フランス日記(フォワ賞後編)

13〜14日(月〜火)

前夜の帰宅から、さほど寝ないで厩舎へ。エルコンの無事を確認す
ることと、こーじさんに自転車を返すことが目的である。厩舎に着
いてすぐ、こーじさんが入り口近くに寝藁の処理に来たので、あい
さつするとともに、無事を確認。自転車の返却も済ませた。二ノ宮
調教師にもお礼を済ませて、いざホテルへ。しかし、そう簡単には
終わらない。なにせホテルと厩舎の往復はずっと自転車で行ってい

たもの。これを徒歩で行こうというのだから、穏やかではない。か
なりのスピードで自転車をこいで13分。歩いたら…と思うと気が
遠くなるが、タクシーを呼ぶにも呼ぶだけの語学力がないため、徒
歩を決意したのだ。のこのこ歩くこと15分ほど。パン屋でクロワ
ッサンを買って食べながら歩いたら、イヤな予感は的中した。雨で
ある。しかし、雨は
になり、になった…。大雨である。何
とも最後までたたられっぱなしだ。ほうほうの体でホテルに着いて
ようやくチェックアウト。タクシーも、普通の兄ちゃんが運転手で
空港に到着し、飛行機に乗った。
ロクに寝られないまま、日本に到着。隣のフランス人はフレンドリ
ーな学生タイプで、自分が通路沿いの席だったのだが、外に出るた
びに「何か飲み物でももらってきましょうか?」と聞いてくれるの
であった。うれしいが、そこまで親切にしてくれんでもええよ。と
まあ日本に着いて、さっさと会社に行き、お土産を置いて自宅に戻
る…その途中のことだ。横須賀線の車内に乗り込んできた
バカカッ
プル
、てめえら、行きの飛行機のヤツらの比じゃねえぞ。オレの隣
に女がすわり、男はその前にしゃがみこむ。耳のピアスが目障りな
オトコだ。それだけならまだ許せる。し、しかしだなあ…。
スカートにアタマ突っ込むのはやめろ!!!
もう、何が何だか分からない疲れを味わって、帰宅。最後のは特に
響いたよ。若いって、何でもアリなんだね…なわけねえ! 誰か、
ヤツらに天誅下して下さい。お願いします。

12日(日)

「ねえ、クロちゃん」
上の言葉には、少々のことでは驚かなくなった自分も、驚いた。ま
あ、これが何なのかは後述する。
レースの結果、内容は写真でも紹介しているし、テレビや新聞でご
覧になった方も多いと思うので、あえて触れない。おめかしして競
馬場に行き、レースを見届けて、写真も撮り、仕事も終えた。サガ
ミックスが取り消した段階で、エルコンの単勝オッズは1.1倍。
あまりの情けなさに、ギャンブルする気力は萎え、クロコルージュ
との1点勝負をもくろんで持ち込んだゼニも、そのまま財布の中に
しまわれた。おかげさまで助かりました。サガミックス様々です。
レースも仕事も終えて、いざ帰ろうとした時のこと。荷物をまとめ
て競馬場の出口に向かうと、関係者の皆さんが今回訪れた数少ない
マスコミ(雑誌、テレビ、ラジオ系の人々)と談笑中だった。その
輪に加わって話していた矢先に、輪の中心にいたNノ宮調教師から
出た発言が、冒頭のもの。ちょっとした話の相づちだったのだが、
ビックリ仰天だ。決してマスコミと友好的な部類には入らない方の
言葉だけに、ちょっと感動。名前を覚えられたのも、この3度の遠
征になってからだから、なかなか頑張った甲斐があったんだなあ。
もっとも、言葉は相変わらず厳しい。「文章まとめるのは苦手でも
引き伸ばすのは得意でしょ」「この人たち(マスコミ)は、いつも
同じことばかり聞くんだから」。ただ、あまり悪意は感じられない
のである。こっちも調子に乗って「じゃあ、ダイワオーシュウの替
わりに、ダイワレインボー(5歳未出走)の話でも聞きます」とか
「先生、帰りの飛行機、席替わって下さい」(もちろん、調教師は
ビジネスクラス)などと応酬。非常にフレンドリーな表情に、喜び
の度合いが感じ取れた。先生、美浦でもこの調子でお願いします。
渡辺オーナーからT橋N子さん(我が雑誌の家庭馬報でおなじみ)
経由で「来い」とのお誘いを受けて、サンクルー大賞典の時に続き
祝勝会に招かれた。あれこれご迷惑をかけた上での招待を受けて、
本当に感謝の言葉もない。オーナーには、イスパーン賞の前にイン
タビューをした際に、ご夫人の実家が我が家から徒歩10分くらい
の距離にあるということなどで覚えていただき、あれこれと声をか
けていただいている。今まで食べたこともないような、おいしい貝
類(もともと魚介類はキライなのだが、別格だった)に感動。しか
し、ここまできたら、
ぜひ、3度目もお願いします! このときの
様子も写真に撮りたかったが、さすがにあまり大人数ではなかった
ので、控えた。とにかく、ハッピーな時間を過ごさせていただいた
ことを、関係者の皆さんに感謝したい。ありがとうございます。

