フランス日記

(1)

17日(月)
 初めての欧州取材。期待に胸をときめかせて、意気揚々と出発…
てな具合ならばいいのだが、世の中そうは問屋が卸さない。今回の
メンバーは、朝刊スポーツ紙6紙と、夕刊1紙(ここはカメラマン
含む2人)の計8人。しかし、このメンバー中で、出発前日のNH
KマイルC当日に働いていた人間は、オレ以外ゼロである。つまり
ギリギリまで働いたうえでの海外出張だ。サラリーマンの鏡としか
いいようがあるまい。
 しかし、しかしである。まあ、こちらの不手際もあったのだが、
午後7時に最後の原稿を確認して終わってから、会社に行くハメに
なっていたのだ。現地で使用する会社のデジカメでまだやらねばな
らないことがあったからなのだが、会社に着いたらすでに午後9時
である。もろもろやって1時間。その午後10時からさらにデスク
の注文が入り、会社を出たら日付が変わる寸前だった。ちなみに成
田エクスプレス乗車は午前7時半の予定。帰宅と同時に寝ても、5
時間半しか睡眠ができない計算である。それならまだマシなのだろ
うが、驚いたことにオレは荷物の準備がまるっきり整っていなか
ったのだ。
 まさしくフラフラの状態で成田に到着。しかし、どうせこの時期
だから、フランス行きの飛行機など空いているに違いないとタカを
くくっていたのが大間違いだった。今の時期こそ、とばかりに航空
会社が組んだ(としか思えない)格安ツアーの客で機内は満員。お
まけに3人席の真ん中に位置する最悪の展開が待ち受けていたので
ある。12時間のフライトだったが人一倍、いや人百倍くらいナイ
ーブにできているオレさまにとってグースカ寝られるはずがない。
結局、途中30分くらいしか眠れないまま過ごすことになってしま
ったのだ。
 ところで、疲れを感じる人間のために、ストレッチの映像が機内
に流れたのだが、この時の様子は異常である。まるでどこぞの新興
宗教団体のように、全員がヨガを彷彿とさせるマッサージの動きで
一致。怪しいことこの上ない。むろん、他に迎合することを嫌うオ
レは、この動きを冷ややかに見詰めていた。どいつもこいつも、簡
単に躍らされやがって…。まあ、言うまでもないことだろうが、着
陸寸前に同じビデオが流れた時に、オレがたった一人でその動きを
やっていたことはヒミツである。
 そんなわけでパリ・シャルルドゴール空港に着いた時には、怪し
いマッサージの効果もほとんどなく、疲労困憊。すぐにも寝たい気
持ちにかられていたが、JRAのパリ事務所の方が出迎えにきて下
さっていて、ホテルに荷物を置いてからパリ事務所にご挨拶にうか
がったのである。宮内所長以下の温かい歓迎の中に、長身のヤング
が2人。横山義&西谷の両ジョッキーだ。横山義Jは顔見知りでも
あり、競走中止したビクトリーアップの話をした。おそらく競走馬
としての再起は難しいと。残念そうな表情は隠し切れないし、こち
らも辛かったのだが、日本でレースを見た者として伝えるだけ伝え
た。「またこれから頑張ります」と誓う彼に、さらなるいいパート
ナーが現れることを祈って止まない。
 で、夕飯は記者軍団で中華料理屋へ。不覚にも途中から眠ってし
まったが、ギョーザがうまかったという記憶はある。
 ホテルに戻って、あとは通信機器のテストをしたら寝るだけとい
うところになったのだが、やはり神は許してくれなかった。全く通
信ができないのである。日本に何度となく電話をかけ、会社の諸部
署に問い合わせても原因は突き止められない。悪戦苦闘の末、午前
2時を過ぎたところで断念。翌朝の出発は5時半だというのに、そ
れから寝たのだ。もちろん、通信テストができないままでは困るの
で、目覚ましを4時半にセットして、就寝。まことにもって順調な
スタートを切った1日だったのである。

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