思う世界 Faile 2 「選択の困難な時代」

世の中の動きを見ていると、これでもか、これでもかといった勢いで、さまざまなものが、コマーシャルと同時に押し出されてきます。

不景気な時代には考えられないことですが、とにかく現在は、街が豊かに、賑わい、華やいでいるように思えます。

しかもかつてないほどのスピードで動いていきます。

とにかくあまりにも次々と新しいものが、次々と送り出されてくるので、選ぶことに戸惑いを感じてしまうのではないかと思いますし、中にはその勢いに負けて、自分にとって必要なもの、自分の気に入ったものを探すのが、面倒くさくなってしまっている人もいるのではないだろうか。そんな余計な心配をしてしまいます。

それにしても、選択するのに、大変難しい時代になっているということは、間違いないことだと思います。とにかく送り出すほうは、少しでも効果的な成果を上げたいので、刺激的だし、執拗だし、騒がしくなってしまいます。

それを受け止める側から言えば、あまりせせこましくて、有難くないことが多いように思vます。

ところが最近、ふと、こんなことを考えたりすることがあります。

送り手は盛んに、新しいものだ、新しいものだと、大宣伝していますが、本当にオリジナルといえるようなものが、どれだけあるのでしょうか。昨今、送り出されてくるものは、ほとんどのものが、かつてヒットしたもののバリエーションといったものが、多いように思えてなりません。

せっかちな時代の所為でしょうか、とにかく目先を変えて送り出さなくてはならないので、とてもじっくりとオリジナルものを制作する時間がなくて、間に合わないのかもしれません。これでは、ただ新しそうにしているけれども、実はまがい物を見せられたり、送り出されているのではないでしょうか。しかし本当に心配なのは、こんなことをしているうちに、創作者たちは、オリジナリティを失っていってしまうのではないだろうかと、本当に心配しているんです。

まぁ、それは別として、これだけ、これでもか、これでもかと、いろいろなものが送り出されて来ると、困ってしまうのは、それを選ぶ側・・・つまり購買者たちではないかとも思うのです。

選んだり、探したりする楽しみや、選択する権利が与えられているという点ではいいことなのですが、果たしてそうした利点を、有効に活かしている人は、どれだけいらっしゃるだろうかと、考えてしまうことがよくあるのです。却って困惑してしまっている人が、多いのではないでしょうか。

お金を持っている人は無駄なものを買う機会が多くなり、お金のない人は、ただただ迷うばかりです。

一体、今、自分が必要だと思っているものは、本当に存在しているのだろうか・・・ひょっとすると、宣伝の勢いに負けて買わされているのではないだろうか。

冷静に考えてみると、ちょっと引っかかってしまいます。

たとえばあの「朝シャン」騒ぎですが、今はどこへ行ってしまったのでしょうか。ほとんど噂にもなりません。結局あれは、ある会社によって仕掛けられた、宣伝に過ぎなかったわけで、若者はいいように踊らされて、その会社の販売に貢献をしてしまったというわけです。今となっては、ほとんど若い人から、朝シャンなどという言葉を聞くことはなくなってしまいました。

さまざまなものが、形を買え、性能を変えて、次々と送り出されてきますが、それを選ぶのは、あくまでも自分であるということを、しっかりと頭に置いておくことが必要ではないかと思うのですが・・・☆