11日(土)

朝、無事にエルコンの最終調整を見届け、ホテルに戻り、仕事を無
難にこなしてきた。前日のゴンちゃんとの会見がうまくいっている
ため、仕事ははかどる。写真もまずまずのものが撮れた。ここにき
てフリーカメラマンのSさんに技術を学んで、多少なりとも上手に
なったように思う。今からレースが楽しみだ。なにせあのサンクル
ー大賞典がウワサの
油絵になっちまっただけに、リベンジを果たさ
ずにはいられない。必ずいい写真を撮るから、頼むぞ、エルコン!
で、昼ご飯はこーじさんとピザ、パスタ屋へ。ここまできて、特に
レースについて話すこともない。とりとめもない話を続けて、「じ
ゃあ、明日、競馬場で」といわれたので「ウィナーズサークルで」
と返事してお別れ。写真なんぞの問題は別次元で、レースが非常に
楽しみである。

写真のミスではありません。早朝の霧に包まれたシャンティーです。幻想的!


調教が終わって、厩舎に戻るエルコン。こーじさんも自信ありげな顔つき!

さて、午後は本番のライバルと目される馬たちが出走する愛チャン
ピオンSを見に、シャンティー駅前のPMU(場外発売所)へ。デ
イラミとロイヤルアンセムの一騎打ち、という前評判だったが、掲
示板にも書いたように、ケタ違いのレースとなってしまった。ロイ
ヤルアンセムは、逃げ馬不在のメンバーにあって、押し出される形
で逃がされ、挙げ句の果ては、まるで勝負圏外と見られているマイ
ラーのロードオブメンに執拗に絡まれてしまい、4コーナーで手応
えがなくなる。少し離れた3番手でそれを見ていたデイラミは、そ
の4コーナーで早くも内から先頭。デットーリJが豪快に追い出す
と、後続との差は見る見るうちに広がっていく。結局、2着の馬が
何なのかまるで分からないまま(というか、分かっても本番への意
味はない着差)、ゴールイン。掲示板にも書いたとおり、デットー
リJは、残り100m付近で後続を確認すると、わざわざムチを持
ち直して、右手を前に突き出したまま、その100mくらいを独走
し続ける驚異のパフォーマンスを見せ付けた。心のどこかに、凱旋
門賞も楽に勝てるのではないかと思っていた自分としては、さすが
に甘くなさそうだと感じ入った次第。明日のモンジューのレース次
第では、エルコン、デイラミ、モンジューという、素晴らしいメン
バーによる凱旋門賞が見られるかもしれない。胸が高鳴る。
いざ、明日はフォワ賞。さすがにきょうは、特に面白いこともなか
った。心置きなく(ちょっとかゆいが)明日の仕事に臨める。願わ
くば、皆さんには、珍道中などより楽しい報告ができんことを。

追伸。そういえば、PMUでは500Fやられました…。

10日(金)

