思う世界 Faile(24)「細い、薄い、小さい考」

大学へ奉職するようになってから、若い人との接触をすることが多く、いろいろな面で考えるきっかけを貰っていますが、そんな中で、目下大変気になっていることの一つあるのです。

実は「細い」「薄い」「小さい」という問題なのです。

時を経るに従って、年々学生のスケールが小さくなってきているように思えてなりません。昔のように、大きな夢を抱く者もいなくなってしまって、きわめて現実的になってしまいました。かつて北海道大学のクラーク博士が、「少年よ、大志を抱け」と呼び掛けたことも、今や死語になってしまったのだろうか。

想像力を駆使して、思い切り夢のある話を書いて下さいという課題を出しても、その想像力を広げてという意味が理解できない学生がかなりいます。それだけ志向が現実的に、現実的にと変わって来てしまっているように思えます。

その分どうしても若い人のスケールも小さくなってきてしまっています。

その所為でしょうか、彼らの書く文字まで縮こまっているとしか思えません。

ほとんどの人が、何かものを書かせると、その字は「細く」「薄く」しかも「小さい」のです。

彼らには、それを読む人・・・私の場合は学生と教授の関係ですから、課題を提出すれば、必ず教授が読むわけです。しかもその結果採点されて、成績の評価につながるということを、まったく考えないのでしょうか。とにかく読みづらいのです。特に視力が落ちてきている私たちのようなものには、読み切るのに大変疲れてしまいます。

そこである時、思い切って学生たちにお願いをしました。

その結果、多少は改善されたのですが、結局はまた同じ状態に戻ってしまいました。

どうも彼らが使っている筆記用具が、昔の鉛筆ではなくて、シャープペンシルになっているということも原因のようですが、それでも字を濃く書くことは、芯を変えればできるはずです。 結局「細い」「薄い」「小さい」という問題の原因は、人間のスケールということになってしまうのですが、ごく個人的な付き合いの範囲であればいいのですが、たとえば学校のように、書く人と読む人という立場がはっきりとしている場合、その立場をまったく理解していないということが問題なのです。

まったく唯我独尊なのでしょうか。

ほとんど気にする人がいません。

少しは読む人のことを考えて下さいと言ったのですが、時間がたつにつれて、元の状態に戻ってしまいます。

どうも読んで貰う人に対する配慮が、ほとんどありません。

しかし私は読みづらい字を書くことに関しては、目をつぶることにしましたが、どうしても気になって来るのは、彼らの人間的なスケールということなのです。みな縮こまっているのではないだろうか。

若いのだから、大きな夢を見て生きて欲しいし、活動して欲しいのですが、どうもみな現実的で、大きな夢を抱くような人はほとんどいません。

「将来の夢は・・・」という問いかけに対して、「お父さんとお母さんを幸せにしたい」というようなことを書く人が多かったことを考えると、親子の関係としては大いにいいことだと思う一方で、将来の夢という設問に、こんな回答しか書けない若者が多くなっているという現実のほうが問題なのです。

もう、今の若者からは、「将来宇宙へ飛び出していきたい」というような夢を抱いて、やがて宇宙飛行士になったという、最近の宇宙飛行士の談話を聞く度に、現代の若者の夢を掻き立てるテレビ番組・・・アニメーションもなくなってしまったなと、改めて感じたのでした。

時代が若者からスケールを奪ってしまっているのだということを、つくづく考えさせられる昨日今日の私です☆