フランス日記(フォワ賞編)

9日(木)

きょうは無味乾燥な1日だった…などと書き出せればいいのだが、神
様がどうもそんなことを許してくれない。朝イチから、いきなり風呂
場でアクシデント。この世で最もキライな、ゴキブリがドアを開ける
なり、こちらに向けて突進してきたのである。叫び声とともに後退し
たが、ドアのところに停滞しているゴキちゃん。しかし、おそるおそ
る近づいてよく見ると、ゴキブリではなく、クモだった。キライな方
には申し訳ないが、いたって
巨大なクモである。ただし、本体は小さ
い。脚がベラボーに長いタイプだ。そのため、ゴキブリのようにすば
しこい動きをしたから、こちとら誤解しちまったのである。言うまで
もないが、クモも大嫌いだ。夜も明ける前の目覚めから、貧血寸前。
本当にイヤになる旅である。
自転車を駆って調教場へ。しかし、変に近道をしようとしたものだか
ら、2度もヘンテコなところに迷い込んだ。もっとも、帰路を確認し
ながらだったので、何らトラブルにはならなかった。楽しみにしてい
た方には申し訳ない。かなり余裕を持ってホテルを出たので、カフェ
でモーニングとしゃれ込む。しかし、のんびりモーニングの予定が、
大幅に狂った。パリ・チュルフを買って、パラリとめくったその手が
怒りに震える。前日、寝過ごしたために買えなかった
ムーンドライバ
ーの単勝は、実に11.9倍! 連単は34倍
と記されていたのだ。
度重なるショックに自転車をこぐ脚も重くなる一方である。
好調なエルコンドルを囲む人々の表情はいたって明るく、その中にて
ただ一人陰鬱な表情を浮かべていることは、まことに心苦しい。その
理由について、陣営の通訳と運転手などを兼ねて同行している光野さ
ん(フランス在住。あらゆるフランス事情に精通している)に説明し
たところ「フランスではクモを見るのは縁起がいいとされているんで
すよ。馬券にしたって、ここでツキを使わなくて済んだと思えばいい
じゃないですか」とニコニコされた。なるほど、これがフランス流の
前向き思考というものだろうか。救われた気持ちになったが、馬券の
悔しさだけは、概算配当をはじき出して心の奥底に残っている…。
きょうも無事なエルコンドルを見届け、仕事も終了。午後はJRAパ
リ事務所へと向かうことにした。ホテルでタクシーを呼んでもらう。
「クワラフォレの駅(最寄り駅)まで行くので、タクシーを」とフロ
ントに告げ、待つこと15分。何とかこれなら予定の電車に間に合う
