交わる世界 Faile 18 「飽食のツケ」

はっきり言って、わたくしは、いわゆる欠食時代を経験した世代です。第二次世界大戦と言ってもお判りにならないかもしれませんが、太平洋戦争と言うと、多少見当がつく人もいらっしゃるでしょう。その前後に少年時代を過ごした者としては、現代の食に関する風潮には、いささか物申したいことが多すぎるのです。

テレビではあちらでも、こちらでも、専ら大食いを素材にした番組を放送して騒いでいますが、制作者たちは、世界には飢えに苦しんでいる国民が、あちこちに存在しているということを、まったく気にするようなことはないのだろうか。 そうでなくても、食文化が昔と比べても、飛躍的に進化してきました。そんなことも引き金になってか、とにかく贅沢な人が多くなりました。今日はあちら、明日はこちらといった調子で、美味しいものを食べ歩いている人が、かなりいますし、それを誇らしげに話す人さえいます。

ごくごく我々と同じような主婦、OLを中心に、贅を尽くした店を転々としている様子を、見聞きすることがあります。

食文化は言うまでもなく、こうして華開いていくということには、決して異存はありません。しかしどうしても、こうした勢いがうねりはじめると、止めようがなくなるものです。

人々はすっかり贅沢に馴れてきてしまいました。

万一国が危機に瀕してしまい、思うがままに食材が手に入らなくなってしまったら、一体、我々はその時の危機的な状況に耐えられるのでしょうか。

そんなことを考えている最中に、輸入した餃子から、有なものが混入していたことで、大問題になってしまいましたが、その生産国でにわかに注目されてしまったのは中国でした。騒ぎの問題と直接関係があるかどうかということは別として、現在我が国は、ほとんど食の自給率がなくなっていて、そのほとんどを、中国に寄りかかっているということを露呈してしまいました。

その現状に、愕然としてしまったのは、決してわたくしだけではなかったでしょう。

長いこと、減反、減反と、報奨金まで払って、農家に減反を進め、食材の輸入を促進してきた結果が、あからさまになってしまいました。

もちろん国民のほうも、食生活の嗜好が変わってしまったこともあって、米離れを起こしてしまったこともあるにはあったでしょう。しかしそれにしても、食の自給率が40%前後などという愕然としてしまう状況にあったとは、思いもしませんでした。

飽食を欲しいままにしている間に、わたくしたちを取り巻く食の環境は、次第に危機的な状況に追い込まれていた訳です。

お金さえはずめば、いくらでも美味しいものは食べられます。しかも先日出かけた神戸のタクシー運転手の情報によると、美味しいものは、ほとんど東京に集まってしまっていて、もう神戸には美味しいものはないと断言していました。いい食材は東京へ持っていけば、すべて高く買い取ってくれるということが原因でした。

いい食材はほとんど東京へ集まってしまうということは、こうして起こるのです。すべてが営業中心時代になってしまった影響なのでしょうか。

それはそれとして、現代の飽食のツケは、きっとどこかにしわ寄せがいくはずです。そろそろ飢えた者のように、「美味いもの」「美味いもの」と探し回って、食べて歩くことは、少し控えてみてはどうだろう。

世界のあちこちでは、その日の暮らしもままならない状態の人々が、かなり存在しているのです。

食文化が発展して、さまざまな美味しい料理が開発されるのはいいことですが、それをハイエナのような嗅覚で追いかけまわすような奉職族にはなって貰いたくはないのですが・・・。☆