フランス日記

(2)

18日(火)
 フランスにきて、本当によかった。今までアメリカ、香港、オ
ーストラリアと経験してきたが、ここまでの感慨にふけったこと
はない。不覚にも、涙を浮かべてしまうほどの感動だった。
 競馬が好きでこの仕事をやっているが、競馬に負けないくらい
好きなのが海外の自転車レースである。競輪も好きだが、これは
並々ならぬ想いがある。ツール・ド・フランス。皆さんも耳にし
たことくらいはあるだろうが自転車レースの世界最高峰に位置す
るレースである。時には死者も出るほどの過酷な戦いを3週間に
わたって続け、最後まで脱落しなかった者だけがたどり着くシャ
ンゼリゼのゴール。もうほとんどの順位が決定して、最終日は顔
見せ興行的な部分もあるのだが、それを迎える鈴なりの観客は惜
しみない声援を送る。その光景こそ見られないが、競馬の頂点で
ある凱旋門賞と同じく、凱旋門に通じるシャンゼリゼ通りは自転
車レースの頂点に達した者たちだけの栄光だ。その栄光の土地に
足を踏み入れた感動…。知らなかったが、凱旋門は頂上まで上る
ことができ、そこから見たパリの景色…。言葉に出せなかった。
涙が浮かんできた。思わず口を衝いた言葉が、冒頭の「フランス
にきて、、本当によかった」なのである。かなうことは難しいだ
ろうが、いつの日か、生でツールを見てみたいという想いを強く
した。

間近でみる凱旋門。門の上に多数の人影がいるのがお分かりでしょうか。
   ◇
 さてさて、感動はこのへんでおしまい。この日のことを書くに
は、あまりに長くなり過ぎる。しかし、書かねばならないことば
かりでもある。使命感にかられつつ、キーを叩くことにしよう。
 まず誤解のないようにしたい。日本との時差の関係上、今回の
我々記者の仕事を整理させてもらうと、午前5時半にホテルを出
発する。約1時間で調教場に到着。これは、厩舎地域のあるシャ
ンティーでは、通信などに適したホテルが少ないからであって、
パリ地域に宿を取る方が便利だからである。遊びやすい土地だか
ら、という理由もなくはないのだが。まあ、そんなわけで朝から
長旅を終え、約2時間くらい取材をすると、午前11時くらいに
ホテルに戻る。帰りは交通渋滞のため倍近く、あるいは倍以上の
時間がかかるためだ。日本との時差は、遅れること7時間。新聞
社の締切りは、だいたい午後7時だから、約1時間のうちに、取
材した原稿を打ち、撮影した写真を送る必要があるわけだ。当然
時間との戦いになる。
 これが無事に終わると、とりあえず仕事は終わりだ。「なんだ
と〜諱@そんなに楽をしていやがるのか」と言うなかれ。午後を
どう過ごすかによって、その後の原稿の内容に違いが出てくるの
である。例えば、フランスの競馬専門紙の編集長にインタビュー
をし、エルコンドルパサーやサンデーピクニックの印象を聞く。
例えば、近隣の競馬場で騎乗しているペリエの元に行き、同じく
取材をする。こんなことを午後にやることで、翌日以降の原稿に
ふくらみが出てくるわけだ。まあそんな立派な原稿は書けていな
いのだが。
 で、普通はそういう午後を過ごさねばならないのだが、取材先
とのコンタクトを取った結果、この日の午後はフリーになってし
まったのである。だから「やっぱり楽をしていやがったか」と言
われれば、この日はズバリその通り。申し訳ない。だが、せっか
く来た外国の地。少しは楽しんでもバチは当たらないと思わせて
いただきたい。
 そこで、徒歩でパリの街を楽しむことにした。N刊スポーツの
T、DスポーツのW、そして夕刊紙TスポのカメラマンK、3人
はいずれもオレより2歳年下で、いわば若い衆が揃ってお上りさ
んになったわけである。特にTとWの2人は、日ごろからトレセ
ンでもギャンブル仲間であり、気心は知り尽くしている仲だ。し
かし、いきなりチュルリー公園でおバカなポーズを取ろうとする
Tを冷やかしたあたりから、暗雲が立ち込め始めるのであった。
 凱旋門を目指し始めて歩くこと10分ほど。暖かい日差しの中
でアイスクリームを売っているお姉ちゃんに出会う。「アイスか
…」と感じたのは4人揃ってのことだった。ここまでは普通であ
る。しかし、「アイスジャンケンかぁ?」とTが口走った。お分
かりと思うが、アイスの代金を賭けてジャンケンをしようという
企画だ。オレは心の中で思った。「たいがい、こういうのは言い
出しっぺが負けるんだよな」。案の定、負けたのはT。ぶつくさ
文句を言われながら、残る3人はアイスに舌鼓を打つ。
 ツタンカーメンの金ぴかな衣装を身に纏ったパントマイマーや
万国共通で座り込む乞食などを見ながら、公園近くを歩く。池の
周りに置いてある椅子がとてもおしゃれで、そこに思い思いの格
好で座っている人々。まさにパリ…。そんな想いを抱いたのだが
よくよく考えて思った。おめえら、何だって昼間っからグータラ
してやがるんだ? まあ、休みの日に昼間からパチンコやってい
るどこぞのバカと同じか、と思うと許せたが。