という時間に、タクシーは現れた。運転手はやけに明るいヒゲ面のオ
ッサンである。「さあ、乗れ乗れ」とばかりに車中へと誘われた。車
はいきなりハイスピードで動き出す。「クワラフォレ駅まで、お願い
します」。こちらの言葉に、オヤジは大げさに反応して、こうのたま
った。
「クワラフォレ? パリだろ、パリ。オレはそう聞いたぜ。冗
談言っちゃ困るよ、ベイビー」
。後半はやや意訳だが、間違いなく彼
はパリに行くつもりだったらしい。ここまできて押し切られても、な
い金は払えない。トーンを強くして「クワラフォレ駅まで」というと
オヤジは明らかにこちらがフランス語を理解していないのをいいこと
に大声でグチを言い始めた。たぶん、グチである。あの口調から察す
るに「ケッ、ふざけたヤマ踏んじまったよ。どーりでハナシがうまい
と思ったさ。こんなところからわざわざパリまで行くヤツもいねえか
らな。日本人だから、こいつは儲けモノと思ったのに、やっぱりだ。
クソッタレ、期待しただけバカを見ちまったよ」といったところだろ
う。想像力豊かなオレ様ではあるが、きょうの彼の言葉だけは、まず
大筋をハズしていないと思う。途中からおもむろに不機嫌になって、
口もきかなくなったオッサンは、駅で料金とともにわずかなチップを
与えたところでやや緩んだが、オレを降ろすと
駅の中までやってきて
駅員にまでグチっていた
。オレ、何か悪いことしたかなぁ…。
パリ事務所では、確定したフォワ賞のメンバーを会社に伝えた。そし
て事務所の方々と昼食へ。ここには、馬主さんなどを相手とするコー
ディネーターの北川さんもいらしていた。豪華なフランス料理をごち
そうになるというありがたい思いもできたのだが、ここでも事務所の
皆さんから「マナーはそんなに気にしなくていい」と指摘を受ける。
こーじさんも言っていたが、日本人が気にするほど、フランス料理は
堅苦しいものではないそうだ。ちょっといい店に入ったため、肩をい
からせて、事務所のO野さんの手つきを食い入るように見つめていた
ところ、そういう指摘を受けたわけである。ナイフもフォークも、何
でもOK。音を立てることだけはマズイらしいが、細かいことにこだ
わるのは日本人だけらしい。これで安心してフランス料理が食える。
ただ、ここフランスでだけのハナシだが。やけにマナーにうるさそう
な日本のフランス料理だから、ということもあるけど、
どのみち日本
でフランス料理食えるようなゼニなんかありゃしねえ
しな。ケッ。

