交わる世界 Faile(25)「嬉しい知らせ」

昨年の紅白歌合戦は、いろいろな話題がありました。

中でも森進一の「おふくろさん」騒動と、アマチュアの六十代歌手、秋元順子さんが、「愛のままで・・・」で出場を決めたりしたことです。

中でも秋元さんのことは、久し振りにいい話でした。

いつまでも夢を忘れずに、追いかけてきた結果であったし、それを支えてきた、家族をはじめ周辺の人々の支援の力だったと思うと、ほのぼのとした気持にもなります。

これまでこうした話には、大抵、苦節00年というようなことが言われるものですが、ほとんどそうした苦渋に満ちた話が出てこないのがいいなと思ったりしましました。

実はあの発表が行われた時、素晴らしいことだと思いましたが、長いこと頑張ってきたことの成果だと思って、素直に祝福したい気分になったものです。歌も聞いていて心地よく、大人の鑑賞に耐えられるいい歌だなと思いました。

ところがその段階では、まだ興味がそこまでで、誰が作詞を担当し、誰が作曲を担当したのかということにまでは、知ろうともしないでいたのです。ところが、彼女の露出が多くなっていくと、テレビのワイドショウで、ついにその背景を知るきっかけができてしまいました。

作詞、作曲、編曲を担当した花岡優平さんは旧知の仲だったのです。

もう何年も前に、三重県で行われた歌のコンクールで、審査員を務めたことがあったのです。

現在、ほとんど歌手の方の話題ばかりで、あまり花岡氏のことに関しての話が出てこないので、敢えてここで露出しておこうと思います。

彼も決して突然出てきたわけではありません。

長い沈潜している時代があったのです。

ヒット作品を生み出すということは、そう簡単にできることではありまあせん。

運、才能、努力が三拍子そろわないと、叶わないことが多いのです。その機会には、なかなか恵まれるものではありまありません。

更にこれには、実際にその世界へ飛び込んでみないと判りませんが、ツボというものがあります。つまり抑えどころ、勘どころというものがあるのです。それを外してしまうと、なかなかヒットはしないものです。

プロの作業にかかわる人は、みなこの作品作りのツボを探ることに腐心しているはずなのです。適当にあたりかまわず作っても、当たるどころか、見てもくれないものです。注目される作品を生み出すには、それなりに、目に見えない苦心があるものです。  しかし一旦読者、視聴者等々を引き込む術・・・ツボを会得してしまうと、次々とヒットを生み出すことが出来るいものです。 どんな世界で挑戦するとしても、プロを名乗る人は、みな、そのツボを探り出そうとして努力しているはずです。

話が戻りますが、「愛のままに・・・」の生みの親である花岡氏も、そのツボ探しに苦闘している時期がありました。

わたしと出会ったのは、正にその苦闘中のことだったと思います。

先輩のヒットメーカーの作曲家からも、「ツボは教えるわけにはいかない。自分で探せ」と突き放されてしまったということでした。

たまたまわたしは映画の「宇宙戦艦ヤマト」のヒット、小説の「宇宙皇子」のヒットなどを持っていたので、かなり羨ましがっておられていた記憶があります。

あれから何年たったでしょうか。

ついに彼はヒット作品を生み出しました。

頂いた年賀状にも、嬉しい報告が書かれていました。

これからは、それを持続していかなくてはなりません。

夢は駆るだけで終わるのではなく、追うものだという自説を、改めて力説したいと思います。

花岡氏と秋元さんには、祝福と同時に、更なる発展を祈りたいと思います☆