思う世界 Faile 8 「自由自在な時代の不自由」

「工夫しない」

「工夫できない」

「工夫する気がない」

そんな若者が多くなったね。

かなり前から、こんな話を聞かされることが多くなっていました。

特にわたしたちがかかわってきた、物づくりの世界でのことですが、マニュアル世代というか、手引書がないと何もしないし、出来ない若者が多くなってきています。

昨今はさまざまな世界で、さまざまなものが急速に進化していきます。しかもほとんどのものにはマニュアルがついていて、誰にも利用しやすいように配慮されています。

これは大変便利ですし、親切なことだとは思います。  自分の専門分野、得意な分野でないことでは、こうした手引書があったほうがいいと思います。わたしも手早く新製品などを使いこなすために、マニュアルを読んで作業を進めることがあります。しかしこうした日常生活の環境に慣れきってしまったとはいっても、わたしたちの創作の世界・・・特に映像のような、いろいろな人の知恵や工夫を出し合って制作される世界へ、そんな安易な気分で入ってくることは、絶対に止めて頂かなくてはなりません。仮に入ってきても、仲間から評価され、認めてもらえなくて、直ぐに嫌になって抜け出して言ってしまうでしょう。

それなのに、年々こんなため息交じりの告白を、聞く機会が多くなってきました。

「工夫しない」

「工夫できない」

「工夫する気がない」

一体、どういうことなのでしょうか・・・。

結局、マニュアル時代がいけないのでしょう。

何をするにも手引書があって、それを見ればできないことはないという習慣がついてしまっているために、そういったものはなしで、自分で工夫しなくてはならなくなると、まったくアイディア・・・工夫ができないというのです。それでも何の抵抗もないままでいるというのです。

わたしたちの場合は、時代が時代で、所謂マニュアルなどというものがそれほどあるわけでもないし、手引書などというものも揃っているわけでもなかったので、とにかく自分で工夫して、便利にしたり、楽しくしたり、苦しいことから脱出したり、新しいことに挑戦したりしなくてはなりませんでしたので、ごく当たり前のように、知恵を絞ってきました。そんな中から素晴らしいアイディアを持った少年がいて、仲間の人気を集めていたりしたのです。

こんな時代に育ったこともあって、わたしなども工夫して何か生み出すということが、とても好きでしたし、それでまわりの者が喜んでくれることが、とても嬉しいことでした 。そんな資質が、こうして映像のような物づくりの世界で、大いに威力を発揮したように思っているのです。

制作者から困難な条件が出されると、出されるほど、何とかその困難を乗り越えたいと、闘志を掻き立てたものです 。そしてその多くの場合、かなりの成果を挙げたようにも思うのです。時代の不自由さの他に、もう一つ理由を挙げるとしたら、それは年配者との接触が多かったということも、挙げなくてはなりません。たしかにいろいろな先輩とのコミュニケーションが、ごく日常生活の中で、しかもごく自然に行われていたのです。そんな人たちからの知恵、工夫が、知らず知らず、頭に蓄積されていて、その後ひょっとそれらの知識が、何か工夫しなくてはならない時に、困難の突破に役立っていたのです。

わたしなどは、困難な条件が提示されればされるほど、何とかそれが克服できないかと、燃えていたものです。幾多の作品で披露したアイディアも、そんな中から誕生したのですが・・・。

さて、現代へ話を戻しましょう。

ほとんどの場合、マニュアルが用意されていて、それを利用するための材料も、豊富に用意されています。しかも誰にも判るようにという配慮もされているので、ほとんど頭をひねって考えなくてはならないようなことはありません。とても親切で、便利な時代です。無駄な努力はしなくてもいいようになっています。そうでもしないと、売れませんからね。大きな広がりを生み出すために、供給者は必死で工夫して、ユーザーに奉仕しています。

こんな環境で育ち、成長していくのですから、特別工夫する必要もないし、もしそれを使うのに、少しでも難しさがあれば、そんなものは放棄して、もっと使いやすいものに変えてしまうでしょう。そこで考えて頂きたいのですが、もしこんな状態をつづけていたら、ちょっと高度なものは、まったく受けつけなくなってしまうでしょう。工夫してその困難さを乗り越えようともしなくなるでしょうから、次第にレベルは下がっていってしまいます。その結果でしょうか、映像制作者たちから、最近の若いスタッフたちは・・・という前述のような嘆きの訴えをするようになってしまったのです。

我々の時代は困難が当たり前でしたから、映像の世界の創作者・・・例えば脚本家のような人たちは、みな工夫の仕方が、その人その人が特徴的で成功してきたのですが、昨今工夫がない、工夫ができない者が多いといわれるのは、どうしてなのでしょう。技術的な面では、我々の時代よりもはるかに進んでいて、高度なことがこなせるし、そういった材料も、技術も揃っているのに、それらを使いこなして、変わったアイディアが出せるかというと、どうもそうはいかないようです。

折角の進化した素材を、使いこなすことが不得意なようなのです。それを利用して工夫するということが、できないようなのです。もったいないとは思いませんか。

現代のようにすべてが急速に進化していくと、それについていくのが精一杯で、結局マニュアルを頼りにしなくてはならなくなってしまうのでしょうか。自分で工夫して、マニュアルとは違った利用の仕方を編み出すということができなくなってしまっています。まさに何でも自由な時代の不自由というものです。今度は、そのソフトを使いこなす能力を持たないといけない時代が来たのでしょう。それができないと、結局置いていかれてしまいます。

所謂二極化ということで、能力がある者、ない者に分かれていってしまうのです。

それともう一つ忘れてはならない問題があります。

旧時代と違って、昨今の若者は年配者とのコミュニケーションのとり方が下手だし、多くの場合、接触することを拒否してしまいます。それだけ情報量がたりなくて、困難を乗り越える知恵が得られなくなってしまっています。

せめてわたしたちの創造の世界では、困難を乗り越えることを、楽しみにするような人たちで、埋まっていて欲しいものです。制作者たちから、嘆きの言葉を聞かなくてすむようになって欲しいなぁと思うのですが・・・☆