バカな管理人をよそに、エルコンはきょうも元気! またブレてごめんなさい。

8日(水)

いま、この日記を風呂場で打っている。詳細は後述する。
きょうは、エルコンドルパサーのフォワ賞に向けた最終追い切り。実
に素晴らしい動きで、二ノ宮調教師も蛯名Jも絶賛していた。しかし
無事だったのはエルコンドルとその陣営だけの話で、こちらはまたも
大トラブル。写真が撮れなかったのである。むろん、技術が拙いのは
間違いないが、暗いのはどうにもならない。せっかく日刊紙系列では
ただ1社、取材に来ているというのに、追い切り写真ナシ…。何とも
情けない限りである。デスクに言い訳して蛯名Jの写真を送り、続け
て原稿も送信。こちらに来てからは、我が雑誌ではなく、新聞の仕事
ばかりしてきたが、我が雑誌のデスクから
「ヒマだろうから、仕事を
させてやろう」
というありがたい申し出があり、次週のオールカマー
に出走するダイワオーシュウの原稿も、二ノ宮調教師に話を聞いて送
信した。これが終わったのが11時半くらい。チェックアウトが12
時なので、何とか間に合ったというところだ。荷物をまとめ、タクシ
ーを呼び、次なるホテルへ。
二ノ宮調教師も宿泊したことがあるというホテルなのに格安だから、
さぞかし優れモノの物件かと思っていた。が、甘かった…。とりあえ
ず部屋に入った印象は、まるで問題ない。何の変哲もない普通のホテ
ルという感じである。実際、異変に気づくのは夕刻になってからなの
で、ここでも問題に触れるのはやめておく。時間を追っていこう。
とにもかくにも、最終日までのホテルに到着したやすらぎが訪れた。
しかし、これがくせ者だった。ついベッドに横たわり、つかの間の安
眠…のつもりが、気づいたら3時間も寝ていたのである。きょうは、
前走のドーヴィルで武豊Jが乗っていた超良血3歳馬が、すぐそばの
シャンティー競馬場でG3に出走するため、見に行くつもりだったの
だ。しかし、目覚めた時刻はレース5分前。いくら近くても、行ける
はずがない。父ミスタープロスペクター、母イーストオブザムーン。
聞く人が聞けば驚くばかりの良血馬ムーンドライバーだ。ちなみに、
母イーストオブザムーンはエルコンドルパサーの父キングマンボの妹
にあたる。しばらくして頭が覚醒してきたので、おそるおそるライタ
ーのH松さんに電話を入れた。
「うん、キミが言っていた馬、やっぱ
り勝ったよ」
。まあ、賢明な読者の方々なら、言うまでもないことな
のだろうが、これがまたまた事実である。明日の朝、パリ・チュルフ
を見るのが怖い。配当はいくらだったのだろうか。
ショックに打ちひしがれながら、クラウト厩舎に向かう。こーじさん
から、予定通り自転車を借りるためだ。タクシーを呼んで厩舎に着く
とほぼ同時に、こーじさんも到着。こーじさんは仕事があるので、こ
ちらはすぐに自転車を借りて厩舎を後にした。といえば簡単なのだが
実は大変な不安に襲われていた。何を隠そう、ホテルから厩舎までは
タクシーを使ったため、
戻る道など分からないのである。そんなに遠
くないことはよく分かっているのだが、閑静な高級住宅街の中にある
ホテル。道を聞く人もいなければ、目印になる店もない。来た道の方
角に、帰路を確認しながら進んでいく。果たして、方向音痴の自分が
無事に着けるのかどうか。迷ったら、誰に頼っていいのだろうか。そ
んな不安にさいなまれながら、フラフラと自転車をこいでいたら、な
んのことはない、
ホテルの看板が出ていやがった。すげえ不安だった
自分を嘲笑うかのように、分かれ道のたびに看板がある。バカヤロー
だったら最初から言ってくれ。誰もいねえけどさ…。
意味のない不安とストレスを受けたせいか、ホテルに帰ってから疲れ
が出た。さっさとHPの更新をして、寝ちまおうと思い、部屋の電源
を探す。なぜか、こちらの意図を察したかのように、ヒーターのコー
ドが抜けていた。おお、親切な。しかし、これが
だったのだ。プラ
グが入らないのである。つまり、ヒーターのコードは抜けていたので
はなく、入らなかったのだ。残る部屋内の電源はひとつ。これを抜く
と、部屋の電気スタンドが消えてしまう。こうして、いま、なぜだか
抜け切らない疲れの中、風呂場の電源を駆使してHPの日記を打って
いるわけだ。なお、このホテル、シャンプーもなければ、風呂場も風
呂オケはなく、シャワーのみ。何よりビックリしたのは、
ゴミ箱すら
ねえ
ことだ。どーなってんだよ。ここで思った。二ノ宮調教師が宿泊
したことがあるのは確かだが、常宿にはなっていないのである。ふと
見落とした落とし穴。こうして出張は続いていく…。