かゆい。体のあちこちが猛烈にかゆいのである。ダニか、ノミか。
この際、犯人がどいつだろうと構わねえのだが、これは人災だ。ホ
テルの怠慢以外の何モノでもない。体のいたるところ、巨大に腫れ
上がってかゆみを覚える点が多数。どーなってるんだ、全く。
きょうは落ち込むできごとがあって、朝からブルー。もっとも、失
敗を反省して人間は成長するものと信じているので、これはこれで
今後の糧とすればよい。しかし、糧にしようのないこともあった。
再びパリへ向かうべく、ホテルでタクシーを呼ぶ。ほどなく現れた
タクシーからは、あの声が、あの顔が、こちらに向かって呼びかけ
てきた。「
ボンジュ〜ル、ムッシュー!」。そう、昨日のオヤジだ
ったのである。狭い町で、同じホテルからタクシーを呼べばこうな
ることは、ある程度分かっていたが、この失敗を繰り返すとは…。
しかし、きょうのオヤジは違った。「ああ、分かってるよ。シャン
ティーの駅だろ? まかしとけ」。どうやらフロントがきっちりと
説明してくれたらしい。よく考えれば当たり前のことだが。オヤジ
は相変わらず延々と独り言を大声で言っている。きょうはグチでは
ない。「オイ、兄ちゃん、シャンティーだ。シャンティーはいいと
ころだぜ。パリに行くのか? パリもいいところさ。ワッハッハ」
てな感じ。めでてえオヤジだ。あんた、幸せだろうな。少しオレに
分けてくれ。やや真剣にそう感じた。
さて、この日パリに向かったのは、インタビューのためである。イ
ンタビューの相手は、競馬専門紙「パリ・チュルフ」の編集長、ジ
ャン・ノエル・ゴンティエ氏。我が雑誌にフランス競馬の連載をし
て下さっている方である。気さくな方だときいているが、なにぶん
初顔合わせ。しかも、先方の編集部におしかけるのだから、緊張せ
ずにはいられない。せめて多少なりとも英語ができればいいのだが
ほとんど中学生レベルから進歩なし。受験生の頃には、英語が大の
得意科目だったのだが、こんなもんは錆びついちまった。取材のア
ポは自分で取るつもりだったのだが、JRAパリ事務所の秘書の方
(かわいいフランス人女性♪)が引き受けて下さった(あまりに頼
りないので、半ば無理にやってもらったような気もする)ため、ま
るで話をするのも初めてだ。「おう、おまえさん、その程度の語学
力でここに来るたぁ、どういう了見だい?」などとスゴまれたら、
どうしたらいいのだろうか。そんなことを考えながら、タクシーで
編集部ビル前に到着。すぐに事務職っぽい女性の方に案内されて、
ゴンティエ氏とご対面できた。「オ〜、ジャポネ〜!」。抱き着き
こそされなかったが、かなりの歓迎ぶりである。名刺を見せると、
「G誌で働いているんだな。オレも同じだ」と笑う。こちらが話す
までもない。聞きしに勝るフレンドリーさだ。取材の内容は新聞や
雑誌に出るのでそちらを見ていただくとして、印象深かったのは、
「ユースピーク、グッドイングリッシュ」(キミは上手な英語を話
すね)のセリフである。
「てめえ、イヤミか、それともバカにして
んのか?」
。思わずそう口走りそうになってしまいました。ボク。
母が英会話(有名なE○C)講師という良血でありながら、ロクな
英会話ができないオレ様に対して、そのセリフはねえだろう、と思
うのだが、どうも心の底から誉めているような感じだ。まあ、ひと
言でいえば、
生まれ持った誠意が通じたということだろう。ゴンテ
ィエさんは人を見る目がある。しかし、その直後…。うまく意志を
伝えられず、モゴモゴしていたら「イナフ」(もう十分だ)。まあ
日本流で言えば
「皆まで言うな」ってなもんである。人の質問を途
中でさえぎりやがって、と思ったら、きちんと答えはこちらの質問
に対するものとなっていた。何とも複雑な気持ちにさせられたが、
結果としては実にいい話を聞けたし、有意義な時間だったと思う。
ありがとう、ゴンちゃん!←殴られるぞ。
↓こちらがゴンティエ氏

で、ちょうど夕刻になったので、JRAパリ事務所におじゃまして
夕飯へ。前日はごちそうになったので、今度はこちらが、というわ
けだ。宮内所長の案内で、ちょっと離れた日本料理屋に行ったのだ
が、これがメチャメチャうまい。しかも前菜とメーンとデザートが
ついてたった100F(2000円)。こちらではケタ違いの安さ
である。味が悪いならともかく、日本でも十分に上質の部類に入る
刺し身定食。久々の日本食がうれしかった。そしてその後は、カラ
オケスナックへ。その名も
「あなぐら」。日本人女性が働いている
憩いの店である。夜9時の入店で、客は他にいない。のんびりしよ
うと思っていたら、おもむろにお隣の国の方々が多数ご来店した。
お隣の国とは、日本におけるお隣の国で、ハングルを駆使する人々
である。確か、7月に来た時にも、あのグループがきていた。異常
にノリのいいコリアンだったはずだ。すでに彼らが来るまでに、あ
まり飲めない酒を珍しく飲んでいたため、酔いも回っていたが、ヤ
ツらはなかなかやりやがる。エンターテイナーなのだ。こうなると
負けてはいられない。マイク片手に歌を歌いながら、彼らの席まで
行き、握手して回った。もう
完全な酔っ払いである。もっとも、彼
らは大喜び。特にノリのいいヤツ(ヤツとか言ってるが、みんな4
0代くらいの年配の人々である)が、オレ様に負けじとイスに乗っ
て歌うわ、ホステスさんにチークダンスを求めるわで、わけの分か
らない盛り上がりをみせた。言うまでもなく、飲めない酒を飲んで
ベロベロ。その結果が、この更新遅れとなったわけである。
帰りはタクシー。ここでも英語が通じないため、パリ事務所の荻野
さんが運転手と交渉してくれた結果、何とか行けそうだということ
で、この身を任せることにした。非常に人のいいジジイで、英語も
まるで話せないが、身ぶり手ぶりで意思疎通を図ってくれる。安心
したせいか、ついウトウトしてしまったが、ふと目を覚ますとそろ
そろ見慣れたシャンティーの付近。しかし、料金メーターに目をや
ると、何とまだ300Fを少し超えた程度でしかない。細かい道を
こちらもジェスチャーで伝え、ホテルに着いたら348Fだった。
分からない方のために解説すると、パリからシャンティーに行くの
は、北に向かって進むわけだが、その途中に、シャルルドゴール空
港があるのだ。パリからシャンティーに着いて348F。というこ
とは、やっぱり、
初日の420Fていう金額は、やっぱりとんでも
ねえボッタクリ
じゃねえか!!! あまりにシャクなので、人のい
いジジイに400F渡してオツリをもらわなかった。ジジイは大喜
び。こっちは顔で笑って、心で泣いた。初日の東洋人、
金返せ!

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