ツタンカーメンのフリをしているバカなパントマイマー。2人もいやがった。


 この日最大のハプニングはこの後に起こった。しばらく歩いて
いたら、おもむろに声をかけられたのである。
「アーユーチャイニーズ?」
 声をかけてきたのは東洋系の女性。年の頃は30代半ばという
ところだろうか。自分たちは日本人であることを告げると、おも
むろに哀願の表情を浮かべ、こういうのである。「ヴィトンの店
に行ったけど、ワタシは中国人だから1つしか売ってもらえない
んです。アナタたちは日本人だから、買えるはず。全部で4つ欲
しいのに、1つしかない。どうか買ってきてくれませんか?」
 どこか胡散臭いと感じずにはいられなかったのだが、Kカメラ
マンは義侠心が厚く、快諾。ところが、何とその女性は、まだ店
までかなりの距離があるのに「お金は渡します。ここで待ってい
るから、買ってきて下さい」というのだ。「このまま金を持って
トンズラしたら、どうするつもりだよ。信頼しすぎだぞ」とコソ
コソ語り合って、仕方ないからTを人質に置くことにした。かわ
いそうな中国人の手助けなのだ。どうせ時間もないわけではない
し、このくらいのことはしてもいいだろう、と。
 そしてオレらは、入ったこともないルイ・ヴィトンの店に入り
女性が指定したバッグ(ダニューブ)を3つ買いたいと店員に告
げた。だが「あいにくですが、1つしかありません」。Wが金を
出し、現物を受取る。サインをしたが、店員は日本での住所や、
宿泊しているホテルなどをしつこく聞いてきた。まあ、手の込ん
だことだ…。とその時は思っていたのだが。この話の続きは時間
を先取りして教えよう。
 この日の夜、JRAパリ事務所の方々と食事をとった時のこと
だ。街中で声をかけられた、という話をしたところ、「ああ、そ
れですか」と切り出され、以下はオレらを見てきたかのように話
をされた。いわく、中国人グループによる、集団密輸作業の一端
なのだそうな。Wは図らずも密輸の片手間を担ったことになる。
警察の皆さん、DスポーツのWをパクってやって下さい。ちなみ
にWは「あれがニセ札か何かで、後からホテルや日本に乗り込ん
でこられるかと思っていた。それに比べればいい」。なるほど
ごもっともだ。
 で、この騒動のために1時間近く時間を取られたが、目指す凱
旋門は徐々にその姿が大きくなってくる。7月のゴールの日に生
き残ったヒーローたちの自転車が走り抜ける通りを、一歩一歩進
んでいく。そのうちに、のどが渇いてきた。「ジャンケンだろう
?」。言うのはもちろんT。前回の負けを取り返したいという意
図はミエミエだ。オレはKカメラマンとWに告げた。「負けるの
は誰だか分かっているんだけどな」。で、当然のごとくTが負け
た。こうなることは火を見るより明らかである。マクドナルドの
飲み物だから、大した出費ではないのだが、Tの悔しがる姿はい
つみても心地よい。しかし、オレ以上に喜んでいるのがTの悪友
であるW。「オラオラァ、片づけるのも負けたヤツの仕事なんだ
からよお」とトレーに空の紙コップを力強く叩きつけた。ちょっ
とやり過ぎだ。Tもさすがに「許さないからな」とつぶやいた。
ここでもオレは口に出して予言した。「やり過ぎだよな。次は
アイツの番だ」。
 そして、オレたちはついに凱旋門に到着した。見上げるほどに
感動が押し寄せてくる。ツールのヒーローたちが凱旋してくる地
でもあるが、競馬にかかわる者としても、凱旋門賞の名にあると
おり、頂点をイメージさせる憧れの地である。近づく最中に気づ
いたのだが、人間が門の上まで上れる仕組みになっているようで
「これは上るしかない」と4人は一致。かくて凱旋門の真下にた
どり着いた我々は、その方法を模索したが、そこには張り紙があ
った。
「エレベーター故障中」
 ご丁寧に日本語である。仕方ないから階段で上がろうとしたと
ころ、一人当たり40フラン、約800円が料金だという。「当
然だよな」とT。Wも応じて、いざ4人の勝負となったのだが、
またも予言どおりWが負けた。馬券もこれくらい当たるといいん
だが。
 上での光景は冒頭にある通りだが、300段近い階段の上り下
りで疲れた我々は、時間も押しているため、地下鉄で帰ることに
決めた。まあ、これも言うまでもないことだろうが、この切符の
支払いをジャンケンでと提案したTが、結局またしても4人分負
担している。


これも間近の凱旋門。前を行く3人は左がT、真ん中がW、右はKカメラマン。


凱旋門の上から見た景色。涙が出るほどに感動した。


 ちなみにこの日のシャンゼリゼ通りでは、Tがナンセンスなハ
ッタリ野郎に一発カマされていた。すれ違いざまに、野郎はTの
肩をトントンと叩いて足元を指差す。そこには紙幣が落ちていた
のだが、次の瞬間、野郎が糸を引っ張って、その紙幣をヒラヒラ
と持っていったのだ。何のために…と思いつつも、世界中、いろ
んなバカがいるものだと感心。
 とにもかくにも、疲れ切った1日は、競馬会パリ事務所の方々
との晩餐を経て、終わっていったのである。ちなみにその場で爆
睡していたのばボクです。すみませんでした…。

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