知る世界 「桂川日記」(48)「取材の結果」

また動き易い季節の到来と共に、取材を始めました。

今回は大きな祭の華やかさにだけ焦点が集まるのですが、その 華やかさに隠れてしまって、ほとんど忘れ去られていることがあるということが、大変気になっていることがあるからなのです。

つまり葵祭の主役的な役割を演じている、斉王のことなのです。 これは平安時代初期の、嵯峨天皇の御代から始まった者なのですが、京都紫野に作られた斉院という御所があり、そこに上賀茂神社に仕える斉王が住まわれていたのです。

それまで嵯峨天皇の兄にあたる平城天皇との間に葛藤があり、帝位を巡って薬子の変などという騒がしい事件がありました。彼に次いで帝位についた嵯峨天皇は、二度とあのような事件が起こらないようにという願いから、朝廷が伊勢の神に仕える皇女を斎宮として送り込んでいるように、平安京を守るために、上賀茂神社の神に仕えるという皇女を決めることにしたのです。その皇女を斉王と言うのですが、初代は嵯峨天皇の皇女であった有智子内親王が選ばれたことで知られています。

その伝統が守られて、今日の葵祭が行われているのですが、わたしが興味を抱いたのは、その歴代斉王が詰めておられた斉院という場が、さっぱり注目されないということなのです。

一体、紫野のどのようなところにその御所があったのか、突き止めようと思ったのです。

それが今回のお話なのですが、祭が華やかに繰り広げられているというのに、本来その斉院から出て行ったであろう御所の跡が、ほとんど紹介されないのはおかしいのではないかと思ったのです。

そこは確かに存在していることは発見しましたが、葵祭があまりにも華やかに行われているのに対して、あまりにも粗末な状態で放っておかれているのに愕然としてしまいました。

櫟谷七野神社(いちいたにななのじんじゃ)というところに、斉院跡を発見しましたので、紹介しておきたいと思って書きました。時間がありましたら、是非、一度訪ねて、なぜここが隠れたように存在しているのかということなどを、お考え下さると嬉しいですね☆

七野神社の写真 その1
七野神社の写真 その2
斉院跡での写真