追い切りのかわりに蛯名Jの写真。動きを絶賛していました!

7日(火)

まずは取材。前夜からタクシーを呼んでおいたので、スムーズに調教
場に到着した。行く先をうまく告げられるかどうかがカギだったが、
目印のスーパーマーケットの名前を言っただけで通じ、ホッと一息。
エルコンドルパサーはいたって元気で、これまた一安心。あとは明日
の追い切りを済ませ、レースに向かうばかりといえるだろう。仕事を
終えたこーじさんとカフェで朝食を済ませ、ホテルに戻って原稿と写
真を送信。ひとまずはOKだ。JRAパリ事務所に問い合わせたとこ
ろ、明日以降の宿もキープできた。どうやら、宿無し生活などという
事態だけは避けられたようである。誰だ? そんなんじゃつまらない
というヤツは。といいつつ、自分も少しネタがなくなり寂しかったり
して。まあ、それはいまだから言えることであって、さすがにゆうべ
はビビりまくっていた。やれやれ。

またまたボケていますが、きょうのエルコン。右はクラウト師。

さて、原稿と写真送信を終えた午後は、パリに向かった。お世話にな
ったJRAパリ事務所への挨拶である。宿の予約の手違いを丁重に詫
びて下さるのだが、こちらこそ頼りっきりでのことだけに、恐縮する
ことしきり。しばし他の凱旋門賞有力馬の動向などを話してから、今
度はロンシャン競馬場へと向かう。クラウト厩舎の馬で、こーじさん
が調教をつけている馬が出走するためだ。しかし、着いたら締め切り
5分前。あわてて馬番だけ確かめ、おもむろに単勝と連単、合わせて
200F(約4000円)を投入した。結果は言わずもがなの完敗。
まあ、どこへいってもやっていることと、その結果は同じである。こ
こでよせばよかったのに、その後がいけない。競馬場はアッサリと後
にした。というのも、こーじさんが午後の厩舎仕事を控えているため
である。ロンシャンからともにシャンティーに向かったのは、某競馬
雑誌(仮にSラブレとする)の編集者Mさんと、その雑誌でライター
をやっているH松さとしさん(分かる人は分かりますね)なのだが、
このH松さんという人が悪い人で、ビリヤードやらサッカーゲームで
さんざんこーじさんから小銭をむしりとっているのだ。高校時代には
横浜駅から徒歩5分という立地条件を生かして、かなりやり込んだビ
リヤード。戦うのも時間つぶしには絶好とみて、厩務員寮のロビーに
あるビリヤード台で勝負に出た。好勝負は必至とみていたが、いかん
せん、ブランクが違う。連敗を喫して、早くも負債を抱える始末。な
らばと挑んだ単純
サッカーゲームでも、返り討ちに遭い、おもむろに
180フランを取られるハメに
…。まったくもって、納得がいかない
としか言いようがない。残されたリベンジの道はただひとつ。卓球で
あった。卓球台を囲んでの真剣勝負。編集者Mさんが「ウィンブルド
ンにいるようだ」と形容したほどの真剣、かつ手に汗握る熱闘が繰り
広げられたのである。21点マッチ、しかし、ここでも接戦の末、2
連敗を喫した。もはや後戻りはできない。周囲もあきれる汗だくにな
った(本当に汗がポタポタと落ちていた)3戦目を、ようやくジュー
スのうえで制して、度重なる連敗に終止符を打ったのである。さんざ
ん人から小銭を巻き上げたくせに、目いっぱい本気で悔しがるH松さ
んという人は、並々ならぬ負けず嫌い人間だ。今度やる時は、確実に
仕留めたいと思う。オレも負けず嫌いなのだ。借りは返す!
さて、夕飯はきょうもこーじさんと2人。クレープ屋に行った。クレ
ープというと、日本ではお菓子のイメージしかないが、こちらでは立
派な食事のメニューでもある。しかし、食前酒のシードルでしたたか
に酔っ払いつつあった自分は、クレープのつもりで頼んだサラダに打
ちのめされ、さらにデザートのつもりで頼んだ今度のクレープは、ヘ
ロヘロに酔っていたからフルーティなものを頼んだのに、
かなり強い
オレンジリキュールがかかったカクテルクレープ
だった。酔っ払いが
ますますヘロヘロになって、こんな駄文を書いているというわけであ
る。うい〜。オレは寝るぞ。明日は正午までに取材したものを原稿に
して、ホテルからホテルへのお引越しだ。また何か起きるのかなあ…

