交わる世界 Faile(19) 「なぜかお不動さま」

巡り合わせというものは、不思議なものですね。

今回はそんなお話をしたいと思います。わたくしと不動明王の、不可思議な出会いのお話です。

わたくしが、「宇宙皇子(うつのみこ)」という、古代史を素材にした小説を書いていたことは、多少でもご存知の方がいらっしゃると思うのですが、その主人公の精神的な支柱になっていったのが、古代の役小角(えんのおづぬ)という優婆塞(うばそく)・・・つまり在家の山岳宗教家でした。

話の都合上、もうちょっとそのへんのお話をつづけますが、役小角とその弟子たちは、信仰する原始的な超自然的な神仏の力を、厳しい修行によって体得して、その驚異的な呪術によって、農民を驚かせるばかりでなく、苦しむ農民を救い、虐げる権力者と戦って、底辺を生きる人々の希望の星となって働いていました。

この宇宙皇子は、壬申の乱の兵士として駆り出された、農民の子として生まれるのですが、その父は戦死してしまった上に、天上からやって来た神が母の体内へ入ったことから、頭に角が突出した赤子が誕生した。その子はやがて周囲の者から、「鬼」と呼ばれて差別されてしまい、母は不義を犯したと責められて、その辛さに耐えかね、小子辺(ちいさこべ)・・・宇宙皇子の前名ですが、彼を山に捨てて自殺してしまったのです。

その彼を拾い上げたのが、小角の母でした。

そんな関係から、宇宙皇子はやがて小角の弟子として厳しく育てられ、やがて彼も超能力を発揮して活躍するようになるのですが、次第に彼も神仏とのかかわりを持つようになっていき、やがて大日如来の化身と言われる不動明王との縁を深めていきました。

そんな話を、古代の歴史を縫いながら書きつづけていたのですが 、その頃から、ある不可思議なことを考えるようになりました。

実はこの物語の基本的なことを発想するようになったのは、わたしが東京赤坂一ツ木通りにある、一ツ木不動尊の境内に隣接したアパートに住んでいた頃からだったのです。実はその玄関前には、お不動様の墓地があったのでした。

しかし・・・。

ここは、わたくしが探して決めたところではありませんでした。不動産屋のおばさんに案内されるがまま、気に入って入居したのです。決してお不動様のあるところを探して、引っ越したわけではありませんし、まだこの頃小説を書く予定もありませんでした。たまたまそこが、お不動様の境内に建つマンションだったのです。とにかくこの頃は、脚本を書くのが目的だったし、必死だった頃だったのですから、お不動様を意識して小説を書こうとも、思っていませんでした。  しかしやがて結婚して子供も生まれ、40代になった頃のことです。ちょっと緊張感が薄れてしまって、ぴりっとしなくなってしまった時があったのです。所謂厄年と言うことなのでしょうか、まったく理由(わけ)が判りませんが、創作に気が乗らない時がやってきてしまったのです。

そんな時のことでした。

ぶらぶらとしながら古典を乱読している内に、「宇宙皇子」の基本的な設定となる、古代史のヒントを得たのです。しかしまだ直ぐに小説を書き出したわけではありません。テレビの仕事に精を出さなくてはいけない頃のことだったので、古代史小説については、メモを取りながら、ぼちぼちと構想を固めていくだけのことでした。

テレビを書きながら、時間がある時にメモに書き込みをしながら、あっという間に、八年がたってしまったのでした。

後になって考えてみると、とにかく「宇宙皇子」の物語の発想は、この赤坂不動尊に接したアパートへ住むようになってからなのですが 、物語上主人公の宇宙皇子は、やがて不動明王と縁を深めていくようになるのですが、決して意図的に赤坂時代と結び付けようとしてそうした訳ではありません。小説を書く時は、まったくそのようなことは意識しませんでしたから・・・。あくまでも後になって、「ああ、そんなことがあったな」と思っただけでした。そしてひょっとしたら、あのようなお不動様の境内へ住んだこととかかわりがあったのであろうかと、時々思ったりするようになっただけのことだったのです。

ところがその後、長年住み慣れた赤坂のマンションを引き払って、世田谷の現住所へ引っ越してから、更に何年もしてから「宇宙皇子」を書き始めたのですが、何巻か書き進めていくうちに、主人公はお不動様と縁が出来ていったのです。そしてふと考えると、現在住んでいるところも、ごく至近距離に、深沢不動尊があるということに気がついたのです。しかもここは、新聞広告で見つけた不動産広告の土地だったので、意図的にわたくしが選んで来たところではなかったのです。

「どうしてなのだろう?!またお不動さんのところへ引っ越して来てしまったではないか・・・!」

小説「宇宙皇子」がかなり進んでからは、そんな不思議なかかわりを、時々考えるようになりました。

すると、間もなく、時々気分転換の散策に利用している、近くの等々力渓谷(とどろきけいこく)・・・都会で渓谷というのは大変珍しいと思うのですが、近隣の人だけではなく、かなりあちこちからも散策にやって来られる人も多いところがあるのですが、この渓谷への入口にあるのが、何と「等々力不動尊」なのです。その境内を通って渓谷へ下りて行くのですが、「またもお不動様・・・!」と思いました。

ここには「神変大菩薩」・・・役小角(えんのおずぬ)が修行したと伝えられる祠もあって、古来滝も流れ落ちていたことから、そこで修行する人達も多かったようです。「等々力」という地名も、滝が落ちる音が、かなり遠くまで轟いていたということから、名づけられたものだということが伝えられているところです。

振り返ってみると、なぜか不動明王とのご縁を感じざるを得ないようなことが多くて、いつからか密かに、そんなことを意識するようになりました。しかしそれでも、それ以上特別なかかわりを求めたり、特別な意味を探ったりするようなことはしませんでした。とにかくごく自然に受け止めるようにしてきました。まったく特別な意識はしないできました。しかしそれでも、ふと気がつくと、不可思議な縁が生まれていたりするものです。

古代史を素材にする小説を書いていたためか、わたしは素直にその超自然的なものが、存在していたと思いつづけていましたし、その象徴として、心の内には神仏が存在していて、決して粗末にはできないものがあると思いつづけてきたのですが・・・☆

赤坂不動の写真
深沢不動の写真
等々力不動の写真