復活の世界 Faile 13 「ハワイでの大失敗物語」

毎年、年末年始を迎えると、思わず甦って来る思い出があります。今回はそんなお話にしてみようと思います。

小説を書いている時のピーク時の生活は、ちょっと想像できないような忙しさでしたから、ほとんど休みを取ることができないでいました。それこそ家族サービスの時間はほとんど取れない状態でいました。大っぴらに休める時といえば、五月のゴールデンウイークか、年末ぐらいなものでした。その時がなぜ休み易いのかと言うと、仕事関係の事務所がすべて休みになるので、出版社も休まざるを得ないからです。もちろん作家には、この休みが終わったら原稿を下さいということになるので、あまりのんびりと遊んでしまうわけにもいきません。しかしとにかくそんな時を利用して休むしかないので、ある年のこと、家族でハワイでの年越しをしようということになりました。

これまではほとんどの場合、どこへ旅行に行っても、常に原稿用紙を持って行って、たとえそれが一泊旅行であったとしても、その日の夜は多少でも仕事の詰めを行ってくるのが習慣でした。この時だけは家族に反対されても、例外というわけにはいきませんでした。休日が終わった時には、出版社や映像のプロダクションへ原稿を渡さなくてはならないのですから、のんびりと遊んでいるわけにはいきません。

「こんな時ぐらいは、ゆっくりとすればいいのに」と、家族の顰蹙を買いながら、仕事の用意をして出かけることにしたのです。

オアフ島のワイキキの浜辺に近い、センチュリー・ハイアット・ジージェンシーのシーフロントの部屋をキープしました。そして十日という滞在期間を取りましたので、たっぷりと仕事ができると、内心かなり成算がありました。 この頃わたしは、まだPCなどという便利なものは持っていませんし、ワープロなどというものも持っていけませんでしたから、鉛筆と、何と五百枚という大量の原稿用紙を持参していったのです。

ゆっくりと心身のリフレッシュを心がけるのが第一の目的でしたが、昼はたっぷりと家族サービスをしても、夜は自由にということで、妻と二人の娘はショッピングへ出かけ、わたしはホテルの部屋に籠もって、原稿を執筆することにしたのでした。

これは旅行へ出発する前からの計画でしたし、楽しみにしていたことでした。日本にいる間は、とにかく追われるように仕事をしていましたが、流石にハワイまで煩わしいことは追いかけてはこなかったので、実にのびのびとした状態で作業が出来るとそわそわしました。

せめてハワイでは、せせこましい気持ちにならないで原稿を執筆したいという欲求から、却って筆が進むのではないかと考えて、500枚もの原稿用紙を持って行ったのです。

ところが・・・

現地へ到着して間もなく聞いた情報なのですが、高級ホテルといわれるカハラヒルトンには、つい最近まで、文豪と言われる川端康成さんが泊まって、半年間かかって一冊書き上げたと言われていました。

わたしは、文豪にしても、随分悠然と作業をしていたのだなと思ったものです。

わたしはいくらゆうゆうと仕事をしたとしても、一冊書くのに半年もかからないなと、高をくくっていました。

しかし・・・

いざ仕事をしようと思うのですが、珍しくその気にならないのです。

何日かそんな日がつづきました。

日本にいる時では、とても考えられない現象に見舞われてしまったのです。

(なぜなのだろうか?)

何といっても、温暖で気持ちはいいし、原稿を執筆しようなどという緊張感が高まってこないのです。当然のことです。ここへやってきたら、思い切り気持ちを開放して、ゆったりと寛ぎながら書きたいという計画を立てて来たのに、これではまるで見当違いです。しかしやがて冷静になって考えてみると、ここで東京にいる時のような勢いで原稿を執筆しようとすることが間違っているのだと、納得したのです。

あまりにも環境がよ過ぎるし、やはりハワイは保養地であって、仕事をする島ではなかったのです。とにかくあまりにも温暖さが快適で、意志強固なわたしにしては珍しく気持ちが高まってこないのでした。

思い切り仕事をして帰ろうなどと言う計画を立てたことは、はじめから無謀だったのです。

「もう止めた」

ついに諦めたのは、数日後のことでした。

ふと机の上を見ると、確かに十日間滞在した間に書いた原稿は、四百字詰めの原稿用紙で、たった二枚という結果になってしまったのです。

思えばホテルへ着いて、ボーイが荷物をカートへ乗せて部屋まで運んで来た時、

「この重いものは、一体、何なのか?!」

彼は怪訝な表情で、訊いたことを思い出しました。

「原稿を書く紙だ」

わたしは必死で説明をしましたが、とにかく五百枚という枚数は、普通ではない重さです。ボーイが訝るのも止むを得ないことだったかも知れないと思ったことを思い出していました。そしてまだホテルへ着いたばかりの頃聞いた、川端康成大先生が、半年間も滞在しながら、やっと一冊書いて帰ったという話を聞いた時、「ずいぶんのんびりと作業しているものだな」と、半ば呆れていたものでしたが、そんな気持ちになったことを反省することになってしまったのでした。

しかしこんな貴重な体験から、帰国したわたしは、ちょっとこれまでの生活習慣を変えることにしました。

仕事は仕事、旅行は旅行と、はっきりと区別をするようになったのです。

今でもあの時のことを思い出すと、気恥ずかしくなってしまいます。しかしとにかく夢中で仕事をしている時代のことで、原稿を書いていることが、楽しくて、楽しくて、しようがなかったのです。苦しいとか、嫌になってしまうということがなかったことから、ハワイまでやって来ても、なお原稿を書こうとしたことが、大きな間違いだったのでした。

実に気温が温暖で気持ちがよく、すっかり神経が弛緩し切ってしまって、緊張感が必要な原稿執筆という作業には向かないのです。それを実感いたしました。

この時の経験から、その後わたしは旅行へ行く時は、完全にリフレッシュを目標にすることにして、絶対に夜は原稿を書こうなどというよこしまな企てはしないことになりました。

休養日は、気ままに過ごすか、家族と思い切り遊ぼうと決心したのでした。

その後何度かハワイへは行く機会がありましたが、もう原稿用紙を持参するようなことはなくなりました。

幸い手元に、その時の写真が残されてありましたので、公開いたしましょう☆

(今回は、旧HPから復活した原稿ですが、一部加筆、訂正いたしました)

シーフロントで構想中の写真