知る世界 「桂川日記」(47)「集団疎開」
今回はいつもの京都日記とは違ったお話にしたいと思います。連日新聞に報道される東日本大災害の報道記事の中に、思わず私たちの記憶に残っていた記事があったからです。
「集団疎開」
この言葉が突き刺さって来ました。 こ
れは私たちシニア世代の方には、忘れられない言葉です。 太平
洋戦争の末期でしたが、小学生の四年生から五年、六年生に限って、アメリカ軍の爆撃を避けて、安全なところへまとまって避難したことがあるのです。それを集団疎開といいました。両親、兄弟、姉妹とも別れて、まったく馴染みのないところへ移って、集団生活をしたことがありました。
事情がまったく違ったケースですが、思わずあの頃のことを思い出してしまいました。
今年は私の出身地である墨田区の依頼で、東京大空襲に因んでの体験を書いたものを書き、一般公開されましたが、空爆の凄まじさと共に、いろいろと不自由な生活をしなければならなかった記憶が甦って来てしまいました。
集団疎開という言葉が、現代にも甦って来たことに、驚きを感じざるを得ませんでした。
比べ物にはなりませんが、集団で暮らすということの窮屈さは、想像できます。
地震、津波の襲撃ということが原因ではあるのですが、それに加えて原子力発電所の事故があって、その解決にはどれほど時を費やさなくてはならないか、考えるだけでもぞっとしてしまいます。
せめて避難する人びとの気持が、少しでも解放されることが、一刻も早くやってきますように、お祈りするしかありません☆