは数枚のCDしか持ってなかった。大半を友達から貸してもらったり、その日の朝あわてて一番近くのレコード屋で買ったんだ。ぼくがお客さんを蛍の光のディスコバージョンでくるしめたあとは、ほとんど何にでも聞いたものにノったと思ってるんだ。でも、一番はっきりしないレコードを回すときさえ、ちょっとは踊らざるを得ないし、それがまるでお客さんが楽しめるほどにいけてないとならない歌であるかのように振舞わないといけない。そしてその場を完璧に支配するのだ。

パーティーのあと、ぼくたちは一堂に会してシャンペンを飲む部屋を与えられた。それからひどく寒い中外に出て、ベッドに向かった。

(続く)


2004/01/11
The Devil In...に4年前に行われたカルチャー・クラブのツアー・レポートが紹介されてました。書いたのはキーボードを担当してたチャズ・ダバット・コッシ。各ツアー先でそれぞれレポートしてたようですが、日本公演中のコメントも載ってました。

内容の概略はこんな感じです。
日本のファンはほんとにチャーミング。曲をちゃんと聴いてくれるし、いいところで拍手をしてくれる。ステージドアではいつもたくさんの人が待っててくれてうれしい。来る価値があるよ。
ツアー中は、ジョン・モスと歩き回って、皇居前広場にも行った(ビートルズが68年に野外ライブをやったところ)。ジョンがそこと向かいのところ(日本武道館?)でカルチャー・クラブのライブをやったって教えてくれた。見たかった〜。
東京公演の話もしないと。Victimsで、ジョンのドラムロールが入るところ。上からライトがドラムセットにスポットが当たる。オーマイゴッド!ジョンがいないんだよ。で、そこにジョンが走ってきて「ごめん、トイレに行かないといけなくって。」で、何ごともなかったように演奏したんだ。あ〜もう死んだよー。
ともかくバンドはうまくいった。ツアーが終わるのは残念だけど、家に帰れるのはうれしいよ。またみんなに会えるとうれしいな。


2004/01/08
100% Boyによると、ボーイ・ジョージとカルチャー・クラブの写真集が今年の4/1にドイツの出版社のSchwarzkopf & Schwarzkopfから出版されます。本は224ページ、300以上の写真が含まれてるそうです。著者はDidi Zillという80年代のカメラマンで、ドイツ語と英語で書かれてるとのことです。どうやら80年代のCCやジョージの写真がたくさん含まれてる模様。本は49.80ユーロ、もう予約ができます。

ドイツamazonの注文画面(ドイツ語)


2004/01/07
The Devil In...に12/18にPlaidで行われたボーイ・ジョージのギグの様子がアップされてました。この日はDJだったようです。それにしても、タブーもやってDJもThe Twinもやるジョージ。働き者です。


2004/01/06
1/5の続き

じきにすごく素敵な男性がクラシックの歌の本を持って現れて、ぼくたちの中で歌える人がチーズの皿をほじくってる人たちを楽しませてる間ピアノを弾いてくれた。ちょっとしたジャズセッションだったね。だってぼくはちょっと疲れてたし、牽引でジャズを歌えるんだからね。最近のポップスさえゆっくりになって、リズムに逆らって歌われたんだ。穏やかさが戻ったよ。

犬同士の争いにもかかわらず、とても穏やかなクリスマスだったし、霧の湖を見渡せる改造した小屋というセッティングは申し分なかっただろうね。

それから他の家族も自分のところで祝祭時期のドラマがあったと知ってほっとした。だってオダウド家がクリスマスの休みに集まると、一つや二つの話がいつもあるものだからね。

父が雪の中で親戚の男と殴りあいのけんかをしてる間、ママがディナーを盛り付けていつものようにしようとしたときに、かなうものはないよ。

ちょっと緊張状態にあるときに、ホストがひどくわびて出てくるのは典型的だね。でもこのケースではその必要はなかった。ぼくはコネチカットで楽しいときを過ごしたし、ぼくが実に楽しんだことをみんな確信してたよ。

ぼくの代理ママのLauraは料理の仕方やワインの選び方を知ってて、ぼくたちは(食べ物を)詰め込むことになったし、最終的には品よく酔っ払ったね。

それからともかく、できることといったら振り返って笑うことだね。クリスマスとドラマは切り離せないものだから。


2004/01/05
1/4のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

ぼくも刺激のあるクリスマスを夢見てるよ
(もう一方の)クイーンとぼくはかなり似たような祝祭のシーズンを過ごしたようだ。ここアメリカでは彼女の犬の災難についてはあまり取材されてなかったけれど、かなりわかってる通り、アメリカに影響しない外の世界からのことを聞けるのはラッキーだよ。ぼくは友達に常に知らせてもらうように頼らないといけないんだ。

ぼくはクリスマスの休みを友達の家族とコネチカットで過ごしたんだけど、素敵だったよ。ぼくは母にいい休暇をすごしてることを願って電話したんだ。「シンシナティはどう?」って彼女は聞いてきたよ。ママは歌の中で聞いたことのあるアメリカの名前を適当に選んだんじゃないかと思うよ。

ともかく、その日はうまく行ってたんだ。6匹家族のうちの2匹が取っ組み合いをすることになって、大変なことになるまではね。怪我した犬は獣医に連れて行かれて、逆襲がなされた。ぼくはユーモアで状況を軽くしようとしたけれど、うまくいかなかった。運が悪いことにこの手のドラマは自分が直接かかわってないときに特に面白いんだよね。これはぼくが動物嫌いということではなくて、動物は予測が付かなくて、特に犬はお互いをかみ合う傾向があるってことなんだ。

ゲストの一人は若い医者で、ぼくがちょっとたばこを吸いに庭に退散したあと、彼がそこできっちり制服を着てるのを見てびっくりしたよ。彼はちょっとERのジョージ・クルーニーになってて、実にいけてるカッコウだった。ぼくは彼が怪我した犬に手術するつもりだと思った。でも彼は単に救急病棟で夜の仕事をする準備をしてただけだったんだ。ぼくは自分が映画のセットにいる様な気分になって、Robert Altmanが現れて「カット!」と叫んでくれるのを半ば期待したよ。

ぼくはダッシュする医者にどきどきしたかもしれない。どんなユニフォームも実に興味をかき立てる。友人のポールは一緒にいたんだけど、医者が着るユニフォームは病院の外で着るはずがないとぼくに言った。だからそれは効果的に身につけられたもので、欲望的なものだと確信する。

ぼくは、冗談で足首をひねったと言ったけれど、無視されちゃったよ。他で楽しみを見つけないといけなかったんだ。

(続く)


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