交わる世界 Faile 14 「犬の遠吠え考」

冬の夜の思い出になりますが、仕事が終わった父に連れられて、夜遅く銭湯へ行く時に、あちこちから聞こえてきた犬の遠吠えの声は、今になっても忘れられない思い出になっていますが、昨今はほとんど都会でその声を聞くことはなくなってしまいました。ところが今年は、久しぶりに軽井沢の山荘で、犬の遠吠えを聞きました。

かつてこのようなことはなかったのですが、日ごろ窮屈な思いをさせているので、せめて夏ぐらいは広々としたところで、開放してやりたいという、飼い主の思いやりだったのかもしれません。

都心に住んでいるわたしはもちろんのこと、あなたもきっと犬の遠吠えを聞くことは、ほとんどなくなってしまっているのではないでしょうか。

家の近くを散歩していても、旅行をしても、そこには必ず犬を引き連れて歩く人々を見かけますが、犬の遠吠えを聞くことがなくなってしまったのは、なぜなのでしょうか。どうも不可思議でなりません。犬の散歩のお付き合いをしている人は、とにかく多いのですが・・・。

個の時代がそうさせるのでしょうか。マンション暮らしが多くなったために、隣り近所の人とも付き合いがなかったり、家族でさえも核化してしまっていたりしていて、みな孤独感にさいなまれてしまうので、何かに癒しを求めた結果かもしれません。それなのに否応なく進んでいってしまう乾いた時の流れは、休むことなく勢いづいて、未来へ向かってわたしたちを押し流していってしまいます。ただ生きているだけでも辛く、疲れきってしまっていますからね。

そんなところから、人に忠実で、時には卑屈なくらい従順な犬に、関心が集まった結果が、犬ブームなのではないでしょうか・・・。

老境に達した方が、止むを得ない事情で一人住まいをすることになったり、独立した子供達と離れて暮らしたりすることになって、孤独の谷間へ落ち込んでしまったりした時、犬という相棒を持つことは大変役立つし、格好の相棒だとは思うのですが、まだまだ若い女性が、お座敷犬の類である、小型の愛玩犬を引き連れて散歩させる姿を見かけると、単なる玩具を引き連れて歩いているようにしか見えません。

どうもすっきりとした気分になれないのです。

現代の犬ブームは、いささか人間のエゴだけが先行しているようにしか思えません。時には異常なものさえも感じてしまうのです。その一番気がかりなことというのは何かというと、あまりにも人間たちが、動物を自分たちの都合で、利用し過ぎているのではないだろうかということなのです。

かつてわたしは、「ワンサくん」というアニメーション番組を書いたことがあるのですが、犬の生活を人間社会とダブらせて書いていこうということになって、先ず犬の生態について知っておこうということになりました。そのために女子栄養大学の教授であった、動物学者の小原秀雄さん(現同大学名誉教授)から、レクチャーを受けたことがあったのです。

犬の生活を見ていると、人間の生活の未来を暗示していることが多いのだという、大変貴重なお話を聞くことが出来たのです。その中で一番印象に残ったことは、人間と同じように、文明の進化に従って、犬がだんだん野性味を失っていくという話でした。その典型的な例の一つが、都会での住宅街では犬の遠吠えというものが、だんだん聞けなくなってしまったということがありました。

昔は夜になると、あちこちから、犬たちがさまざまな声を上げるのを聞きました。それが夜の雰囲気でもあったのでしたが、いつのころからか・・・犬を飼う家が多くなるに従って、そうした光景が消えていってしまいました。理由は簡単で、犬が鳴き声を上げるとうるさいということからだと思います。中には手術をして声を上げなくしたり、叫ぼうとするとブレーキがかかるような首輪をしたりといったことを、するようになったからでしょう。

この遠吠えというものは、犬社会の対話、情報交換の機会だったのです。それなのに人間たちは、うるさいからという理由で、そんな機会を無造作に失わせてしまいました。彼らは夜の遠吠えによって、それぞれの生活に関する情報交換をし合っていたはずなのです。その機会を失うということは 、それぞれが孤立して生きていくということにもなるわけで 、人間が隣人、友人との対話を失い、次第に孤独な生活をするようになったのと連動しているように思えてなりません。

犬達も本来の野生味を失ってしまって、すっかり温和になってしまって精悍さを失ってしまっています。気ままに走り回ることも出来ずに綱につながれて、ご主人と散歩に引っ張り出してもらうのを、唯一楽しみにするといった状態になってしまいました。

昨今はいろいろな条件を考えて、人間たちは大型、中型犬を飼うのを止めて、扱いやすい小型犬で・・・所謂愛玩犬のお座敷犬のようなものが中心になってきているのですが、傍観者であるわたしには、みな犬という玩具を手に入れて楽しんでいるとしか思えません。

野生味という本来の持ち味を失いながら、人間に忠実な面だけを求められて生きている犬を思うと、気の毒でなりません。

町を歩きながら、綱を引っ張られながらせっせと歩いている彼らを見ていると、自由を失い、本来の姿も失いながら生きている犬に比べて、人に媚を売りもせずに、自由気ままに生きている猫たちは、何と素晴らしい暮らし方をしていることかと思うのですが・・・。犬のコミュニケーションの手段である遠吠えが、こうした避暑地だけで聞けるのではなく 、再び夜の町で聞けるようになるのは、いつの頃になるのだろうかなと思ったり、もう二度と犬たちが本来の生気を取り戻して、生き生きとはしゃぎ回る機会はないのかと、暗い気持ちになったりしているのですが・・・。

わたしの知り合いに、愛玩用の独身で、犬を飼っている人がいますが、ご主人がお勤めから帰って来るまで、部屋で待っているという話を聞きます。これでは運動不足になってしまうし、町へ連れ出すと怖がって、嫌がり、家へ急いで戻ってきてしまうという話を聞きます。これではご主人には癒しになったとしても、犬にとっては悲劇だとしか言いようがありません。

無類の犬好きであるが故に、昨今の犬の置かれている立場というものに、嫌でも関心を持たざるを得ないのと同時に 、同情する気持ちを持たざるを得ない昨今です☆

「ワンサくん」の画像 その1
「ワンサくん」の画像 その2
「ワンサくん」の画像 その3
「ワンザくん」の画像 その4