思う世界 Faile 3 「迷路の消滅」

学生時代は別として、社会人として生活するようになると、実に思いもよらないことに出会うものです。きわめて順調な道を歩めていると思っていたつもりが、ふと気がついてみると、まるで想像外の道を歩いていたり、何とか突破口を見つけようとして走ったところ、行き止まりになってしまっていたりといった具合にです。

人生というものは、大きな迷路の中を、何とか試行錯誤をしながら、少しでもいい道を選んで、生きていけるような努力をしていこうとするもののように思われます。しかし人によっては、かなり早い時間で行け道を発見してしまうし、何時間かかっても、思うような道が発見できなくて、同じような道を何度も行き来したまま、疲れきってしまっている人もいます。

生真面目だからといって、うまくいくとは限らないし、いつもちゃらんぽらんで軽蔑されているような者が、結果的に駄目になるとは限りません。実に見事に道を選んでいってしまうという場合もあります。実に皮肉なものです。

そんな光景を、ほとんどの方は、見聞きしていらっしゃったはずでしょう。

人生はシビアなものだし、皮肉なものでもあります。

もう一度生まれて来る時は、もうちょっと違った人生設計をしたいものだと思ったりもしているのですが、こんなシビアな人生模様を、ゲーム化して楽しんでしまおうという時代がありました。

きっとあなたも、記憶にはあるのではないでしょうか。

観光地はもちろんのこと、都会でも、郊外でも、空き地があれば、そこに「迷路」が作られました。

小さなスケールのものもあれば、本当にスケールアップして、「大迷路」と銘打ったものも登場しました。

女の子などはそこで、きゃぁ、きゃぁ、奇声を発しながら迷うのを楽しんでいたものです。

中にはすっかり迷いに迷ってしまって、うずくまってしまう人もいましたが、そんな時には、監視人が迷路の上から覗いていて指示をしてくれるのですから、本当は別に何でもないのです。

たしかあの頃は、世の中全体が浮かれ調子で、迷うことを楽しんでしまうという風潮がありました。ところがそんなバカ騒ぎも、バブルの崩壊と共に、いつの間にか消滅していってしまいました。

もともとゲームですから、何回か挑戦していけば、必ず成功するはずです。しかし・・・ゲーム全盛時代に、危惧を抱いていたわたしは、いつも若い人に言いつづけました。

「人生はゲームのように、失敗したからといって、もう一度まっさらな状態でやり直すことが出来ないんだよ」と。

一流大学を出たエリートが、ゲームに熱中した結果、仮想世界と現実社会の見境が着かなくなってしまって、旅客機をハイジャックした上で、東京のレインボウブリッジを潜らせようとした事件がありました。何回も挑戦しているうちに、ゲームでは成功するようになってしまったのでしょう。

ゲームには、夢中になりすぎると、仮想世界と現実世界との違いを判断できなくなってしまうという落とし穴があります。しかし「迷路」の場合も、脱出に成功したからといって、現実の人生において迷いを払拭していくわけにはいかないはずです。現実の生活にもどると、たちまち現実の厳しさにさらされてしまいます。如何にゲームとはいっても、迷うことを楽しむ気分にはならなくなってしまったのも当然のことだと思います。ましてそのようなものに、費用を払ってまで楽しむなどという気分にはならないはずですね。

「迷路」があっという間に消滅してしまったのは、それがあまりにも仮想世界とはならずに、現実の世界と密着していたことの結果だと思います。現実に立ち戻ったときに、今までやってきたことは、何とばかばかしいことかと思ったでしょうし、中には現実の生活の厳しさと直面して、かえってゲームとの落差にぞっとさせられてしまったことでしょう。やはり、ゲームはゲームなので、現実とは遠い世界のものなのですね☆