復活の世界 Faile 10 「ハワイでの大失敗!」

小説を書いている時のピーク時の生活は、ちょっと想像できないような忙しさでしたから、ほとんど休みを取ることができないでいました。家族サービスの時間などは、ほとんど取れない状態でいました。大っぴらに休める時といえば、五月のゴールデンウイークか、年末ぐらいなものだったのです。その時がなぜ休み易いのかと言うと、仕事関係の事務所がすべて休みになるので、出版社も休まざるを得ないからです。もちろん作家は、この休みが終わったら原稿を下さいということになるので、あまりのんびりと遊んでしまうわけにもいきません。しかしとにかくそんな時を利用して休むしかないので、ある年のこと、家族でハワイで年越しをしようということになったのでした。

これまではほとんどの場合、旅行といっても、常に原稿用紙を持って行って、たとえ一泊旅行だとはいっても、その日の夜は多少でも仕事のツメを行ってくるのが習慣でしたので、この時だけは家族に反対されても、例外というわけにはいきませんでした 。休日が終わった時には、出版社や映像のプロダクションへ原稿を渡さなくてはならないのですから、のんびりと遊んでいるわけにはいきません。

「こんなときぐらいは、ゆっくりとすればいいのに」と、家族の顰蹙を買いながら、仕事の用意をして出かけることにしたのです。

オアフ島のワイキキの浜辺に近いホテルの、シーフロントの部屋をキープしました。そして十日という滞在期間を取りましたので、休養をしながらでもたっぷりと仕事ができると、内心かなり成算がありました。

この頃わたしは、まだPCなどという便利なものは持っていませんし、ワープロなどというものも持っていけませんでしたから、鉛筆と、何と五百枚という大量の原稿用紙を持参していったのです。

ゆっくりと心身のリフレッシュを心がけるのが第一の目的でしたが、昼はたっぷりと家族サービスをしても、夜は自由にということで、家内と二人の娘はショッピングへ出かけ、わたしはホテルの部屋に籠もって、原稿を執筆することにしたのでした。

これは旅行へ出発する前からの計画で、大変楽しみにしていたことでした。日本にいる間は、とにかく追われるように仕事をしてきましたが、流石にハワイまで煩わしいことは追いかけてはこないと、実にのびのびとした気分で作業が出来ることを想像しながら、そわそわとしていたのでした。

せめてハワイでは、せせこましい気持ちにならないで原稿を執筆できるだろうと計算して、500枚もの原稿用紙を持って行ったのです。

ところが・・・現地へ到着して間もなく聞いた情報なのですが、高級ホテルといわれるカハラヒルトンには、つい最近まで、文豪と言われる川端康成さんが泊まって、半年間かかって一冊の本を書き上げたということでした。

いくら文豪でも、随分悠然と作業をしていたものだなと思ったものです。

わたしはいくらゆうゆうと仕事をしたとしても、一冊の原稿を書くのに、絶対に半年もかからないと高をくくっていました。しかし・・・いざ仕事をしようと思うのですが、珍しくその気にならないのです。

何日かそんな日がつづきました。日本にいる時では、とても考えられない現象に見舞われてしまったのです。

(なぜなのだろうか?)

何といっても、温暖で気持ちはいいし、原稿を執筆しようという緊張感が、高まってこないのです。ハワイヘ行ったら、思い切り気持ちを開放して、ゆったりと寛ぎながら書こうと計画を立てて来たのですが、これではまるで見当違いです。しかしやがて冷静になって考えてみると、ここでは東京にいる時のような勢いで原稿を執筆しようとすること自体が間違っているのだと、納得したのでした。あまりにも環境がよ過ぎました。しかもハワイは保養地であって、仕事をする島ではなかったのです。とにかくあまりにも温暖さが快適で、意志強固なわたしにしては珍しく気持ちが高まってこなかったのでした。思い切り仕事をして帰ろうなどと言う計画を立てたことは、はじめから無謀だったのです。

「もう止めた」

ついに諦めたのは、数日後のことでした。

ふと机の上を見ると、確かに十日間滞在した間に書いた原稿は、四百字詰めの原稿用紙で、たった二枚という結果になってしまったのです。

思えばホテルで、ボーイが荷物をカートへ乗せて部屋まで運んで来た時、

「この重いものは、一体、何なのか?!」

怪訝な表情で、訊いたことを思い出しました。

「原稿を書く紙だ」

わたしは必死で説明をしましたが、とにかく五百枚という枚数は、普通ではない重さです。ボーイが訝るのも止むを得ないことでした。そしてまだホテルへ着いたばかりの頃、川端康成大先生が半年間も滞在しながら、やっと一冊の本を書き上げて帰ったということを知って、「ずいぶんのんびりと作業しているものだな」と、半ば呆れていたものでしたが、そんな気持ちになったことを、大いに反省することになってしまったのでした。

しかしこんな貴重な体験から、帰国したわたしは、ちょっとこれまでの生活習慣を変えることにしました。仕事は仕事、旅行は旅行と、はっきりと区別をするようになったことでした。

今でもあの時のことを思い出すと、気恥ずかしくなってしまいます。しかしとにかく夢中で仕事をしている時代のことで、原稿を書いていることが、楽しくて、楽しくて、しようがなかった頃のことです。苦しいとか、嫌になってしまうということがなかったことから、ハワイまでやって来ても、なお原稿を書こうとしたことが、大きな間違いだったのでした。

実に快適な環境で、すっかり神経が弛緩し切ってしまって、緊張感が必要な原稿執筆という作業には、向かないのです。それを実感いたしました。

この時の経験から、その後わたしは旅行へ行く時は、完全にリフレッシュを目標にすることにして、絶対に夜は原稿を書こうなどという、よこしまな企てはしないことにしました。休養日は気ままに過ごすか、家族と思い切り遊ぼうと決心したのでした。その後何度かハワイへは行く機会がありましたが、もう原稿用紙を持参するようなことはなくなりました☆

(これは旧HPからの復活原稿ですが、一部加筆、訂正いたしましたので、お断りしておきます)

ハワイで構想中の写真