復活の世界 Faile 11 「トリノ・オリンピック考」

拙宅の近くの駒沢通りの陸橋には、つい最近、2016年のオリンピックに、東京都が立候補するという横断幕が掲げられるようになりました。そこで今回は、旧HPからオリンピックについての原稿を発見しましたので、転載することにいたしました。今回はトリノ・オリンピックのことが素材になっておりますので、そのつもりでお読み下さい。

冬季オリンピックが終わって、いよいよこれからは、サッカーのワールド大会の話題が多くなっていくことでしょう。そこでその前に、改めて考えることがあります。 とにかくスピーディに時代が進んでいくので、きっともう冬季オリンピックの話などは、ほとんど記憶からも遠ざかり、話題にもならなくなっているかも知れませんが、敢えて書くことにしました。

とにかくフィギュアスケートの、荒川静香選手の成し遂げた成果については、ただただ賞賛の言葉を贈るばかりなのですが、その他の競技については、あまりの成績不振で、ただただあきれ果ててしまいました。きっとあなたもその一人ではないでしょうか。

今回の冬季オリンピックについては、参加選手のほとんどの人が、かなり若返っていたというところに問題点が潜んでいるように思うのです。

四年に一度の大がかりなイベント、祭典というわけで、とにかくマスコミも全局を上げてキャンペンを行いましたし、大がかりなスタッフを現地へ派遣して取材合戦を繰り広げましたが、その結果は荒川静香の金メダル一個に終わってしまのです。競技には好不調がつきもので、特にその結果については、とやかく異議を申し立てるつもりはないのですが、今回は通常の競技とは、ちょっと違うのではないでしょうか。とにかく世界規模の大きな協議会であり、選ばれた選手は国を代表する形で送り出される訳です。それだけに、関係諸団体はもちろんのこと、マスコミ各社もかなり力を入れて取材合戦を展開することになるわけです。

それだけに今回は、あまりの派手なキャンペンと、この結果との間の落差の激しさには、呆気にとられて言葉を失ってしまったのではないでしょうか。

テレビキャスターの中には、メダルの数の予想で、前評判から判断して14〜15個は間違いないと広言している人もいましたが、結果の酷さには、言葉もなかったのが印象的でした。もちろんテレビ観戦をしていたわたしも、友人たちも、大分期待値が高くなっていただけ、あまりの惨敗に唖然としてしまいました。

一体、期待値と結果に、どうしてこんなに激しい落差を味わわなくてはならなかったのでしょうか・・・。

なぜ・・・。

その前にちょっと冷静になって振り返ってみたいことがあります。

オリンピックが近づくにつれて、マスコミが競争で、さまざまな方向から取材をして報道するようになり、それに従って選手のほうも露出が激しくなっていきます。

そんな中で次第に選手のほうも、次第にハイテンションになっていかざるを得なくなってしまうのでしょうか、どんなジャンルの競技でも、出場選手はことごとく、それぞれの形でパフォーマンスをするようになりました。

もちろん、大変控えめに現状を語る選手もいるにはいましたが、それでは勢いを守り立てることもできないというので、ほとんどの選手は、やたらに景気のいい状態の報告をしました。しかもその練習風景を取材したフィルムなどが流れると、実に好調そのもので、選手が公言するのももっともと思えるような状態でした。

それなのに・・・なぜか結果は惨敗の連続でした。

これこそ・・・と思った競技も、ほとんど満足な結果は得られないまま終わってしまって、まさに拍子抜けの連続だったわけです。

原因の一つは、何と言っても前評判の良さ・・・つまりマスコミが伝える状況のよさから、いつか視聴者は、すっかり好印象が頭に刷り込まされてしまっていて、期待しすぎたことによるのだと思います。しかしそのマスコミの取材合戦に便乗した、選手たちの姿勢によるところも大きかったと思わざるを得ませんでした。つまり選手のアピールが、あまりにもハイテンションで、いささかその勢いに巻き込まれてしまっていたことにもよるように思うのです。

あまりにも「好調、好調」と高言したり、やたらに好調を訴えるようなパフォーマンスをするので、大概のことでは、そうしたペースには巻き込まれないわたしでさえも、今回はかなりいけそうかもしれないと、知らず知らずに期待感を膨らませていってしまったからでしょう。

ところが結果は、大惨敗ということでした。あまりにも始まる前の景気が良すぎたので、惨敗後の選手は気の毒で見ていられませんでした。

こんなことから、昨今の若者たちを見ている時に感じることがあるのです。

今回の現象は、決してオリンピックの選手たちばかりではないのではありませんか。一般的に若い世代に広がっている現象なのではないでしょうか。

あまりにも、お笑い系統の芸能人がやるような、ハイテンションのパフォーマンスの影響を受けすぎて、その物まねをしているのではないかと思われる自己表現が多すぎます。

我々の時代では、決して自分の実力以外の表現はしなかったし、そんなことはさせませんでした。仮に自信があったとしても、他人に発表する時には、あくまでも謙虚であったように思うのです。

実力が充分についた結果のパフォーマンスは、大いにあってもいいのですが、まだまだ大した力もついていない者が、やたらに大袈裟なパフォーマンスをすることは、却ってみっともない結果になるという見本のような選手が、トリノ・オリンピックに出場した選手には多すぎました。

それにマスコミも、あまりにも親しげに近づき過ぎます。これから大事な試合が迫っているというのに、あまりにもそのへんの配慮のないところが多すぎました。彼らと接触するために、ペースを崩されたり、気持ちを乱されたりされた選手もいたに違いありません。そしてそんな浮ついた接触の中で、ついつい調子に乗って、余計なパフォーマンスをしてしまう結果なのかもしれません。とにかく事情はいろいろとあったと思いますが、こうした風潮は、昨今の若者にかなりの影響を及ぼしているのではないでしょうか。

どうも最近は、一般的にパフォーマンスは一人前という若者が多くて、顰蹙を買ってしまうような者が多くなりました。それだけ人に知って貰うということは、困難なことで、強大な資金を使って宣伝をするものを除けば、個人的なレベルで自分を知って貰ったり、認めて貰ったりするためには、とにかくある程度はアピールしなくては、まったく自分のほうを見ても貰えないでしょう。しかし実力ないまま、パフォーマンスだけ達者であったとしても、決して結果はいいものではないということを、心に刻んでおいて欲しいものです。トリノ・冬季オリンピックの惨敗から、同じような感想をお持ちになった方がたと、あまりにも多く出会ったので、とうとう苦言を呈することになったのでした☆



(今回は、旧HPから復活した原稿ですが、一部加筆、訂正いたしました)