観る世界 Faile(43)「さらば演歌の世界」
古来、歌は世につれ、世は歌につれということが言われますが、正に歌は時代を反映して生きているのだなと思うようになりました。その時代、その時代を反映して歌は生まれ、やがて時代が変わって行くと歌の世界も変わって行きます。
私たち旧世代には馴染みの深い演歌と言う者が、大分勢いを失いつつあることが叫ばれてから久しく、それと同時に演歌の世界を支えていた作詞家が、次々と天国へ立ち去って行きます。
まさに演歌世代であった私たちにとっては、そこに歌われている世界、人情などを実感しながら生きてきたので、そういった人々の死を聞くたびに、自分の世界の光が薄らいでいくのを感じてしまいます。
現代の若い人が歌いあげるポップスは、アーテストのメッセージで、共感する人々との共有を楽しむ青春讃歌といってもいいのではないでしょうか。
基本的には同じようなことを願いながらも、演歌は多少人生の辛酸を味わった人々にしか理解できないものがほとんどです。
お互いに共感し合いながら、涙したり、励まされたり、いたわったりし合いながら歌う人生なのですが、その歌に描かれている世界には、その時代の陰部がそれぞれの人生に色濃く表れています。
もうそういった世界はほとんどなくなってきています。
演歌に歌われる世界は、ほとんど失われつつあるように思われるのです。次第にそうした世界を生きた人々が他界して行ってしまって、演歌の世界は次第に詩の世界のことであって、ほとんど実感としては捉えられなくなってしまいつつあります。
最近、少年時代のことを考えたりすることがあるのですが、まさに演歌の世界の中で生きていたのだなと思います。
現代の若者が、まったく演歌に興味を持たないのも止むを得ないと思うのです。やはり演歌は我々旧世代の者の生きた世界の歌であったのでしょう。今は、あまり幸せではなかった、不自由であった時代の喜びも、悲しみも、懐かしくさえ思えてきます。歌は世につれ世は歌につれと言いますが、やがて若者たちもそんな心境に達する時がやって来るのだろうかと思いながら、そんな時代には一体どんな歌が、人々を支えるものになっているのだろうかと考えたりいたします☆