思う世界 Faile(18)「日出処の天子」

どうも人間は昔々から、自分と周囲のかかわり方に関して、自分を中心に考えたくなるようです。まして国と国の関係ということについて言うと、今のように世界がボーダレスになって、お互いが近い関係になっていると、世界の中での自分の位置付けというものが、かなり正確に把握することができますが、まだ世界規模と言う意識がはっきりとしていなかった、所謂古代と言われる時代ともなると、ちょっと事情が違ってきます。

あくまでも自分が住んでいるところ・・・国が、地球の中心に存在しているとしか思えません。まだまだ科学が発展していたとは、とても言えない状態の時代です。海の中にはさまざまな大陸、島があるなどということは、まったく判りません。当時の先進国、大国と言われてきた中国大陸の皇帝にしても、所謂シルクロードを使って、人種の違う人間たちがやって来るのを見て、その大陸のつながりにから、中東の国、西欧の国々が存在していたことは把握していたものの、まだまだそれ以外にも沢山国が存在していると言うことも知りませんでしたし、中国大陸並みの大陸が存在しているなどということは知りませんでした。

もし自国以外の国が存在しているとしても、それは絶海の孤島という認識しかありません。まさにこの頃の日本に対する認識はそれで、東の海に存在する蓬莱の国という位置づけだったようです。そこには不老長寿の妙薬があると信じていた秦始皇帝などは、不老長寿の妙薬を求めて、徐福という者を送り出したということが言われています。富士山麓や熊野あたりに、徐福伝説が点在しているのはそのためなのでしょう。

その頃から千年弱もたっているといっても、その頃の人の知識、世界観はそれほど大きく変るわけはなかったように思います。

西暦600年代と言えば、推古天皇、聖徳太子、蘇我馬子と言う三頭政治が行われていた頃のことですが、国交があるといってもごく近くの国々・・・韓国、中国、東南アジアぐらいですから、太平洋の彼方にはアメリカ・・・もちろんその頃は、アメリカ大陸などと言う名もない原住民の国があったことは、知る由もなかったことでしょう。

どの国にしても、自国の存在が世界規模の中でどんな位置づけにあったかということは、ほとんど判らなかったのだろうと思います。それぞれの国の権力者たちは、あくまでも自分の国が、世界の中心であるという認識に立ったとしても止むを得ません。

日本にとっては先進の大国であったのは中国・・・当時は隋国との国交は、欠かせないことでしたが、日本もようやく政治も落ち着き始めたところであったし、聖徳太子という賢人が皇太子に就いたこともあって、これまでの屈辱的外交から脱却して、日本の存在を認めさせようとし始めたところです。

遣隋使の小野妹子に、「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す。恙無きや、云々」などという、思い切った親書を持たせたのは、そんな思いに駆られたからだったに違いありません。今考えれば先進の大国の皇帝に対して、実に失礼千万なことを平気で書いたものだと思いますが、聖徳太子としては思い切って挑戦していったのでしょう。今であったら、たちまち国交断絶になってしまうのではないかと思います。その気概は大いに認めたいことです。とにかくこのことはあまりにも有名で、歴史の授業でも必ずと言ってもいいほど扱われていた出来事でした。

もちろん西欧・中東とも交易のあった中国大陸の、総帥である隋の煬帝は、自分達が地球の中心にあり、世界を率いていると自負していたわけですから、聖徳太子の親書は、実に不快なものであったに違いありません。彼らにとっては、日の昇るところは中国であって、その果てにあるのが日本だと思っていたはずです。

もちろんその後、隋国から使者が送られて来た時には、失礼な返書を持参してきたことは仕方がないかもしれません。しかしそれに対しても聖徳太子は一歩も引かず、隋国の皇帝に対して、日本の天皇と対等の扱いをした文書を返しました。太子はあくまでも日が昇る処は日本であり、日の没する処にあるのが中国大陸だと思っていたのです。

「日出ずる処の天子、日没する処の天子に致す。恙無きや。云々」

こんな書き出しになったのも頷けます。

みな自分の視界で確認したことに基づいて、判断してしまっているということがよく判ります。現代の超科学とは比べようもない時代です。それぞれの支配者が、日の出が自分たちの国の独占だと思い違いをしても仕方がありません。

しかしそれにしても、大国の支配者として、近隣諸国を従えて、世界の支配者として君臨しているのだという自負心があった煬帝としては、きっと頭にきたことでしょう。

日本なんて、たかが東海の小島だと思っているんですからね 。

中国には古来、自国が世界の中心にあるという考えから、所謂「中華思想」という思想まで生み出しているのですが、それは21世紀の今日でも変りませんね。

大陸の大きさも、人口の多さも、アジアでは圧倒的で、今や世界経済の、リーダーになろうとしている気配さえ窺えます。

そういうことが自負心にもなって、中華思想を支えているのでしょうね。

そう、そう。ところでみなさんは、「極東」という呼び方に引っかかったことはありませんか。

日本を含めたアジア諸国を、欧米は「極東」と呼びますが、どうもそのことについては、かなり前から疑問を感じていたのです。

これは間違いなく、欧米から見た世界観から生まれたアジアの位置づけですが、それが遠い昔のことではなく、21世紀の今日でも盛んに使われていることはどういうことなのでしょうか・・・。「極東」というのであれば、日本から見るとアメリカ大陸などは、まさに極東ではありませんか。

こんなことを考えていると、自分のよって立っているところがどんなところであり、それはグローバルな観点から見た時にはどんなことになるのかと言ったことを、つい忘れがちになってしまうのではないでしょうか・・・。つまり、自分中心主義になってしまいがちです。太陽が昇るのは、どの国にいても東ということになりますが、そんなことが原因で、ついつい自国が唯一その恩恵を受ける中心の国であり、その先にある国は「極東」と言うことになってしまうのでしょう。もうそろそろ、違った呼び名は出てこないのでしょうか・・・。

それにしても、自国が世界の中心にあるという錯覚にだけは陥らないようにしたいものです。現代でもその独善的な判断が、さまざまな混乱、闘争を生み出しているということを、反省しなくてはならないと思うのですが・・・☆



この原稿は旧HPに載せたものに、加筆、訂正したものです