交わる世界 Faile(53)「訃報に思う」
年末が近づいてくると、残念ですが、喪中のお知らせが、届くようになります。今年もそれだけは変わらないようで、ぼちぼちと残念な知らせが舞い込んできます。
人が去るという知らせは誰であれ、寂しいことには違いありませんが、若くして鬼籍へ入られてしまう人については、なお更無念が伝わってきます。
ところが今年は、これまでと大きく違うものを感じました。
届く喪中のお知らせが、そのほとんどの方が、友人や親しい人たちの御母堂の御不孝なのです。しかも驚いたことは、そのほとんどの方が、100歳前後というご高齢だということです。
昔は高齢の方でも80歳の方がその頂点であったように思いますが、それを思いますと、今年の訃報はいささか趣を異にしています。しかも男性ではなく、女性の高齢ぶりです。昨今、女性で元気のいい人が多いのですが、それを窺がわせるような訃報です
実は私の母もすでに100歳を越えましたが、一応元気でおります。 残念ながら、もう話はあまりまともには通じなくなってしまいましたが、手術を何度も経験していましたから、父より早いと言われていたのですが、すでに父を見送ってからも15年はたちます。
これには弟妹も、びっくりしたり、びっくりしたり、呆れたりと、実に複雑な気持ちでいるところです。
最近は、みなさん元気そのもので、私も毎週仲間とテニスを楽しんでおります。
これからの問題は、少子化と高齢化です。
このバランスをどうとっていくかは、これからの政治家の課題になると思います。
どうか、みなさん、良いお年をお迎えください☆