6日(月)〜初日からいきなり波瀾万丈〜

いよいよ3度目のフランス出張が始まった。しかし、今回は過去2回
と大きな違いがある。「ひとり旅」ということだ。今までは、他社の
記者さんたちと行動を共にして、宿泊先もパリだった。しかし、今回
は誰も来ない。したがって、パリに宿泊する必要もあまりなく(とい
うか、かえって不便)、シャンティーに宿を構えることにした。人に
気を遣わないということは、なかなか楽なものである。
さてさて、行きの飛行機。パネルクイズ・アタック25でも有名な、
エールフランス(分かる人、いますよね)の275便。乗客はほとん
どが日本人だ。オレはC席。大好きな通路寄りの席である。ラッキー
だ。しかし、一抹の不安はあった。窓側のAB席がカップルで、通路
を挟んだDE席もカップルなのである。イヤな予感はしていた。
なにげなく飛び立つ飛行機。寝不足のため、すぐに眠りに落ちたが、
食前酒の声をかけられて、目が覚めた。酒は飲まないが、ジュースを
もらう。おとなしい左のカップルはともかく、通路を挟んだ右のカッ
プルがやかましい。なんと、食前酒のワインをあらかじめ2本ずつも
らうという強欲ぶりだ。飲む前から騒いでいるくらいだから、飲んだ
後のことを思うと気が滅入る。案の定、周りはともかく、隣のこっち
にはやかましくなってきた。まずい機内食(オレ的な味覚なので、エ
ールフランスがまずいということではない。念のため)を適当に食べ
て、再び寝る。
そして起きたら、状況が一変していた。左のカップルが、
ベタベタし
ていやがった
のである。肩に頭を乗せる、これは許そう。胸までしな
だれかかっても、まだ許す。しかし、
膝枕もどきで下腹部に寝るのは
よせ!
 どうみてもいかがわしいんだよ、てめえら。ギャー、くやし
い! ムカつく! 許せねえ。ここは日本だぞ、と言おうと思ったが
違ったのでやめた。いずれにしても、右のカップルに腹を立てていた
ら、見当違いのヤツらにしてやられた。延々と。しまいにゃ、チュー
し始めやがったよ。ちゅーだよ、チュー。どういうことよ?
日ごろのてめえの行状を棚に上げて、許し難い日本のバカップルども
に怒りを覚えながら、シャルルドゴール空港に到着。多少、遅くなっ
たが、手荷物も無事に受け取り、いざ、タクシーへ。乗り場は混雑し
ているというほどでもなく、さほど待たずに順番が来た。手招きする
のは、東洋人系の運転手である。これは心強い。しかし、ここにも大
きな落とし穴が掘ってあった。
「パリじゃないのか?」。たぶん、そ
んなことを彼は言ったのだろう。物見遊山で遊びに来た日本人アンチ
ャンをパリまで連れて行く、そんなつもりだったに違いない。こちら
がシャンティーと告げると、運ちゃんは露骨に困惑の表情を浮かべ、
こちらの持つ地図をひったくるように奪い取って、食い入るようにな
がめ始めるのだった。春に2度も行っているのだから、オレも覚えて
いればよかったのだが、自信がない。プロに任せれば、とりあえず地
図もあることだから大丈夫なはずだ。そう思っていたが、甘かった。
いくら記憶力が弱いオレでも、
高速の出口を間違えたことくらいは、
気づいた。そこから何もない農道をチンタラ走ること数10分。しか
し、こちらにとっては数時間にも感じられる時間だった。ようやく、
ホテルに到着。普通に空港からシャンティーまでならば300F(6
000円)もあればいいものを、400F取られた。まったく、とん
だスタートである。
だがだがしかし、皆さんの期待を裏切らないのがオレだった。自分で
もイヤになるくらい、エンターテイナーだと思わずにいられない。ホ
テルにチェックイン。やっとの思いで長い1日が終わる…はずだった
のに、話が違ったのだ。「ミスター・パカラン(一応、本名は伏せる
ことにした。まるで無意味だが)様。
1泊で承っています」。
ち、ちょっとまて。ボクはフォワ賞の取材に来ているので、7泊する
つもりなんだけど。とにかく1週間頼む、と交渉したが、どうやらダ
メらしい。予約を頼んだJRAパリ事務所の方に電話をかけ、交渉し
ていただいたが、その甲斐なく、2泊しか取れないことが決定した。
2泊したら、
いきなり宿無しか?
もろもろの不安を抱えつつも、唯一の心のより所であるエルコンドル
パサー担当の佐々木調教助手(こーじさん)と夕食に。コトの顛末を
話したりしながら、中華料理を食べた。実は、自転車を貸していただ
く予定だったのだが、シャンティーに泊まりつづけられるかどうかも
微妙になってきたので、とりあえず延期。食べても落ち着かないこと
この上ない。波瀾万丈のスタートで、1日目が暮れていく。

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