思う世界 Faile 1 「日本人好みについて」

ふと、日本人の精神的な風土の原点は、どんなものであったのであろうかなどということを、考えたことがありました。そんなことを探っているうちに、日本人には、ある好みの姿があるということに気がついたのです。

現代は何もかもグローバル化が叫ばれる時代ですから、そんな古臭いことには、興味も持たないし、まったく意味もないことだと、一蹴されてしまいそうですが、しかし・・・だからこそ、忘れたくないものもあるのです。いくら新しがったところで、日本人としてのDNAは、本人に関心があろうとなかろうと、延々と引き継いてきていると思うからです。 もし、時代の推移によって、次第にそうした血の流れというものが失われていくとしたら、旧世代人としては、とても寂しい気がします。しかしどんなに時代は進化したとしても、日本人が日本人でなくなるなどということは、絶対にないと思っています。

そこで・・・日本人はその原点で、どんな精神的な世界を構築していたのであろうか名度ということを考えていたのです。もし特徴的なことがあるとしたら、どんなことがあるかななどと考えたのですが、そんなことをしているうちに、どうして古代の人々は、そんな風に受け止めたのだろうかと思うようなことが、いくつかありました。その一つが、古代人の蛇に対する興味の持ち方だったのです。

もちろん古代での最大の関心事といえば、姿も見せず、声も発せずに、か弱い存在である人間たちを守り、育ててきているといわれている、「神」という存在であることに変わりはありませんでした。

そんなことから、ますます古代人の精神風土というようなものに、触れて見たくなっていたのです。そしていつごろからか、彼らには蛇に対する不可思議な信仰があることに気がついたのでした。

何といっても、日本は豊葦原瑞穂国といわれるほどの完全に農業国でしたから、ほとんどの農民たちは、未熟な知識と技術で働き、その収穫を得るまでには想像を超える苦労を重ねながらかかわっていたと思うのですが、多分そんな中で最大の問題といったら、作物を荒らしまわる鼠の駆除ということだったに違いないのです。しかし当時は、その天敵を駆除する知識も、その方法もなかったことから、かなりの作物を犠牲にしなくてはならなかったはずです。ところが農民たちは、苦心して育てたそれらの作物を駄目にする、最大の天敵を退治してくれる有難い存在が、実は蛇だということに、そしてそのうちに、農民たちは、ふと蛇の不可思議な姿と遭遇したのです。

蛇は季節によって姿を変えるらしいということに気がついたのです。つまり脱皮です。まだまだ科学的な知識には乏しい農民たちにとっては、それは実に不可思議な営みであったはずです。

農民たちは、自分たちにはとてもできないことをする蛇こそが、彼らの永遠の謎であった神というものの正体だったのだと受け止めました。

神と出会いたいという永年の願いも叶えた農民たちは、更に農作物を嵐まくる天敵を退治してくれるという恩恵にも浴することになったわけです。蛇に対する畏怖は、いつか信仰に近い気持ちになっていったに違いありません。

(神はその姿を見透かされないように、さまざまな姿に変化をしながら、我々の身近を注視していたのだ。だから、人間たちのいいこと、悪いことのすべてを見届けていて、時には救済の手を差し伸べてくれたり、時には厳しく罰したり、諭したりしてくれたりするのだ)

神たる蛇は、季節によって脱皮などという不可思議なことを行って姿を変えながら、鼠を駆除してくれている。そして更に彼は、寛いでいる時はとぐろを巻いていますが、いつもその中から鎌首をもたげているのですが、一旦外敵にでも襲われでもすれば、ひるむこともなく、ただちに反撃に出て、勇猛果敢に攻めていくではありませんか。

その強さも、神であることを証明するのに充分でした。

(間違いない。蛇こそが姿を変えて、我々の身近に存在していた神だったのだ)

彼らは活動していない時は多くの場合、とぐろを巻いて休んでいますが、なぜかいつでもその中から、鎌首をもたげて周囲へ目配せしている。あれは神が、我らに神が理想の心構えを教えている姿なのだ。古代の人々は、そんな蛇の姿から、自分たちの生きていくある理想的な姿を導き出したのです。

つまり和戦両様の構えといったものでしょう。

こんなことを考えているうちに、現代でも身近なところに、和戦両様の典型的な見本があるのに気がつきました。

相撲の横綱が行う土俵入りの姿でした。

もうすでにみなさんは、お気づきだと思いますが、「雲竜型」と「不知火型」のことです。

この土俵入りの型には、さまざまなエピソードが残っていることも存知でしょう。どうも「不知火型」を行う横綱は、相撲生命が短命であるということです。この型は両手を広げて前に差し出してせり上がるというもので、「第66代若乃花」が行ったものです。これは攻めを強調したものですが、それに対して、目下「朝青龍」の行っている「雲竜型」というものは、左の手を脇に構え、右手を広げていくものです。つまりこれは和戦の構えを型にしたもので、古来横綱のほとんどの人がこれをやってきました。どうしても攻め一方の「不知火型」は好まれないようです。やはり横綱としても短命に終わってしまうという伝説がある所為かもしれません。縁起をかついで、あまりやりたがらないのでしょうね。わたしの記憶にも残っている横綱も、吉葉山ぐらいでしょうか。やはり彼も短命横綱でした。

やはり古代からの風習で、和戦の構えが、日本人には一番心構えの理想型だし、好みにもあっているということなのでしょう。雲竜型を採用するのは、そのためだと思うのです。

この頃世の中では、さまざまな世界で、やたらに攻めばかり強調するようなのですが、古来のいい風潮を放棄したままでいいのだろうかと、心配になったり、残念に思ったりしているのです。そろそろ日本人が、古来から大事にしてきた姿・・・和戦両様の構えということを、思い出してもらいたいなと思っているのです。

攻めだけでもいけない。和だけでもいけない。しかもそのどちらかに偏ってしまうと、どうしても弊害を招いてしまいます。

今こそ、古代人から受け継いできた生活の知恵・・・つまり(和戦両様の構え)というものを、もう一度認識しなおしても、いいのではないかと思っているのです。

それは今でも、心の奥で、ひそかに受け継いでいる、日本人としての好ましい姿なのではないかと思うし、いつまでも、知らず知らず受け継いでいってしまう、一番日本人好みの姿勢なのではないかとも思っているのですが・・・☆