交わる世界 Faile 12 「昨今の秋事情」

秋は大変爽やかで、過ごしやすく、気持ちのいい季節です。

しかし夏のような、燃え立つような勢いはなくなり、知らず知らず、静かにして、物思いに耽るのにぴったりといった季節であるとも言えます。それゆえに「魂離(あくが)れ」といったことが起こるのを、心配した時代があったのです。詳しいことは、(楽しむ世界のFaile 5)で取り上げた、「憧れ」をお読み頂くといいと思うのですが、昨今ではまったく、物思いに耽って、ため息をつくなどという光景に出会うというようなことは皆無です。

昔からですが、この秋という季節を選んで、さまざまなイベントが企画されてきました。その中でも、圧倒的に知名度があるのは、「芸術の秋」でしょう。「日展」をはじめとして、大小さまざまな展覧会が、あちこちで開かれます。そして間もなくそれに呼応して、「読書の秋」というものも、出版社の音頭とりで全国の書店では、賑やかに書籍の販売に精を出します。

昔はなんといっても、この芸術、文化的な二つの催しが、秋の主役で、準主役に上げられたのが、「スポーツの秋」で、学校や会社では、一斉に大運動会を開いたりしました。

ところが時代の推移で、次第にその主役に変化が起こり始めてしまいました。それまで秋をリードしてきた芸術、文化的なものから、昨今はこれに、「旅行の秋」「食欲の秋」というものが加わって、秋という季節を一気に盛り立てていくようになってきました。そしてどちらかというと、後者のほうが目立つようになってきてしまっています。その結果、これまでの主役であった芸術、文化は、ちょっと影が薄くなってきてしまいました。つまり精神的なものよりも、どちらかというと、体を動かす肉体的なことで、秋を楽しもうとする風潮です。

一応、読書週間というものもあったようですが、いつ終ってしまったのかも判らない静けさのままではありませんか。市民の活字離れというものは、いささか深刻に思います。いよいよこれからは、芸術の秋の本番というわけで、新しく東京の六本木に出来た国立美術館では、「日展」のピークを迎えますが、つい先日のこと、京都の国立博物舘で行われていた、「狩野永徳展」を観に行ってみたのですが、テレビでのアピールが行われた結果でしょうが、その混み方は大変なもので、展示ケースの最前列は、熟年の女性がほとんど独占状態で、動きもしません。

係員は必死で、その女性たちの後ろに出来た列に向かって、「移動はこちらから行って下さい」と呼びかけていました。とてもゆっくりと、鑑賞できない状態だった訳なのですが、あの展示ケースにへばりついて、動こうとしない女性たちは、絵の鑑賞よりも、その絵をダシにして井戸端会議的なことまでやっていることが多いのです。

昨今の展覧会で、よく見かける光景なのですが、絵を鑑賞するのか、井戸端会議がしたいのか、はっきりとしてもらいたいもので、実に迷惑千万です。

貴重な展示物を、広く国民に展示して見てもらうということは、大変いいことだと思うのですが、暇つぶしの場として展覧会場を使うのは止めてもらいたいものです。本当に貴重な展示物であった場合は、ゆっくりと観ておきたいのですが、博物館、美術館も、経営上の都合で、集客力を競うようなところがあって、鑑賞する者の立場は、まったく無視といった状態という場合がかなりあります。

秋の気配が変わると同時に、それを主宰する者の構えが、かつてのそれとはまるで違ってきているということを、感じざるを得ない昨今です。

集客を競うイベントの秋は、どこか空疎な混雑だけを味わわされる季節の象徴となってしまったのでしょうか。☆